わいはまいね 能面三昧

写真付きで趣味の能面製作を紹介するブログ

花見だ

2007年04月30日 | インポート

Blog065花見のシーズンと言うことで、一応人並みに花見に出かけた。場所は「弘前公園」である。新聞の記事によると、この連休で一番の人出が予想されるのが「弘前公園の花見」だそうだ。何でも200万人以上と書いてあったのだが、本当にそんなに人が出るのだろうか?

と言うことで、それを確かめるために出かけた・・・と言うわけではない。たまたま諸般の事情が合致したので、行ったのだ。

28日に行ったところ、まだ桜は5分咲きと言うところか。ソメイヨシノでも、日当たりの良い場所は開花していたものの、日陰や密集している場所ではまだつぼみも多かった。枝垂れ桜もまだ若干早いようで、きれいなピンクは見られなかった。うーん残念。

だが、天気は良く、結構な見物人が出ていた。この日だけで200万人もの人出があるはずはないが、大混雑を予想していたものの、連休の初日であり、まだ余裕があるようだ。連休最終日までにはかなりの観光客が訪れるであろうと思う。

Blog067これが天守閣で、有名な城に比べるとかなり見劣りがする。名古屋城や大阪城、姫路城などの大天守閣を見ている人にとっては、比較することに無理があるので何とも言えないが、桜と城がマッチして、こじんまりとした美しさがあるから、これで観光客が200万人も来ると言えるのだろう。

この橋を左に渡って行けば、天守閣が見られる。どこのお城も同じだろうが、内部は展望台になっている。入館料(入園券)は300円だ。人がまったく写っていないが、これは一瞬人混みが途切れたときに撮ったもので、前後に数枚撮った中は人だらけである。

と言うことで、夕方までいたのだが、電車の都合もあり、夜桜の一部(薄暮に照明がついた状態)を見学して、その日は終わった。200枚以上も写真を撮ったが、あまり出来映えはよろしくないから、行った証拠と事実だけを紹介する。

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テレビは

2007年04月23日 | 日記・エッセイ・コラム

Bravia1 液晶テレビである。SONY BRAVIA KDL-40V2500と言う名前だが、別に購入したわけではない。検討しているところだ。

これを選んだ理由は、単にHDDレコーダーがSONY製だからで、例のRDZ-D800が合うかも知れないと考えたからだ。暇なものだから、いろいろとスペックや購入者の意見などの情報を仕入れている。また、新型が5月(恐らく連休明けか)に発売されるとSONYが発表しているので、もしかして価格が安くなっているかも知れないという期待もある。

今、液晶テレビとプラズマテレビが売られている。どっちが良いのかいろいろな意見があるが、各メーカーも両方発売しているからややこしい。それぞれにうたい文句があり、いずれも良いところを強調しているから、最終的には個人の好きずきになるようだ。

曰く。液晶は画面の書き換えが遅いので、速い動きに弱い。(が、最近は速い動きにも十分対応できるようになった。)また、小さい子供がテレビの画面をさわるので、液晶だと表面に傷が付く恐れがある。

曰く。プラズマは速い動きに強い。画面がガラスなので、写り込みが気になる。消費電力が大きい。

などなど。まあ結局は購入者の使い方や部屋の大きさ、納得のいく値段などで決まるようだが、性能としてはいずれの方式でも十分に満足できるレベルに達しているといえよう。ただ、フルスペックとかフルハイビジョンとか、パネルによって画面の精細度が違うものが混在しているので、これらも自分の使い方を良く検討して選ぶことが必要らしい。

私はテレビのロードショーやDVDは見るものの、普段はあまりテレビは見ない。せいぜいニュースを1時間ぐらい、毎日見ている程度で、ドラマやバラエティーなどはほとんど見ない。従って、今ある28インチのアナログワイドテレビでも、実は十分なのだ。

このテレビはBS-Hiビジョンも見えるし、RDZ-D800を購入した後は、BSデジタル、CSデジタル放送も全部見えるようになった。もっともアナログテレビだから、デジタル放送のくっきりはっきりは望むべくもないが、いくらか離れてみているとあまり気にならない。

このテレビを購入したのは平成10年だから、もう9年も経っている。が、実際の稼動時間は一般家庭の2~3ヶ月分程度だろう。そのぐらいしか電源を入れない場所に置いてあるのだ。ここに20数万円も出して、新たに薄型テレビを導入する必要が、果たしてあるのだろうかという、実につまらないことで悩んでいる。

写真のテレビは40インチだが、37インチならもっと安いものがいろいろ売られている。42インチというものあるが、部屋の大きさから言えば、大きいようだ。だから、37インチか40インチを選べばちょうど良いみたい。

電気屋に行って見てきたのが13日で、今日は23日だから、もう一週間以上も毎日値段の動向やユーザー意見を見ている。ただ、ここは田舎だから、電気屋の値札が23万円になっている。価格.comでは最低価格がなんと16万円ほどだ。ずいぶん差があることや、今のテレビもきちんと写っていることなどを考えると、いまいち踏ん切りが付かないのだ。ハイビジョンの画面を見たらもう普通の画面には戻れないと言う話もあるのだけどね・・・

私は、必要なものはすぐに買ってしまうけど、今あるものがまだ使えると考えると、どうも弱気になってしまうのが悪いところかな。所詮、貧乏人の世界から抜けられないのかも知れない。

「人生は一度だけ」「欲しいと思っているのに我慢していると後悔する」「金を残せば争いの元」「残りの人生は、あと少し(だんだんと悲観的になってきた)」などと自分を奮い立たせるのだが、まあ、奮い立つ歳でもないし・・・なにか凄いことになってきたぞ。

そんなことで、結局はしばらくお預けのままだったりして・・・・ちょんちょん。

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金閣寺

2007年04月22日 | 日記・エッセイ・コラム

Blog063 第11回配本は金閣寺だ。4月10日発売だから、もう1週間以上も前なのだが、すぐにブログに載せなかったのも、気合いが入っていない証拠か。気力が衰えたのかな。前回の「延暦寺」に長い文を載せたことで、安心したのかも知れない。

ということで、若干遅れたものの、一応見学しているから、その時の日記を紹介しよう。この日は金閣寺を見た後、東本願寺も見学しているが、これはまた「東本願寺」が発売されたときに紹介しようと思っていたものの、ずっと後になるので、このまま続けることにする。

平成4年10月10日(体育の日)

 京都駅に着く。市内路線バスにのって金閣寺へ行く。市内どこでも200円だ。金閣寺前でバスを降り参道を行くと、とにかく人が多い。道一杯に人波がうねうねと前進していく。道じゅう人だらけといってもいいくらいだ。みんな観光客か。

 さて、金300円でお札を買う。これが拝観料みたいだ。家にもあったが、娘が修学旅行で拝観したときに貰ったものと同じだ。「金閣舎利殿御守護」と書いてあるお札である。
 中へ入ってちょっと歩いて、ひょいと曲がると目の前に突然現れたのがあの姿である。目の前に広がる池の向こうにさんぜんと輝く金色の建物。「金閣寺」だ。
なにかあまりにあっけなく現れたものだから、思わず「おおっ」と思った。たとえば、参道をえんやこらと登ってやっと現れたのなら、「ほおーっ」と感じたかも知れないが現れるのがちょっと早すぎたようだ。それと人の波。

 少し見とれた後、人波と一緒に動いて、金閣寺のそばを通り、裏に回って山道に入りそうになったので人波に逆らって戻ってきた。ここはコースが決まっており、一廻りまわると駐車場に出てしまうので、せっかく朝から来たのにもったいないと思い、金閣寺が一番良く見える位置(例のパンフレットや絵はがきのように見える場所)に戻って、改めてじっくり30分位も見ていた。古い仏像とは又違ったあでやかな景色、すばらしい情景に心を奪われた。

