わいはまいね 能面三昧

写真付きで趣味の能面製作を紹介するブログ

遺物

2007年02月27日 | 日記・エッセイ・コラム

Blog040 「遺物」である。関心がない人にはまったく分からない物だが、関心のある人にとっては、懐かしい物かも知れない。

いずれも、それが動作していたときはワクワクしながら使っていた物だ。今となっては過去の遺物に過ぎないが、当時はそれなりに高価であり、これを使うことで夢を広げたものだ。

少ない給料や小遣いの中から吟味をして、一大決心をしながら購入したことを覚えている。だから、やたらにぽいぽいと捨てられない。これも貧乏性だから仕方がないが、まあ小さい物だからその辺に置いていてもじゃまにはならないけどね。

Blog041 時代は進んで「SLOT 1」になった。1個5万円以上もして、「5万円を切ったら買おうか」と真剣に考えていた。Pentium3 450Mhzの頃だ。左がPentium2 233Mhz  右がPentium3 600Mhz(だったかな?)。形が似ているけど、内部構造は結構違うはずだ。詳しくは知らない。

Blog042 こんなのもある。通称「げた」というもので、冷却ファンのところにPGAタイプのCPUが付いており、それをスロットでも使えるように小細工がしてある。古い形のマザーボードを活用するための仕掛けだが、結構はやったものだ。

Blog043 これが古いタイプのマザーボードで、「P3B-F」だ。右上にスロットがあり、ここにスロットタイプのCPUを差し込んで使う。げたに取り付けたPGAタイプのCPUもこれで起動した。

やがてこのタイプのマザーボードはすたれて、PGAタイプが直接取り付けられる型式になったのだが、実はその頃に組み立てたパソコンは、まだ現役で動いている。だから遺物の部類ではなく、現用品で、分解して写真には撮れない。

更に、Pentium 4の時代を過ごして、半年ほど前に組み立てたのは、Windows Vista が快適に動作することを狙い、E6600というCPUを使った。今のところ順調に動いているので、これはこれで良いのだが、目標のWindows Vista には、まだしていない。

新発売されたばかりのOSは、何かと不安定な動きをするらしい。また、市販品も含めて市中に出回っているたくさんあるソフトが、Windows Vista に対応しているとは限らないし、今使っている環境がそのまま維持出来ないと毎日が困ることも出てくる。

と言うわけで、まだ新しい環境に移行するのは早いかな・・・と考えているものの、実はWindows Vista 本体をまだ買っていなかったりして・・・少し高いしなぁ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

陶芸4

2007年02月24日 | 日記・エッセイ・コラム

Blog039 2週間ぶりに陶芸の進捗状況をお知らせしよう。

素焼きが終わって釉薬をかけた状態である。昨日撮った写真だ。これまで作っていた4個の花瓶のようなもの、あるいは、とっくりようなものに薬をかけ終わったところである。どんな薬をかけたのかは、その時は知っていたのだが、今となっては「あれ、何だっけ」と言うことになる。「黒天目」「石灰白萩」「鉄赤」など使ったのだが、その組み合わせは良く覚えていない。やっぱり、ノートに書いておかなければ、覚えたふりをしても歳が歳だからすぐに忘れるのだ。こんな状態が2年も続いているなら、きちんと記録しておけばいいのに・・・・と、後で思うのだが、「そのあたりがいい加減だから上手くならない・・」と先生は言う。もっともだ。

1 作業手順をノートに記録する。                                 2 作業経過やその状態を写真に撮っておく。                                 3 色の組み合わせなどがある場合、使った色、その結果などを記録と写真にしておく。 4 完成したときの写真も当然撮っておく。

もちろん、焼き上がった陶器は、窯の状態によって様々な紋様になる。釉薬をかけているときに、想像していた色や紋様通りにできあがることは(素人では)ほとんど無い。だからこそ、薬をかけたとき、焼き上がったときの違いを確認するためにも、記録が必要なのだ。

陶芸に限らず、新しいことに挑戦するときはいずれも当てはまる事なのだが、このあたりをきちんと実践する人としない人の差は、後になって成果として現れることは、経験として承知している。けれど、それがなかなか出来ないので、結局上手くならないのだろうなぁー。

釉薬がけが終わった作品は、まとめて窯に入れ、焼き上げる。この作業も行ったのだが、なぜか写真を撮るのをすっかり忘れていた。

次は、出来上がった花瓶(とっくりかな?)を紹介できるかも知れない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金魚の飼育

2007年02月23日 | 日記・エッセイ・コラム

Blog036 金魚が泳いでいる。小学生が書いたような文だが、まあその通り金魚の様子である。だが、よく見ると一般的に家庭で飼われている金魚よりだいぶ小さい。そう、これは金魚の子供なのだ。

昨日撮った写真だが、大きさは2ないし3cmほどで、写真で見てもはっきりと金魚と分かるまで大きく成長している。「成長」と書いたのは、私が卵から育てているからだ。

Blog038 これは去年の6月に写したものだ。これはまだ金魚とは呼べないぐらいの大きさで、入れてある温度計の10度の単位が概ね1cmである。だから、大きなものでも1cmぐらい、小さいものは5mmほどの金魚もいる。金魚にも個性があり、成長の早いものや遅いものがいることは、人間と変わりはない。

ここではあまりたくさんいるように見えないが、実は見えないところにも、同じように稚魚が泳いでいるのだ。結構な数である。

金魚の卵を発見したのは去年の4月。親の金魚に食べられないうちに急いで捕獲し、別容器で誕生を待った。やがてふ化したものの、餌は何が良いのか、飼育の環境はどうすればよいのかさっぱり不明。そこはエレクトリック爺さん(古いな)。早速インターネットで金魚の飼育方法を探し、「卵や稚魚からの飼育方法」なるもを見つけて実行した。

この時始めて知ったのだが、金魚の餌といっても色々ある事が分かった。成魚は一般的な餌でいいのだが、卵からかえったばかりの幼魚は餌も違う。生き餌だ。その生き餌が、乾燥卵として売られている。この、直径0.1から0.2mmしかない乾燥卵を塩水で培養し、生まれてくるプランクトンのような生き物を餌にするのだ。

簡単に書いたが、結構大変な作業であった。餌は一日数回与えるので、プランクトンもそれなりに必要だし、2日ぐらいでプランクトンが寿命で死んでしまう。それを毎日の仕事にして観察し、2ヶ月ぐらいしてやっと2枚目の写真ぐらいに大きくなる。

金魚もある程度大きくなったので、2個の水槽に分けて飼育していくと、更に大きく成長してきた。だんだん水槽が狭くなると、環境が悪くなるから、希望者を募り欲しい人に分けるようにして数を減らした。そうしないと病気になったりストレスが出て死んでしまうという。

これまで50匹近くを数人に分けてやり、なんとか住環境を整えてきたが、また最近、金魚らしくなってきた。ということは大きくなってきたのである。更に大きい水槽に入れ替えるなど、金魚の住環境を整える時期に来たのかも知れない。

Blog037 これは親の金魚だ。最近1匹死んだのだが、4匹の成魚のうちの1匹が生みの親だろう。しかし、どれが親金魚かは今もって不明。悠然と泳いでいるが、これらの金魚もだいぶ長いこと飼っていた。話によれば、毎年春には卵を産むらしいものの、卵を発見したのは今回が初めてである。

いや、今まで産卵に気が付かなかっただけなのかも知れない。そのぐらいごく当たり前に家の中に金魚が居たと言うことだろう。

毎日ぼーっと過ごしていれば、小さな変化にも気が付かず、いずれ自分もぼーとなって「恍惚の人」になるのだろうな。これも人生か・・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福寿草

2007年02月23日 | 日記・エッセイ・コラム

Blog035 我が家に咲いた福寿草だ。庭に花が咲くのは、別に珍しいわけではない。植えているから毎年咲く。だが、今年はもう咲いた。

地球温暖化の話はすでにみんなが承知していることだから、今更言っても始まらないが、いつも3月下旬に咲いている花が、もう咲いたことで、今年はどうなる事やら人ごとではない。

福寿草は、このあたりでは3月になってから咲き、ここよりもっと南にある町の、最初に咲いた家がテレビのニュースに出る。それがまだニュースにもならないうちに、我が家の福寿草が咲いてしまった。もっとも、その家ではとっくに咲いていたかも知れないが、今年の異常気象ではそれぐらいではニュースにならないのかも知れない。

ちなみに、去年、我が家では3月20日に福寿草の写真を撮っているから、概ね一ヶ月も早く咲いたことになる。

自然現象だから心配しても始まらないけど、今年起きるかも知れない天変地変(だったっけ?)に備えて、非常持ち出しやら災害用のリュックなど、何か行動を起こすことを考える必要があるのかな?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花と緑のまち

2007年02月22日 | 日記・エッセイ・コラム

「花と緑のまちづくりフォーラム」なるものに行ってきた。これは、当市が5年前から市の事業として行ってきた「花と緑のまちづくり」が、今年度で終わることから、最後に行なわれた集まりである。

この事業は、国からの補助金を使った市独自の事業であり、「まちを花で飾ってきれいな住みよい環境を作りましよう」というのが趣旨である。市内の各町内会単位の事業として位置づけられて、参加団体には毎年市側からいくらかの助成金が出た。

当町内もその趣旨に賛同し、私も町内の役員をしていることから、最初から参加したので、最後も見届けようと思い、参加した。毎年、当町内だけでも100カ所の花壇を整備する作業に5年間も関わってきたことで、市内全体の活動はどうだったのかなど、いくらか関心もあったし。

総勢200人も参加したそのフォーラムは、市の主催ではなく、市民から名乗り出たたくさんの人たちが委員会を作り、助成金が切れる来年度から、この活動をどうするのか・・・という事について話し合う事に主眼が置かれた進行で、なかなか楽しかった。もちろん当事者として市側からも関係ありそうな課の参加者も沢山いた。

3つの部会から、それぞれ今までの活動状況やこれからの提案などが出され、この事業を継続して行いたいという意思が確認された。もちろんこれまでのように市側から助成金を期待することは出来ない事は承知である。が、アンケートによれば9割が継続を希望したとか。

今回楽しかったのは、市側の司会進行ではなく、委員会が司会進行をした。更に、アドバイザーとして3名の外部の人が招待されており、地域コミュニティーに関する造詣の深い話を聞く事が出来た。これら外部の人たちは、専門的な知識を持ち、あちこちに招かれている人たちのようで、話術や内容が田舎者の我々にとって新鮮で、しかも楽しく、すばらしい2時間だった。

 こういう事をして欲しい                                                                                                                                

 こういう事なら出来そうだ

 こういう事をやろう

といったふうに、市への依存だけではなく住民の意識を変えることにより、出来ないと決めていたことも出来るようになることを、アドバイザー諸氏は訴えていた事が印象に残る。

近年のこういった集まり(講義などもそうであるが)では、単なる話だけではなく、スクリーン(プロジェクター)を使った目に訴える表現方法が多く用いられており、理解することが容易だ。いわゆるビジュアル(音も含めて)手法なのだが、講師や発表者、助言者もこういう視聴覚機器(パソコンも含む)を使いこなせなければならない時代になってきたと感じた次第である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする