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第一番 霊山寺



(霊山寺本堂と大師堂)

もう、二十日ほど四国遍路について書き込んできた。その間、不思議に思われた方もいたかもしれないが、遍路の目的である札所の話を全く書き込んで来なかった。今回巡った30ヶ寺について、後日まとめて書き込もうと思ったからである。その時が来たようだ。

歩き遍路は一番から始めなければならない決りはない。四国の人たちは自宅に一番近い札所から廻り始める。そうすれば終わりがやはり自分の家に近いところで終る。九州の人たちは海を渡った松山の51番石手寺から始めるとも聞く。しかし大半の歩き遍路は一番からスタートする。

誰が意図したのか、お遍路は一番から順番に廻るのに実に都合よく出来ている。11番藤井寺まではお寺とお寺の間の距離が短く、短時間で多くのお寺が廻れる。しかし、お寺をたくさん廻れば廻るほど、参拝に掛かる時間が増えて、歩く時間も距離も限定的になる。参拝を札所のラリーのように考えて、ほとんど納経帳の記帳だけして廻る人は別であるが、一応定められた形式でしっかりと仏前の勤行まで行っている人は、せいぜい10数キロ位しか進めない。歩き始めは、ごく自然に、距離が限定的になる。歩き遍路はこの間に足慣らしが出来るわけである。

第一番札所 竺和山 霊山寺では、お寺の売店でお遍路の身ごしらえのすべてを整えることが出来る。買い揃えたものについてはすでに書き込んだ。身ごしらえを整えると、各札所で行うお遍路の作法と仏前勤行の次第について、売店のおばさんがごく簡単に説明してくれる。ここは出来れば僧侶か先達のような人に、一通り正しい方法を実地に教わる機会が欲しいと思った。大半の初心者は判らないまま見よう見まねで行うことになる。本当にこれで正しいのか疑問を懐いたまま巡っていくことになる。ベテランから見れば随分変な作法と仏前勤行になっているのかもしれない。


(霊山寺多宝塔)

5月7日は雨のスタートだった。午前7時40分、本堂と大師堂の順に仏前勤行を行った。納経帳の記帳はすでに買ったときに記帳済みになっているからここでは必要がない。たくさんの札所を回るから、記憶がごちゃ混ぜになるだろう。札所ごとに何か特徴をチェックしておけば、記憶の整理が出来るように思った。巨木、塔、滝なども、その特徴の一つになるであろう。お遍路でもそれらを積極的に見て歩きたいと思っている。さっそく霊山寺には多宝塔があった。明治15年(1882)の建造である。

上下をゴアテックスの合羽で固めて、ザックカバーを掛け、頭にビニールカバーの付いた菅笠を被り、金剛杖を突いて、霊山寺の門を出た。200メートルほど歩いて、売店のおばさんに、歩き遍路の人はノートに住所と名前を書いて行くように言われたのを思い出した。書くのを忘れてきた。一瞬迷ったが最初が肝心だと思い、戻って売店横で名前を記入し、改めて出発した。雨は大降りではないが一日止む気配はない。
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