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まーくんを幼稚園に送る

(赤ん坊のいるクリニック)

今朝、車で30分掛けて、まーくんの通う幼稚園まで、送って行く。幼稚園バスの乗り口まで送ることも出来るが、その方が朝早くなるから、距離的に変わらない幼稚園まで送ることにした。

父兄証明カードが幼稚園より出ていて、それを持参しないといけないらしいが、持たずに出かけてしまった。間違って知らない人に子供を渡さないための、証明カードであるから、送って行く分には問題ないだろうと判断した。

幼児用の補助座席は、まーくんはもう必要なくなった。しかし、子供用の安全ベルトがあるらしく、パパの車には付いているが、付け替えて置かなかった。仕方なく、あっくん用に取り付けておいた補助座席に無理やり乗せた。腰のベルトは何とか回せたが、両肩へ掛けるベルトがもう回らなくなっていた。仕方なく、腰のベルトだけでよしとした。まーくんは文句も言わずに神妙にしている。知らないうちに確実に成長している。

幼稚園が付属しているお寺の駐車場に車を停めて、差した傘に入れて、先に歩かせる。背中には大きなリュックを背負っている。それほど重いものが入っているわけではないだろうが、小さな身体に比べてリュックが大きくて、リュックが歩いているようだ。首には水筒が掛かり、両手にも何やら持っている。今日はお弁当の日だと女房が言っていたから、大きく作りすぎたというおにぎりが入っているのであろう。ふと、家康の言葉を思い出した。「人の一生は重き荷を負うて遠き路を行くが如し」だったか。

幼稚園の門前には、雨の中に園長先生が立っていて、挨拶を頂いた。子供は教室の前まで連れて行き、先生に直接渡すのが決まりだという。なかなかセキュリティが厳しい。昇降口に先生がいて、まーくんの名前を呼んだので、了解を頂いてまーくんを引き渡した。

午後は2時42分に幼稚園バスの降り口まで、あっくんと女房の三人で迎えに行った。子供用の安全ベルトは必ず使う決まりはなくて、大人のシートベルトは小さい子供の首に掛かるので、座布団で座席を高くすればよいと女房が聞いてきて、ふた折りにした座布団2枚の上に座らせてシートベルトを掛けた。

父兄証明カードが見つからないので、それを持たないことを女房が心配する。お産のことは話してあるだろうから、まーくんがおばあちゃんだと言えば問題ないだろう。女房は困ったらあっくんを見せるという。それがどう証明になるのか分からないが。一緒に子供を待つ人におめでとうと言われたという。まーくんは問題なく引き渡された。引き取り手が間に合わないと、そのまま幼稚園まで連れて帰ってくれるという。もちろん、下して終わりというわけには行かないのである。

クリニックはすぐそばだったので、皆んなで赤ん坊を見に行った。あっくんの関心はママがいつ帰ってくるのかという点で、再三、質問をする。答えは、あと三つ寝たらと、昨日より一つ減った。
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4人目の孫誕生、初めての女の子!

(クリニックの新生児室)

昨夜からのことを書く。

昨夜から、掛川の娘が3人目のお産で、1ヶ月、まーくん一家4人(途中から5人に増える)が我が家へ来ることになり、昨夜、お風呂も食事を済ませて、一家4人、たくさんの荷物とともに、7時過ぎにやって来た。息子が買ってきたショートケーキと紅茶で、皆んなで挨拶を済ませたところに、さっそく娘の陣痛が始まってしまった。一週間前から来る予定でいたが、負担を減らそうと1日伸ばしに今日まで頑張ってきたのであろう。3人目で様子が分かっているから出来たことである。早速クリニックに連絡を取り、諸準備をして、10時前に掛川のクリニックに夫婦で出掛けた。

女房がまーくん、あっくんを寝かしつけて、ブログを書いたりしながら連絡を待った。11時前に、一度、固定電話に連絡が来て、まだ待機中だという。携帯の電源が切れているから、入れておくようにと言ってきた。自分の携帯を探したら、リュックに入って、電池切れになっていた。リュックにあったということは、1月末に地蔵巡りをしてから、ずっと入っていたことになる。自分のことながら信じられない。

日が変わって、2時になっても音沙汰がなかった。少し長引いているのだろうと女房と話して、メールを打ってみるという女房を残し、自分は寝床に行った。少し本を読み、眠ろうとしていると、女房が生れたとメールが来たと言ってきた。聞けば12時過ぎに生れたようで、我が家へはすぐに息子にメールで知らせたというが、息子は朝まで寝込んでいて、メールには気がつかなかったようだ。

午後、冬の雨が降る中、まーくん、あっくんを連れて、赤ん坊を見に行った。ガラス張りの新生児室は8人の新生児でいっぱいだった。今だけは少子化の日本の現状を忘れる。男の子にはライトブルーの小さい毛布、女の子には淡いピンク毛布が掛かっていた。男女は4人づつであった。ひと際目立つのが、まーくん、かなくんの妹(名前はまだ無い)である。今未明、0時49分に生まれ、体重は3322グラムであった。

娘の話では、分娩室に入って、出そうなのを、分娩室の準備がまだ整わないからと、少し我慢させられて、一息みで出てしまった、この上ない安産だったと話す。ともあれ、こういう時は、母子ともに健康であることを、まずは喜ぶものである。おめでとう。妹が出来た、まーくん4歳半、あっくん2歳半は、可愛いでしょうと聞かれて、頷くだけで、実感はまだまだ先になるのだろう。

自分にとっては、まーくん、かなくん、あっくんに続いて4人目の孫である。4人目にして初めての女の子であった。これから1ヶ月、まーくんの幼稚園の送り迎えが自分の仕事になるらしい。今日はまーくんパパが休みを取って送り迎えをしてくれたから、明日からの仕事である。
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鳥のうんちはどうして白いの?

(この冬一番の寒さの大代川)

4歳のまーくんは最近いろんなことに興味を持って、ママをなぜなぜ攻撃で悩ましているという。暮れであったか、年頭であったか、聞いた話に、「どうして鳥のウンチは白いの」という質問があった。66年生きてきた自分でさえ、そんな疑問を感じたことがなかった。子供の目は素晴らしい。ママは「♪白い実を食べた」では返事にならないし、困ってしまい、こんなとき、親のセリフは「分からないことは先生に聞きなさい」であるが、そういうママも元保母さんだから、こんな質問をされたら困ると分かっている。

ところで、この保母さんは、現在は男女ともに保育士が正式の呼称である。看護婦さんは看護師と呼ぶようになった。看護士と呼ばないのは「士」には「さむらい」の意味があって、女性を看護士と呼ぶのはおかしいという理由があった。保育士だって、同じ理由で、保育師と呼ぶべきであろう。お役人のやることは、何とも場当たり的で、空きだらけである。

地方公務員の退職金が下げられて、3月まで勤めると大損をするからと、1ヶ月、2ヶ月を残して、中途で退職する職員が続発して、現場で混乱を起こしていると、報道されていた。中でも教員が1月や2月で中途退職すれば、学級担任など、混乱が生徒たちにまで及ぶ。民間に比べて高止まりしている公務員の給料や退職金などを、民間レベルまで下げようという政策であるが、切り換え時期を上手にやらなければ混乱が起きることは当り前で、制度設計者に、制度変更によって起きるであろう混乱を、予測する想像力が欠如していたといわなければならない。自分も企業の中でそんな制度変更を実施して来たが、成案を得るまでに、何度も何度もシュミレーションして、矛盾が生じないか、検討を積み重ねてきたことを思い出す。これも、お役人の場当たり的、空きだらけの政策の結果である。

NHK深夜の「生サダ」という月一回の番組を時々見ている。さだまさしが視聴者のハガキを読むトーク番組であるが、落研(おちけん)出身のさだまさしのトークは抜群に面白い。その話術には脱帽である。その中で出た話を一つ。

雄牛はブル、雌牛はカウ、それでは「こうし」は英語で何という。答えは「チェック」と明かして、何の説明もなしに、話が先へ進んだ。頭に子牛を思い浮かべて、リットル何とか‥‥‥、子牛は雄と雌は呼び方が違うのだろうかなどと考えている視聴者は置き去りにされた。自分も番組終了後、布団に入ってからも考えて、「子牛」ではないと気付き、講師、孔子、公私、行使、公使など思い浮かべるが、「チェック」が分からない。そしてようやく「格子」にたどり着くまで、寝床についてから10分ほど掛った。正しくは「チェック」は格子縞の模様のことで、建具の格子ではないはずだが。ともあれ、こういうのを「考え落ち」という。

ずいぶん脱線してきたが、問題は、鳥の糞はなぜ白いかであった。ネットは全く便利である。たちどころに答えが出てきた。鳥は身体を軽く保つ必要から、溜めないで、糞(うんち)と尿(おしっこ)を一緒に排出する。尿に混ざった尿酸の結晶は白くて水に溶けないので、糞と尿の混ざった全体が白く見えるというわけである。尿酸が出来るメカニズムも説明されているが、4歳のまーくんにはまだ理解出来ないだろう。
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家族新年会の夕べ - 芋汁、塩糀、AED、干し柿

(冷蔵庫で出来上がった干し柿)

昨日、女房が打ち合わせて、義弟家族、まーくん家族、かなくん家族が我が家に寄って、13人のささやかな新年会を計画した。我が家は喪中であるから、祝いの言葉は無しの新年会である。義弟が芋汁を作って持参、お酒も冷酒、焼酎持参である。まーくん、かなくん、あっくんと、幼児3人が混じり誠に賑やかな新年会であった。

義弟が作ってきた芋汁は、現在なかなか入手し難い天然物が手に入ったので、作り芋を少し混ぜて増量して、作ってきたという。畑で作った山芋は促成栽培でできるけれども、その分風味とか粘りなどに欠ける。猪が増えて天然の山芋は人間より先に掘って食べてしまうらしい。今、猪は放置された山の茶園にもぐりこんでねぐらにしているらしい。今は野生動物の保護よりも、ハンターの保護育成が必要なのかもしれない。

酒飲みの義弟は、いま塩糀(こうじ)、醤油糀に凝っていて、糀を買ってきて、塩や無添加醤油を加えて、それぞれ熟成させて作っている。料理にちょっと加えると旨味が一段増すという。なまのイカを裁いてもらって買ってきて、塩糀を塗って一夜干にする。それを炙って食べると、柔らかくてたまらなく美味いと、自ら作ったものを皆んなで食べた。スルメのように固くなく、マヨネーズをつけて食べれば、まことに美味い。酒飲みにはたまらないだろう。

AEDの話になり、義弟は定年後面倒を見ている調剤薬局チェーンで、AEDがあっても使えないでは意味がないと、1ヶ月に一度、使い方の訓練を始めた。間もなく、薬局のそばで心臓発作で倒れる人が出て、訓練通りに処置して、一命を助ける出来事があった話をする。

倒れた人のそばに着いたら、気配で心肺停止を確認、大声で人を集めて、119番通報を頼む人、AEDを探してくる人をそれぞれ指示し、自らは心臓マッサージを行う。AEDが届いたら、患者の胸に貼り付けると、直ちに、心電図で心臓の波形がチェックされ、必要なときは機械が指示をくれる。周りの人に離れてもらい、指示通りにボタンを押す。

心臓が止まるといっても、完全に停止するわけではなくて、心臓のコントロールが不調になって、心臓が微細動している状態で、機能していないことが大半で、AEDは心臓のコントローラーを電気ショックでリセットしてあげる処置である。AEDは電気ショックが効果があるときだけ指示をしてくれ、不要なときは指示しないから、指示通りにボタンを押すのに心配する必要はない。

医師が患者を触れているときに、AEDのボタンを押し、医師が吹っ飛んだという事故もあったと聞くから、みんなに患者から離れてもらうことが必要だという。また、その時は近所の歯科医師を連れてきて、心臓マッサージを変わってもらったが、要領が悪くて、再度変わったという話もある。たとえ医者でも専門違いだと訓練していない人も多いから、訓練した素人の方が役に立つ場合も多いという。

我が家で秋に作った干し柿が冷蔵庫に保管してあった。今夜それを出し、皆んなに食べてもらった。冷蔵庫で絶妙の熟成が進み、自分が食べたいと思った最高の干し柿に出来上がっていた。柔らかくて甘くて美味しいとの評価を得た。こんな干し柿は店にも売っていない。来年は早くに手配し、もっとたくさん作ろうと思った。
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まーくんの幼稚園の発表会

(まーくんの幼稚園の発表会)

今朝は早く起され、まーくんの幼稚園の発表会に女房と出かけた。掛川のお城近くにある、まーくんの幼稚園で、3才児は8時40分から10時過ぎまで、歌とお遊戯と劇の発表である。4才児はその後、午前中に、5才児は午後の発表会となる。70人ほどの3才児に、講堂は溢れるばかりの観客で一杯になっていた。300人近くいたであろうか。入れ替えになるから、1000人近い人が発表会を見学することになる。

入口で園児の家族証明のカードを見せて、手の消毒を促がされる。なかなか厳重なことである。履物は持参したビニール袋にいれて入った。娘が前の方の席を取っていてくれて、手を上げて呼んでいる。シートを敷いた床に座っている観客を、掻き分けて行き、確保されていた座布団に座った。娘がマスクをするようにと、紙マスクを寄こした。これも園の方から指示されたようだ。インフルエンザ予防である。過保護すぎるとも思うが、少子化時代の大切な子供だから、止むを得ないのであろう。隣にあっくんとママ、パパはビデオを取るので、最後尾でカメラの砲列の中に混じっているという。まーくん一人に5人の家族が見に来ていることになる。

発表会が始まった。最初は歌が3組。前後二段に並んで、メロディとかリズムはとにかく、大きな声を出すことを指導しているのであろう。歌詞は年寄りにはよく聞き取れない。まーくんも大声は出しているようであった。

お遊戯が男女それぞれ3組ずつ6組、まーくんはここには出てこない。歌のレコードに合わせて、足を踏み鳴らしたり、所作やポーズをしたり、列を変えたり、なかなか人に合わせるところまでは、3才児では無理なようであった。その分、衣装はずいぶん凝ったものを揃えている。ママたちが先生に協力して用意したものであろうか。

お遊戯を挟んで劇が二つ。その一方にまーくんも出ている。「ネコのお医者さん」という劇である。男の子のネコのお医者さんが2人、女の子のネコの看護婦さんが2人(看護師ではなかった)、患者にゾウやキリンやキツネなど、それぞれダブルキャストである。まーくんはキリンの患者さん、台詞も何とか言えたが、途中で小トラブルがあり、少し間が開いたため、言葉に詰り、二人して舞台の袖の方を向いている。先生の指示が出たのか、残りの台詞を続けた。

最後に、ネコの看護婦さんのお腹が痛くなり、子猫が沢山生れた。看護婦さんがいつの間にか、医者の奥さんになっていたのである。まあ目出度いし、人の世にもありがちなことではある。籠に入った子猫のぬいぐるみにキティちゃんが何匹か混じっていて、どこでそんなDNAが紛れ込んだのであろう。

2時間足らずの発表会であったが、思った以上に楽しんでいた。
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まーくんの運動会

(パパと玉ころがしのまーくん)

まーくんが今年から幼稚園に入り、年少組である。台風の接近が心配された先週土曜日、初めての運動会があった。台風17号はまだ南の島の方にあり、お天気は快晴であった。応援に来るように娘から連絡があり、女房と8時過ぎに出掛けた。会場は幼稚園の近所にある小学校のグラウンドであった。大手門駐車場に車を停めて会場に行くと、園長先生の挨拶が始まったところだった。並ぶ園児の数の3倍以上、父兄がいるように見えた。挨拶が始まったと思ったらすぐに終った。何とも短い挨拶であった。炎天下で整列している園児を前にして、長い話は無用だから納得出来る。

本部席にテントが張られているだけで、本部席側の園児席も、向い側の父兄席も炎天下である。本部席の背後に小学校校舎の影が伸びていて、多くの父兄がその影に逃げ込んでいる。マイクでは園児に里心が付くから、父兄の方は父兄席へ移るように再三告げている。この日差しの強さは自分たちが子供だった頃の比ではないような気がする。9月も末というのに、じりじりと肌を焼くようである。

まーくんの両親とあっくん、それに向うのお母さんが、どこにいるか判らないので、女房が携帯で連絡を取った。まーくんの父親も今日は休みが取れたようで、カメラとビデオの両方を肩に提げて来ていた。

年長組、年中組、年少組が交互に、お遊戯だとか、ゲームだとか、競争だとか、その中に父兄が参加する競技もあって、プログラムが順調に進んでいると言いたいところだが、プログラムの間が長くて進行がどんどん遅れているように思う。運動会というと、この間隔がつらい。特にこんなに暑いときは大変である。先生と父兄が協力して次の競技の準備をしているのだが、見ているとディレクターがいないように思った。競技毎に白線を引き直しているのも、もっと工夫が必要であろう。


(2番でゴールのまーくん)

何度もグラウンド端の木陰に避難して一休みした。女房は炎天下で、向うのお母さんとずうっと話し込んでいる。まーくんは競争競技ならきっと1番だろうと話しながら来たが、競争競技で2番だった。梯子を潜り、跳び箱を越え、段ボールのスーパーカーを抱えてゴールするのであるが、跳び箱で他の子と重なると危ないので、先生に止められて、遅れてしまった。かけっこだけなら誰にも負けないほどすばしっこいのであるが。

プログラムが遅れて、11時になって、ようやく年少組の競技が終わり、解散になった。年長組、年中組のプログラムはお昼には終わらなかったのではないかと思った。見ているだけなのに、くたくたになり、昼食後、いつもより余分に昼寝をした。
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孫たちに占拠されて一週間立った

(4月5日、遍路道の地蔵堂、遍路道にも地蔵堂はたくさんある)

我が家が孫たちに占拠されて一週間たった。自分の仕事場が孫たちの遊び場と化して、孫たちが寝静まらないと、パソコンの前にゆっくり坐っておれない。女房は3度3度の食事やら何やら忙しく面倒を見ていて、疲労困憊気味である。何しろ、それまで一日に1回回せばよかった食器乾燥機が、一日3回も稼動しているのである。今週末でようやくその状態も終わる。

コメントをいただきながら、返事を書き込んでいない。読んでいないのではなくて、しっかり読ませていただいている。そらとうみさん、はぐれさん、まめ名人さん、力餅さん、潜水こと天恢さん、いつもコメントありがとうございます。皆さんのコメントを励みに、「かさぶた日録」はまだまだ継続して行きます。

昨日、夕方ムサシの散歩へ出ると、門口で送り火が焚かれた家が何軒かあった。今年もお盆の間、帰っていた祖霊が戻って行かれるのである。どこへ戻るのか、お墓ではなくて千の風に乗ってどこかへ戻るのであろう。お盆の諸行事は仏教の行事だと思っている人が多いけれども、仏教とは余り関係のなさそうな事柄が多い。キュウリで馬を作り、ナスで牛を作ってお供えする。子供の頃に作った記憶があるけれども、元々は仏教とは関係のない行事である。

山から神様を田にお迎えして、田植えをして、豊作をお願いし、収穫が済めば山にお帰りいただく。そんな行事が、稲作に伴なう民俗行事として、今に引き継がれている。これは仏教の行事ではない。お盆に祖霊をお迎えし、お盆が済めばお送りする。これも田の神を迎え送るのと根は一緒の行事なのであろう。柳田国男、折口信夫、宮本常一といった、民俗学者がたくさんの研究成果を残しているから、少しづつ読んでみようかと思う。仏教はたくみにそれらの民俗行事を仏教行事に取り込んで、民衆へ浸透して行ったのであろう。

暑さが和らいだら、駿河百地蔵を歩いて巡ろうと考えている。歩いていけば、百地蔵以外にも、たくさんのお地蔵さんに出会うことになるであろう。お地蔵さんは町の専門医のように、その御利益によって様々に性格付けられている。延命地蔵、子育て地蔵など、有名なお地蔵さんとは別に、いぼ地蔵だとか、すべらず地蔵だとか、その効用により、様々に性格付けがされている。しかも現代もなお増殖を続けている。お地蔵さんを巡りながら、民衆の苦悩や望みなど、様々な思いにも触れることが出来るであろう。

四国には様々な弘法大師が土地土地で崇敬されていた。歩き始めの辺りから拾ってみても、導引大師、小豆洗大師、鏡大師、小松大師、草鞋大師、鯖大師、古目大師、東洋大師など、地名を冠したものであったり、役割を示したものであったり、大師信仰のなせる業である。四国で数々の大師が果した役割を、ここ駿河の地ではお地蔵さんが負っているようだ。
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お袋の初盆に帰省した3日間(その3)

(城崎温泉一の湯、この日は定休日)

8月9日、故郷で夕食後3夫婦が寛いでいる。話し始めたら止まらないと日頃言っている自分も、ここでは末子であるからもっぱら聞き役である。

長兄の嫁さん、義姉さんは最近大病をして退院したばかりで、一時は電話で、元気がない声を聞いていて、心配していたが、声の力や勢いが以前に戻っていて、まずは安心した。しかし、場所が心臓で気になっていた。義姉さんは最初運ばれた病院で、誤診によって、重篤な症状と判断され、大変なショックを受けたらしい。口に絹を着せない性格で、ずけずけと担当医がヤブ医者で殺されかけたと話す。

それまで、心臓で医者に掛かったことも無く、突然に胸を締め付けられるような痛みで、病院に行った。心臓の専門医が診察して、心筋梗塞と診断し、症状に対して、血をさらさらにする薬を投与され、副作用で下血までしてしまったという。しかも、心臓のペースメーカーを勧められたりした。どうにも納得出来ず、このままでは殺されてしまうと思い、転医させてもらった。

そこで、心臓カテーテル検査の結果、症状は心筋梗塞に似ているが、「たこつぼ型心筋症」という病気であることが分かった。ネットで調べてみるが、専門用語が並んでいて、いま一つ理解が得られなかった。おおよそ分かったことは、原因は良く分かってないが、身体的及び精神的苦痛ないし緊張が引き金になって発症するらしい。

たこつぼ型心筋症は女性に発生率が高く、平均発症年齢は75歳と、急性心筋梗塞の平均発症年齢66歳よりも、たこつぼ型心筋症の方が高齢である。心筋梗塞であれば梗塞を起した血管の復帰が期待できないから、発作を繰り返す度に心臓の機能を損なっていく。たこつぼ型心筋症は、急性期の重篤な心不全の状態を乗り越えれば、予後は一般に良好で、亜急性期に心機能は正常化する症例が一般的である。

義姉さんの場合も医者には必ず完治するといわれ、もちろん血をさらさらにする薬や、ペースメーカーなどは不要であったことは言うまでも無い。電話で話したときは事情も十分に伝わらず、患者の動揺が言わせる話しかと思っていたけれども、しっかり聞いてみると、判断が難しい病気の場合は、医者の思い込みによる誤診は十分にありうる話だと思った。セカンドオピニオン制度を患者はもっと利用すべきである。

義姉さんは退院してしばらく用心していたようであったが、特に生活上で注意を要することも無く、お酒を控える必要もなく、普通の生活に戻ることが出来た。元に戻ったのは良いけれども、口煩さも元へ戻って大変だという長兄の言葉にも、喜びの気持ちを感じた。
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名古屋のかなくんから誕生祝いの葉書

(かなくんから誕生祝いの葉書)

この11日は自分の66回目の誕生日であった。誕生祝いはまーくん、あっくんとともに、すでに土曜日に済み、当日は普通に過ぎたのであるが、今日、名古屋の孫のかなくん3歳から誕生祝の葉書が届いた。画題は「じいじとしんかんせん」なるほど、青がじいじで赤がしんかんせんに間違いない。葉書いっぱいに描いたところに絵心を感じる。一年前よりも描線に力強さとかなくんの意思を感じる。でも、今のじいじは9キロもやせて、もっとほっそりしているよ。何はともあれありがとう。

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お遍路さんの宿として、宿坊を選ぶのは一つの選択である。宿坊は朝早く起きて朝の勤行があるからどうも、と毛嫌いするお遍路さんもいるが、朝の勤行は強制ではないし、宿坊も昔と違って堅苦しいことは何も無い。自分も数えてみると、安楽寺宿坊、焼山寺宿坊、建治寺宿坊、金剛頂寺宿坊、岩本寺宿坊、善通寺宿坊と、六つのお寺の宿坊に泊まった。外にも、薬王寺宿坊、仙遊寺宿坊などにも泊まりたかったが、行程が合わなかったり、満室だったりで、断念した。

朝の勤行はとにかくとして、その後、少しばかりお説教があるのだが、妙に俗受けする話題を選ぶお坊さんがいて、そんな話はだいたいにおいて、感銘を受けるような話にならずに、失敗している。お坊さんにはお坊さんにしか出来ない話をしてもらった方が良い。少々抹香臭くても初めて聞く話は新鮮に感じるはずである。

焼山寺の朝のお勤めはひどかった。6時に集った人たちを前に、勤行もせずに朝食までの40分間、爆弾低気圧などの天候不順の話に始まり、新聞ネタをなぞったような世間話を延々とやり、そんな話を聞くために早起きしてきたわけではないと、文句が言いたくなる様なお勤めであった。挙句の果てに、これから自分は納経所へ行かねばならない。時間がなくなったから、勤行は省略すると言ってのけた。若い時から修行に明け暮れたお坊さんには、当然世間知らずな人が多い。そのお坊さんが世間話をしても、感銘を受ける話になるはずがない。それよりも内要が半分も理解できなくても、自分が学んだ仏教の話をしてもらった方が余程ためになる。

善通寺の朝のお勤めは、僧侶が11人揃って、勤行の声が心に染み入って、実に心地よい時間が持てた。その後、法主の説教があった。その日は地元の小学5年生が何十人か来ていて、昨晩より賑やかだったのだが、朝の行事にも神妙に出席している。話がそちら向けになるのはやむを得ないことであった。

毎朝、普段着で散歩するとき、小学生の皆さんは朝の挨拶をしてくれて大変気持がよい。お遍路さんなど、他所から来る人にもそんな風に挨拶をするようにしよう。いい話だなあと思っていると、但し、今は誘拐するような人もいるから、知らない人について行くようなことのないように、相手が一歩近付いたら、一歩下がるといったように、距離を取ってあいさつをしようと話す。実際に子供たちにどうせよと言いたいのか。観念上でこねくり回したような話に、子供たちがどう理解したのか。そういう対処は学校の先生がマニュアルで決めているであろうから、後半のへんてこな話は子供たちを混乱させるだけで、蛇足だった。それよりも、あいさつについて弘法大師がどんな風に言っているのか、話していただく方が余程心に残ると思った。
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義父の一周忌

(義父の一周忌の法要)

お遍路を中断して戻ってきた主たる目的の、女房の父の一周忌が本日あった。11時よりお寺へ集合である。在所の兄夫婦は前日に新東名を通ってやってきた。名古屋のかなくん一家は、掛川のまーくんの家へ宿泊し、今朝合流した。親戚衆を含めて20数人の集まりであった。

法要はお寺の位牌堂で取り行われた。和尚さんは脱サラで入り婿した若い坊さんである。法要の後、義父の思い出写真ビデオが「なだそうそう」の曲に乗せて上映された。まーくんのパパが忙しい仕事の合間に作ってくれた。若い時代の写真は無かったけれども、義父が晩年どんなことに興味を抱いて暮らしていたのか良く分かる写真ビデオだった。

お墓へお参りし、島田の料理屋で皆んなで食事をとった。若い和尚も参加してくれ、色々とお話しした。

脱サラの和尚だけあって、お寺の経営についてしっかり考えている。檀家が300軒ほどではなかなか厳しい。経営改善のために、自分が住職になってから、お盆に年1回だけ檀家を訪ねていたのを2回に増やした。春と秋のお彼岸に半分ずつ訪問するようにした。檀家さんも今度の和尚さんは2度も来てくれると言ってくれるが、有り難がるお宅ばかりではないようだ。

最近のお葬式はほとんど葬祭場で行うようになってしまったが、檀家さんはもっとお寺を利用してくれるようにするべきだ。お葬式はお寺でやった方が断然安上がりだし、雰囲気も相応しい。最近は楽だからと葬祭場に集中して、どの葬祭場も一杯で、何日も待たせる場合もあり、言葉に出して言わないが、葬祭業者もお寺に分散されることを望んでいるように思う。お寺で正座が大変ならば、椅子席にしても良いし、冷暖房も整えることも檀家さんと話して設備して良いと思う。何よりも葬式はお寺で行うのが、もう一度、主流になってくれることが必要である。

経営という目でお寺を見れば、色々改善の余地はありそうである。若い和尚さんがどこまで出来るのか、注目して行きたい。最近コンピューターも使い出して、登録を始めたけれども、過去帳まで登録するには何年も掛かるとも話す。

この秋から西国三十三観音巡りを手始めに、曹洞宗の3つのお寺が協同で、毎年2泊3日ほどでバスツアーを行う。一つのお寺で10人集める予定なのだけれど、当寺では全く応募者がいない。お坊さんが3人も同行する豪華なツアーで、バスの中でも色々計画をしているのだが。お遍路に興味があるならば、一緒に行かないかと誘われた。興味はなくな無いけれども、四十九日だったか、和尚に「四国お遍路まんだら」を差し上げている。読んでくれたのかどうか、それに言及が無かったのが残念であった。

明朝5時47分の電車で、お遍路へ再出発する。今日は早く休もうと思う。
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