 今日は、2度心を奪われた。こころはひとつしかないのに、2つも取られたら、どうなってしまうのか。しゃあない。また、あたらしい心を作るとしようかね。

  夕方になったので京都駅のそばにある「東本願寺」へ行った。ここは境内は開放されており大師堂門(山門)、本堂(阿弥陀堂)、大師堂(御影堂)が自由に見学できる。しかもここは、見るだけでなく大谷派の本山として現在も毎日法要が行われている寺である。

 本堂も大きかったが大師堂(御影堂)はなんと畳972枚の大広間で、正面には親鸞上人が安置されているというが、扉がしまっていた。木造建築では世界最大級と言う事であり、私も奈良にきていろいろお寺を見たがあんな大きなお堂を見たのははじめてだ。とにかくたまげた。そこに30分ほど座っていた。

日記はここで終わっている。文中に「2度心を奪われた」と書いている。これは金閣寺を見る前に、途中で「東寺」を見つけ、そこに行ったからだ。そこで一度心を奪われたらしい。

何かに心を奪われる事象は何も女性だけの特許ではない。女性が男性に心を奪われる話は多いのだが、男性であっても女性に心を奪われる事もあるだろうし、それまで経験したことのない体験をすれば、良い意味で心を奪われる(感動する)こともあろう。

薬師寺から唐招提寺に行ったときも、あの静寂、凛とした佇まいに感動したものだ。東本願寺の大師堂を見たときもそうだし、法隆寺を見たときもそうだ。このシリーズを書いているすべての寺社を、初めて拝観したときは、一様に感動している。2度目の拝観以降は、その感動も薄れてくる気持ちの変化も書かれているから、初めての体験はよほど強烈なのだろう。まあ、感動することは、それはそれで大変良いことだと思っている。

上の写真には、銀閣寺も写っている。残念なことは、この時期に銀閣寺には行っていない。元々銀閣寺は庭園で有名な場所であり、京都観光でも一般的なコースからはずれているような感じがする場所ではないだろうか。

日本の名園シリーズには、この庭園が入っている。最近見たテレビに京都の寺の名園が紹介されていた。その中にも当然として入っていたから、これはかなりの名園であろう。そのとき紹介されていた白砂の造形も、本に紹介されている。

ということで、当時はあまり庭に関心がなかったことから見学コースから外れたのかな・・と考えている。今なら恐らく見に行っていることだろう。

奈良、京都は是非とももう一度、1週間ほどかけて行ってみたい場所だ。今なら、更に新しい感動が得られると思う。冥土のみやげに行ってみるか・・・・なーんて。

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選挙なるもの

2007年04月11日 | 日記・エッセイ・コラム

平成19年度の統一地方選挙が4月8日(日)に、全国的に行われた。当地でもそれはあったので、別に不思議ではない。が、今回は一日中その会場にいた。これはその時の話。

選挙がある時は、選挙投票所が設けられる。そこには、投票するために必要な準備がされている。受付、本人の確認、投票用紙の配布、用紙に記入する台。投票箱などだ。

普通は、投票所に行って投票をして帰ってくる。が、そこにどんな人がいて何をしているのか注意してみたことはあるだろうか。投票が終われば特に覚えていない事がほとんどだろう。私はその投票所で、選挙立会人として13時間を過ごした。

投票開始が朝の7時からだから、それまで投票所に行くと、すでに準備が始まっていた。投票所の準備から撤収までは選挙立会人の仕事だから、それをする。が、普通は投票所の管理は、選挙管理委員会から嘱託された人がすることになっている。従って、主に市役所職員がそれを担当する。

受付、本人の確認、投票用紙の配布などは、選挙管理委員会から嘱託された市職員がするが、その外に、地域のひま人風の年寄りが数人いるのに気が付いていただろうか。今回は、そのの「ひま人風の年寄り」の一人が私だった。一連の投票所の流れを監視して、不正がないかを確かめる役目があるようだ。

今回は、市役所職員が監督を含めて6名。地域のひま人が3名、計9名で一つの投票所を運営していた。投票用紙は950枚準備されていたが、期日前投票をしている人がいることから、この投票所では該当者が1000人以上と言うことになる。

7時開始と同時に投票に来る人がいた。どんな人かは知らないが、恐らく仕事に行く前に投票をすませたのだろう。良い心がけである。

9時頃まで順調に投票が進み、その後少し間をおいてまた、逐一市民がやってくる。地方の都市だから一気に人が来ることはなく、ぽつぽつと来る。年寄りも来れば若い夫婦も来る。小さい子連れが多いのが目に付いた。が、やはり20代30代の独身若者はまったくやってこない。それでも、若い男女が数人は来た。自分の意志で来たのか、頼まれたのかは分からないが、来て投票することに意義があるから、理由はともあれ良いことだ。

2時間に10分程度の休憩や食事時間を挟んで、夜の8時までパイプ椅子に座っているのは、大変に疲れる。市職員の方は、市民が来ればいくらか体を動かすが、監視員はほとんど動かない。気を遣うことがないとはいえ、黙って座っていることの方がが苦痛になってくる。とにかく尻が痛くなってしまうのである。

それに備えて、「低反発ウレタン」の座布団を持参したのだが、あまり効果はなかった。とにかく13時間はじっと我慢の爺となったのである。

今年は更に6月に県知事選、7月には参議院選がある。今月末も選挙があるところもあるようだが、幸いにも当市では補欠選挙がないぶん助かった。

夜の8時に投票所を閉めて後かたづけをし、投票箱を抱えて開票所に行き、諸手続きは市役所職員に任せて、家に着いたのは9時前だった。長い一日だったね。

ちなみにこの投票所では、投票率が50%だった。この地区の住民のうち、半分以上は他市町村からの移住者(貸家やアパートの住人)で占められている事を考えれば、まだ良い方か。市全体での投票率は54%、県全体では57%だったらしい。やれやれ。

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延暦寺

2007年04月05日 | 日記・エッセイ・コラム

Blog061 第10回配本が発売された。延暦寺である。ここにはいささか思い出がある特別な場所だ。というのも、ここで2泊3日の修行をしたからだ。もっとも、修行と言うより体験なのだが、それでも一般ではなかなか経験することのない日々を過ごした。

私が今、お寺が好きだとか、仏像に興味があると言うことも、実はここが原点かも知れないと考えるからである。この時期に、たくさんの寺社仏像を拝観していたが、それは奈良、京都には有名な場所がたくさんあったから拝観したという、単純な理由だけではないような気がする。わずか2泊3日の延暦寺体験によって人生観が変わった・・と言えば大げさだが、なにかそんな風に感じる雰囲気が、あの比叡山全体に包まれていたのだ。

平成4年9月28日(月) 曇
 比叡山研修の日である。0700にバスで一路比叡山へ。
奈良県から京都府を経て、滋賀県に入り琵琶湖湖畔を通り比叡山ドライブウエイから比叡山へ入山した。
 1000頃到着し、直ちに入所式を実施。我々が宿泊する場所は、修練道場で、その名も「居士林」(こじりん)。120名が一同に会し、2泊3日間の世話をしてくれる3名の坊さんの引導で全員がお教をとなえ、日程、食事作法その他研修にあたっての諸注意があった。般若心経を唱えるのだが、経本は入所するときに貰ったものに書かれているので、それを読めば良い。

1230頃昼食である。これが大変だった。別棟にある食堂(じきどうと読む)へ入るときは、合掌し、祭ってある阿弥陀如来に一礼し、お膳に向かって一礼し、着席する。もちろん正座である。全員が着席して、「斎食儀」と言う食前のお経を唱える。これが長い。坊さんと120名が大声を出して12種類のお経を唱えた後、やっと「いただきます」。5分以上かかっただろう。

 いよいよ食べ始めるが、話声、食器の音など、音のたぐいは一切厳禁である。食器がお膳に触る音さえも「神経を集中し音を出さない」と注意される。なにしろ120名が食事をしているのである。音が出ないはずはない。しかし、「静かに!」である。目をつぶっていたら、まさか120名が食事をしているとは思われないくらい気を使っているが、やはり音は出る。音が出ない要領を教えてくれたが、いきなりやれと言われても、出来ないものである。

 食器は必ず持って食べる。食べ物は一切残さない。食べた後は使った食器をお茶で順繰り洗い、最後にご飯の椀に入れてそれを飲んでしまわなければならない。
  しかも全員が食べ終わるまで、正座して目をつむって待っていなければならない。さて、全員が食べ終わった時、鐘が「りん」となり、全員がお経をとなえ、「ごちそうさま」と言い、阿弥陀様に向かい合掌し礼をしたのち食堂を出るが、そのときも、食事を作ってくれた人に「ありがとうございました」をお礼を言わなければならない。これがその後5回続いたのであった。

食堂に入ってから出るまでの約15分は、音を出すのはお経を唱えるときのみ、あとはただひたすらに音に気をつけて食べる。というより、流し込むだけの食事である。味もそっけもまったくない。もっとも魚、肉、臭い野菜は一切なしで、味付けは具から出るだしのみであり、味は淡泊だ。足は痛いし、まったくもって生きるために食べていると言う事である。(托鉢で戴いたもので食事をするということが原点であり、栄養とか、食事を楽しむとかは一切考えていない。)
 修行道場の食事は本当に恐怖でもあった。(実際、座禅よりきつかった。)

 1330頃山内巡拝である。白の上下のトレパンをはいた120名の中年の一団が、坊さんに連れられて比叡山のお堂を巡る姿を想像してみると、まるで刑務所から娑婆に出る前の寺巡りをしている犯罪者をほうふつさせる。実際に一般の参拝者の中には、そう思った人も大勢いることだろう。なんと言っても歳は40から50位だし、頭は白髪混じりの「ちんぴら刈り」や「はげ」のたぐいが多く、行く先々のお堂の前で「般若心経」を唱えているのである。どう考えても罪滅ぼしのための行動にしか見えないだろう。自分がそう思うくらいだから他の人が見ても、そう思うに違いない。当然だ。

 比叡山延歴寺は、比叡山そのものが延歴寺である。比叡山にあるそれぞれのお堂の集合体をまとめて延歴寺というのであって、一般的にある単体のお寺を差す呼び名ではないと言う事である。
一般的な寺とは、寺の敷地内に本堂があり庫裏があり鐘楼があるが、比叡山には山のあちこちにお堂があり、それぞれに名称がある。しかし、忘れた。

 山内巡拝で、いろいろなお堂へ行った。その中の中心となる建物が「根本中堂」というお堂である。ここは、延暦寺総本堂で、比叡山でいちばん大きいお堂であり国宝である。何とか造りという建築様式で、祭ってある阿弥陀様がお経を唱える坊さんの目の高さになるように地面から造った台に安置しているということだそうだ。

なるほど、中を覗いてみると真っ暗な中に石を敷いた土間の上に厨子が造られ、ちょうど目の高さに阿弥陀様がろうそくの明かりでぼんやり見える。それも中心の阿弥陀如来と左右の阿弥陀様の3体。なにやら神秘的な光景であった。合掌。

 織田信長の比叡山焼き討ちで全焼したが、後に豊臣秀吉が再建したものだそうだ。参拝客にとっても目玉らしくたくさんの観光客が来ていた。

 1645合掌しながら座禅をするため出かける。場所は居士林からすぐの「釈迦堂」である。この建物もいわれのある大きなもので120名が十分に座禅を組めるほど大きい。造りは「根本中堂」と同じだ。
 入堂前には全員合掌のまま「懺悔文」をとなえ、入堂したらそれぞれの場所で正座をし「三礼」「四弘誓願」を唱える。準備運動の後、座禅に入る。今回は初回なので正味20分ほどで終わったが、入堂から退堂まで45分くらいかかっている。

1800夕食。例の要領で苦痛の15分を過ごして19時から修行者のビデオを見た。NHKテレビの特集番組を録画したもので、前に見た番組だ。
2000から交代で入浴。待機している者は、宿舎の部屋で座禅を組む。2100就寝で、今日の研修項目は終わった。

2日目(29日)
 0500 起床
 0515  座禅止観:長かった。(30分位座っていた)
 0630 浄土院参拝:何とか上人
 0700 大雨のため釈迦堂で朝のお勤め。20分位お経を読んだ。
 0730 清掃(お寺の雑用を作務という)
 0800 朝食
 0900 写経:半紙3分の1ほど書いた。
 1100 法話
 1200 昼食
 1300 行の体験:

居士林から山道を2Kmほど下ったところにある「青龍寺」で「常行三味」の行を実施した。本堂にある阿弥陀仏のまわりを「南無阿弥陀仏」と唱えながら90日間ひたすらまわるのだが、体験ということで1時間ずつ2回に分けて行った。
 1700 座禅止観:40分位座っていた。足が痛い。
 1800 夕食(足が特に痛い)
 1900 座談会
 2000 入浴
 2100 就寝

3日目(30日)
 2日目の朝の部分の日程とほぼ同じ。ただし、座禅はいちばん長かった。
0930「釈迦堂」の前で記念写真を撮り、迎えのバスで帰路についた。

終わってみれば短い研修日程であったが、僧侶の修行はたいへん厳しいものであることが分かった。小僧時代。3年篭山、6年篭山、常座三味、常行三味、100日なんとかその他の修行が一般社会の常識を越えた世界で行われている。やっぱり、あれは普通ではないことが理解出来た。

  比叡山は昔から仏門の神聖な修行の場として栄えた所である。山は深く急で、良くこんな所に壮大なお堂を建てたものだと感心した。直径2メートルほどもありそうな杉の大木がそこらじゅうに太古のまま苔むしており、荘厳な感じさえする。
武蔵坊弁慶が修行したというお堂もあり、いまにもそのへんから「なぎなた」を振りかざした山伏が出てきても不思議でない雰囲気があった。本当に「すっげーなー」と言う気がしたから大したものである。

これが比叡山体験の感想だ。このシリーズでは前から述べているように、ずいぶんと感想文が簡略されている。もっともっと記録に残しておきたいことがたくさんあったはずだが、あまり詳しく書かれていないし、使われている文章(言葉)も幼稚なものが多い。が、当時はそのぐらいしか感想として頭に浮かんでこなかったのだろうし、文章を書く能力もその程度だったのだろう。

いま、この第10回配本を読んでみると、さすがに建築物の名称や言われなどはきちんと書かれている。また、表紙を撮った場所も実際に歩いていたから、その通りに見えた。10数年前の体験ではあったが、その時の情景が今、まざまざと思い出されるのが不思議な気もする。そのぐらい、強烈な印象だったのだろう。

Blog062 これは、今も残っている「しおり」である。右側は裏だが、空色で印刷されている場所は、手前にある石段の途中から「根本中堂」を撮影したもので、第10回配本の表紙も同じ場所から撮影されているようだ。

また、3月下旬には、BSデジタル放送で「古寺をゆく」と題して、比叡山延暦寺が紹介されており、それを見ながら、この本を読みながら、更にあの体験を思い出すことで、極楽浄土へ安心して行けるのかな・・・なーんて。

「観自在菩薩行深般若波羅密多時照見五 皆空度一切苦疫舎利子色不異空・・・」

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