わいはまいね 能面三昧

写真付きで趣味の能面製作を紹介するブログ

頼政2 その3

2017年11月24日 | 能面

さて、いよいよ最後になった気配。

前回からすでに2週間ほど経っていることから、予定通りの作業が進んでいたと言うところだろう。もちろん彩色も順調に進んでおり、2個同時の彩色も終わったところ。ただ、当初は3個同時に彩色をしようと考えていたのだが、堅い「けやき」で彫った「小面」は、少しの間、彩色は行わずに壁に飾り、あの苦労を味わってみたいとも思う。

上は頼政の真鍮製の眼球である。2個のお面だから4個が必要。ただ、これは2度目のもの。最初に形取った真鍮製の眼球は、中央部の穴が大きすぎて失敗したのだ。やむを得ず作り直したから、計8個を作った事になる。ああ、めんどくさい。

この出来上がった眼球をはめ込んで、彩色が始まる。下は18日の段階だ。

彩色の途中。下塗りは、余っていたピンクがかった色を塗ったところ。左は更に色を濃くして2度目の彩色だ。まだ乾燥していないから色が濃い。こうして重ね塗りを行って、仕上げに入るのだ。その仕上げ塗りが終わったのが下の写真。19日だ。

そこから一段と完成に近づき、必要な髭や眉毛、歯には金色を塗って、最後に「すす」を使い、目の中、口元、更には全体につやを出すために磨いて完成だ。最後には古色を施して完成となる。それが下の写真。

上は22日の写真だから、完成は22日と言うことになる。2個同時に彩色を進めていたから、あと一個あるので、それを並べて見たのが下の写真だ。

左が2個目で右が1個目。写真が若干暗いものの、右側の頼政には立派な髭はない、ごま塩ひげがあって、頭髪にもごま塩を表したものの、うまく行かなかったから「失敗」だ。ただ、この頼政には横顔の写真もなかったために、かろうじて正面から見える範囲でごま塩髭とごま塩髪の毛を表現したと言う具合だ。まあ、よく見えない参考写真だけを頼りに彩色をするのも、大変と言うあたりだろう。

さて、能面教室の課題も終わり、他の生徒よりも多い2個を彫ってしまった。結果、今年度の課題は全部終わったから、12月以降の教室ではぼーっとしている事になる。それでも、その時は能面塾で彫っているお面を持参して作業をすれば、時間は湯ぶれるからいいのだ。

で、次の能面塾の課題は「黒式尉」だ。作業開始は23日である。今日が24日だから「粗彫り」段階かな。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

頼政2 その2

2017年11月11日 | 能面

第1週目は市民文化祭などもあり、作業には少し時間が空いたものの、取りあえずは順調に進んでいる。と言うよりは順調すぎて早めに出来上がったというところだ。

上は7日の写真だが、眼球部分はほぼ出来上がっている。ここまでなら9割方完成と行っても良いだろう。この後は刃の部分、額のしわ部分、口もとのしわ部分など、一部の彫り残しの部分を仕上げれば、完成になる。

上は9日だ。表面を滑らかにして歯を彫ったところ。

上は今日11日だ。ここで、額のしわ部分、口元のしわ部分、そして二重まぶたの部分を彫って若干の修正を加え、素彫りの完成となる。鉛筆で眉毛や髭部分をちょっと書いてみたが、1個目の見本には髭のない「頼政」がある。髭があるのが正しいのか、ない方が正しいのかは分からないし、どっちが本物かも不明としても、せっかく2個彫ったのだから、彩色では2種類の頼政を完成させることにする。

これが2個を並べたところ。左が1個目で右が今回彫り上げた2個目である。表情はほぼ同じに見えるものの、細かい部分ではもともと図面、参考にした写真が違うので違って当然。

この後は「彩色」過程に入るのだが、あの、堅い材料で彫った「小面」も彩色が終わっていないまま残っている。で、この3個を同時に彩色段階に突入するのが普通なので、そうなるかも知れない。

いずれにしても、10月27日頃には2個目の作成開始をしており、今日が11日なら、ほぼ2週間ちょっとでお面が出来上がると言う実例でもある。もっとも、彩色を入れてもあと数日で終わるだろうから、いや、早いものだ。もっと言えば1ヶ月に2個のお面を彫っていると言う事か。

 

というところで、29年度の能面教室の2個目の課題がもう終わった。この後は課題はないから、来年3月までの月2回の教室での作業はなくなったし、出来ない。しょうが無いので、今後は能面塾での課題を能面教室に持って行き、チマチマと作業をする事になろう。

ついでに言えば、前回紹介した「ノートパソコン修理日記」の結果は、毎日電源を入れて機械部分の活性化を図り、様子を見ているという、単なる自己満足の世界に入り浸っているという「パソコンオタク」状態だ。

ま、毎日1時間のウオーキングを実行し、毎日1片の自家製の黒ニンニクを食って趣味の世界に浸っているのなら、それはそれで認知症も遠ざかり、高齢者には都合が良い習慣だろう・・・と自己判断している現在でもある。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ノートパソコンのハードディスク交換

2017年11月04日 | 能面

さて、タイトルからして「能面」とは全く関係が無い模様だが。

今回は、本来の趣味の一部を垣間見て貰おうという設定だが、結構大変な作業になったりする。と言うのも、技術的な作業が発生してしまい、一時はうーんと唸ったものの、結果的には単なる暇つぶしのような話だから、それほど重要ではない。

まずは、前に使っていたノートパソコンが何台かある。もちろんメインで使っているパソコンは自分で部品を集めて組み立てた、いわゆる自作のデスクトップであるが、放置しているノートパソコンでも、時には電源を入れて「使える状態」にしておく方がよろしい。そのため、定期的(と言っても数ヶ月あるいは1年以上も放置)に電源を入れ、気合いを入れておいた方が「可動部分のある機械のたぐい」には良いことなのだ。

と言う事から、今回目に付いたノートパソコン「SONY PCG-F75/BP」に電源コネクターを接続して、おもむろにスイッチを押す。BIOS画面やロゴマークが表示され、起動したか・・と思いきや、白黒画面で左上にバーが表示、点滅したまま前に進まない。いわゆる「止まった」のである。で、そのまましばらく観察していると、黒い画面上には「OSがありません」的な説明文が表示され、そこでストップした。このパソコンはたしか、数ヶ月前にはうまい具合に起動していたはず。それが動かなくなっていた。あれれ!!だ。

そもそもOSがないということは、OSが入っているハードディスクにアクセスしていないと言うことだし、それもファイルを読めないのではなく、ハードディスク本体すらBIOSから認識されていないと言うことだろう。そんな意味のメッセージがいろいろ表示されていた。で、幸いにもCDーRとFDDが使える様子だったから、まずはFDDを利用してDOSモードでFDISKを実行。この結果はソフトからハードディスクにアクセスできないと言う話。更には、CDーRを使ってLinux のubuntu-ja-16.04を起動し、HDDをチェックするものの、HDDへはアクセスできない状況を確認した。

他にも様々な手段を使ってHDDに対するソフト的なアクセスを試みたものの、やっぱりダメだった。結果的には「Cドライブがない」状態になった事から、機械的あるいはソフト的に内蔵のHDDが壊れたという結論に達したと言うあたりだろう。当初はHDDの回転部分が固まって円盤が回らないのかな・・なんて思ったが。

そこで、これの解決策は一つ。HDDの交換である。さて、ここで問題は、この古いタイプのHDDが手元にはない。従って、どっかから手に入れる必要があるのだが、まさか遠く離れたパーツ販売店に行って中古のHDDを探すのも馬鹿げている。また、そこまで気合いを入れて実行するほど、このノートパソコンは必要ではない。

ということで、このままFDDを使って、単にMS-DOSで遊ぶだけにしようか・・・と考えて、周囲を見渡したところ、なんと変なものを発見した。「SONY HDD PHOTO STORAGE HDPS-M40」と称する、いわゆる写真データを保存するためのストレージである。これはずいぶん前に一眼デジカメを使っていた頃に、屋外で大量に写真を撮ったとき、カメラのメモリがいっぱいになっても、このストレージにデータを保存しておけば、たくさんの写真が撮れる・・という外部保存用に使う写真用品なのだ。

当時のカメラメモリは128MB、256MBとかいう単位であり、すぐにいっぱいになる。そのためにデータを外部に保存できる保存用品が販売され、その一つが上記の機材だ。これは内部に40GBのHDDが使われているから、もしかしたらこれを解体しHDDだけを取り出して再利用すると、もしかしてノートパソコンも復旧するのでは・・・

 

さて、これ以降は写真を添えて説明しよう。

これが今回、改造したノートパソコン「SONY PCG-F75/BP」。右側だ。DOS画面ではきちんと表示しているから、基本的な機能はOKだ。で、左側も古いノートパソコンで、こっちはなんとNEC PC9821 NX だ。知る人は知る往年の名機。恐らく20年も前の製品かな。ただ、見たとおりHDDもきちんと動作して起動し、DOS画面であるものの、それなりに使えそう・・・さすが品質は優秀であり、やっぱりNECだ。

ノートパソコンのキーボード部分を上側に持ち上げると、その下にHDDが収納されていた。中央部分だ。

取り外した内蔵HDD。東芝製で2.5インチ。容量は30GBだ。見た目はまだ使えそう。

これは、写真用に買ったストレージ。内部には2.5インチ 容量が40GBのHDDが入っているはず。

これが内部に入っていたHDD。日立製で2.5インチ、容量は40GBなので、規格がちょっと合わないかも。

左がノートパソコンに入っていたもの。、右がストレージに入っていたもの。

もちろん、形や大きさ、コネクタ形状は同じであり、接続は可能だった。特に、最近のものと比べてコネクタ形状が旧式なので、まさしく今回の交換作業にはうってつけだ。VeryGoodだぞ。

HDDを入れ替えて電源を入れ、BIOSから認識されたことで、始めはWindows2000を新規インストールしようと試みたものの、なぜか途中でストップした。これまで新規フォーマットしたHDDには何度もインストール作業は行ってきたが、今回は途中で止まり、その理由は良く分からないので、いったん中止した。もしかして、HDDをきちんとまっさらにして新規にパーテーションを切り、きちんとフォーマットが出来ていなかった、あるいは容量の違いなど、その理由は色々ありそうだ。本来はその作業はOSのインストール手順から実行できるのだが。

で、次は正規のリカバリディスクを利用し、購入時の初期設定への回復を試みたところ。なにやら、うまい具合に進んでいるようにも見える。この時点でパーテーション設定やフォーマット作業などもほぼ自動的に各種の作業が実行されている。それでこそリカバリーディスクの利点だ。

そして、次の画面が表示され、概ねインストール及び回復操作は終わった気配だ。心配していたHDD容量の違いも何とか乗り越えたようだが、結果としてCドライブ6GBとDドライブ30GBが出来上がった模様だ。

最後に、下の画面が表示され、リカバリディスクからの回復が終了したらしい。

 

この後、何度か電源の入れ、切り、WindowsMEの起動、終了などを繰り返してみたが、一応はきちんと動作することを確認した。また、翌日も同様の操作を繰り返しているが、今のところは初期状態のままで様子を見ているところである。

このあと、修理したノートパソコンを利用する予定はない。前には、このパソコンにWindows2000 をインストールして仕事に使っていた時期もあったが、それもあったことで、試しに新規インストールをやってみたと言う具合だ。

さて、分解したストレージは廃棄処分になる。もっとも、これまでは単にデータの保存用として持っていたが、カメラ用のメモリも16GB32GBなどの大容量が登場しているし、外付けHDDも余っているから、ストレージはお役御免なのだ。

こうしてみれば、我が国有数の有名なメーカー品でも、しばらく放置していたらすぐさま起動する製品、故障する製品などがある事が分かる、もっとも、両メーカーも品質管理はきちんとしているだろうし、VAIO Noteに搭載されていたHDDメーカーは、今でも信頼ある東芝製である。従って「どこどこのメーカーの品質管理が悪い」と言う事では無く、特に可動部分のあるHDDなどは、たまたま当たりが悪かったと思う方が正解かな?

 

と言う具合で、久々に昔の趣味を思い出し、MSーDOSなどの入力を震える指先でしたところだ。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

頼政2 その1

2017年11月01日 | 能面

タイトルが「頼政2」に進んだ。と言う事は2個目の頼政を作成しているという話。

で、1個目はどうしたのかと言えば下の写真だ。これは10月25日の写真だから、その時は1個目の「頼政」の素彫りが終わっていたという話になる。


さて、そこで作業は2日ほど休んだ。が、前回に書いたとおりに手持ちの材料を使って、次の課題に取り組んだと言う事になる。これは前にも書いたとおり「頼政2」と言う事で、同じ脳面を彫り始めた。

上の写真は作業開始の時。10月27日だ。手順は1個目と同じだから幾らか写真は省略している。

上の写真も10月27日である。結構頑張っている様子だ。一日でここまで進んだが、今回は鋸刃も交換し、良く切れるものを使ったので、作業は幾分、いや、ずいぶんと早く進んでいる事が見てとれる。

 上は28日の写真。前の日から比べても、作業はずいぶんと進んだ気配。普通ならここまで来るのにも2~3日はかかるはず。それにしても早すぎると思いつつ、毎日を楽しんでいる状態だが、さすがにこれ以降な数日をかけて作業が進むことになる。いわゆる細かい作業は慎重に時間をかけるために、必然的に遅くなるところ。

これが今日11月1日の図である。見た感じではもうかなりの段階に来ている様子だだ。もちろん、必要な段階では裏彫りも行っており、今は裏彫りも第3段階まで来ているところ。これは最終的なあたりまで進んだ状態で、あとは表面の仕上げを見ながら彫り過ぎないように気をつけて、最後の仕上げを待つ段階だ。

こうしてみれば、作業開始から実質1週間程度でここまで来た。いくら何でもこれでは早やすぎると思う。従って、養生しているはずの肩、腕、手首などの痛みは取れないまま・・・これはいかんぞ!!

 

こうしてみれば、前作の堅い材料で彫った「小面」と同様に、同じお面をすぐさま続けて彫る場合、要領、手順などをまだ覚えており、作業が進みやすいという実例でもある・・・と思う。

 

今週は市文化祭もあるから、準備や展示、当番なども予定があり、実質の能面作業は減ることになる。ま、来週になるとそれらも終わって一段落をするし、再びまじめに能面作業を続けるから、それこそあと一週間もすると、この2個目の頼政の素彫りも出来上がるかもね。

また、新しく材料を手に入れなければ・・・

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする