第10回配本が発売された。延暦寺である。ここにはいささか思い出がある特別な場所だ。というのも、ここで2泊3日の修行をしたからだ。もっとも、修行と言うより体験なのだが、それでも一般ではなかなか経験することのない日々を過ごした。
私が今、お寺が好きだとか、仏像に興味があると言うことも、実はここが原点かも知れないと考えるからである。この時期に、たくさんの寺社仏像を拝観していたが、それは奈良、京都には有名な場所がたくさんあったから拝観したという、単純な理由だけではないような気がする。わずか2泊3日の延暦寺体験によって人生観が変わった・・と言えば大げさだが、なにかそんな風に感じる雰囲気が、あの比叡山全体に包まれていたのだ。
平成4年9月28日(月) 曇
比叡山研修の日である。0700にバスで一路比叡山へ。
奈良県から京都府を経て、滋賀県に入り琵琶湖湖畔を通り比叡山ドライブウエイから比叡山へ入山した。
1000頃到着し、直ちに入所式を実施。我々が宿泊する場所は、修練道場で、その名も「居士林」(こじりん)。120名が一同に会し、2泊3日間の世話をしてくれる3名の坊さんの引導で全員がお教をとなえ、日程、食事作法その他研修にあたっての諸注意があった。般若心経を唱えるのだが、経本は入所するときに貰ったものに書かれているので、それを読めば良い。
1230頃昼食である。これが大変だった。別棟にある食堂(じきどうと読む)へ入るときは、合掌し、祭ってある阿弥陀如来に一礼し、お膳に向かって一礼し、着席する。もちろん正座である。全員が着席して、「斎食儀」と言う食前のお経を唱える。これが長い。坊さんと120名が大声を出して12種類のお経を唱えた後、やっと「いただきます」。5分以上かかっただろう。
いよいよ食べ始めるが、話声、食器の音など、音のたぐいは一切厳禁である。食器がお膳に触る音さえも「神経を集中し音を出さない」と注意される。なにしろ120名が食事をしているのである。音が出ないはずはない。しかし、「静かに!」である。目をつぶっていたら、まさか120名が食事をしているとは思われないくらい気を使っているが、やはり音は出る。音が出ない要領を教えてくれたが、いきなりやれと言われても、出来ないものである。
食器は必ず持って食べる。食べ物は一切残さない。食べた後は使った食器をお茶で順繰り洗い、最後にご飯の椀に入れてそれを飲んでしまわなければならない。
しかも全員が食べ終わるまで、正座して目をつむって待っていなければならない。さて、全員が食べ終わった時、鐘が「りん」となり、全員がお経をとなえ、「ごちそうさま」と言い、阿弥陀様に向かい合掌し礼をしたのち食堂を出るが、そのときも、食事を作ってくれた人に「ありがとうございました」をお礼を言わなければならない。これがその後5回続いたのであった。
食堂に入ってから出るまでの約15分は、音を出すのはお経を唱えるときのみ、あとはただひたすらに音に気をつけて食べる。というより、流し込むだけの食事である。味もそっけもまったくない。もっとも魚、肉、臭い野菜は一切なしで、味付けは具から出るだしのみであり、味は淡泊だ。足は痛いし、まったくもって生きるために食べていると言う事である。(托鉢で戴いたもので食事をするということが原点であり、栄養とか、食事を楽しむとかは一切考えていない。)
修行道場の食事は本当に恐怖でもあった。(実際、座禅よりきつかった。)
1330頃山内巡拝である。白の上下のトレパンをはいた120名の中年の一団が、坊さんに連れられて比叡山のお堂を巡る姿を想像してみると、まるで刑務所から娑婆に出る前の寺巡りをしている犯罪者をほうふつさせる。実際に一般の参拝者の中には、そう思った人も大勢いることだろう。なんと言っても歳は40から50位だし、頭は白髪混じりの「ちんぴら刈り」や「はげ」のたぐいが多く、行く先々のお堂の前で「般若心経」を唱えているのである。どう考えても罪滅ぼしのための行動にしか見えないだろう。自分がそう思うくらいだから他の人が見ても、そう思うに違いない。当然だ。
比叡山延歴寺は、比叡山そのものが延歴寺である。比叡山にあるそれぞれのお堂の集合体をまとめて延歴寺というのであって、一般的にある単体のお寺を差す呼び名ではないと言う事である。
一般的な寺とは、寺の敷地内に本堂があり庫裏があり鐘楼があるが、比叡山には山のあちこちにお堂があり、それぞれに名称がある。しかし、忘れた。
山内巡拝で、いろいろなお堂へ行った。その中の中心となる建物が「根本中堂」というお堂である。ここは、延暦寺総本堂で、比叡山でいちばん大きいお堂であり国宝である。何とか造りという建築様式で、祭ってある阿弥陀様がお経を唱える坊さんの目の高さになるように地面から造った台に安置しているということだそうだ。
なるほど、中を覗いてみると真っ暗な中に石を敷いた土間の上に厨子が造られ、ちょうど目の高さに阿弥陀様がろうそくの明かりでぼんやり見える。それも中心の阿弥陀如来と左右の阿弥陀様の3体。なにやら神秘的な光景であった。合掌。
織田信長の比叡山焼き討ちで全焼したが、後に豊臣秀吉が再建したものだそうだ。参拝客にとっても目玉らしくたくさんの観光客が来ていた。
1645合掌しながら座禅をするため出かける。場所は居士林からすぐの「釈迦堂」である。この建物もいわれのある大きなもので120名が十分に座禅を組めるほど大きい。造りは「根本中堂」と同じだ。
入堂前には全員合掌のまま「懺悔文」をとなえ、入堂したらそれぞれの場所で正座をし「三礼」「四弘誓願」を唱える。準備運動の後、座禅に入る。今回は初回なので正味20分ほどで終わったが、入堂から退堂まで45分くらいかかっている。
1800夕食。例の要領で苦痛の15分を過ごして19時から修行者のビデオを見た。NHKテレビの特集番組を録画したもので、前に見た番組だ。
2000から交代で入浴。待機している者は、宿舎の部屋で座禅を組む。2100就寝で、今日の研修項目は終わった。
2日目(29日)
0500 起床
0515 座禅止観:長かった。(30分位座っていた)
0630 浄土院参拝:何とか上人
0700 大雨のため釈迦堂で朝のお勤め。20分位お経を読んだ。
0730 清掃(お寺の雑用を作務という)
0800 朝食
0900 写経:半紙3分の1ほど書いた。
1100 法話
1200 昼食
1300 行の体験:
居士林から山道を2Kmほど下ったところにある「青龍寺」で「常行三味」の行を実施した。本堂にある阿弥陀仏のまわりを「南無阿弥陀仏」と唱えながら90日間ひたすらまわるのだが、体験ということで1時間ずつ2回に分けて行った。
1700 座禅止観:40分位座っていた。足が痛い。
1800 夕食(足が特に痛い)
1900 座談会
2000 入浴
2100 就寝
3日目(30日)
2日目の朝の部分の日程とほぼ同じ。ただし、座禅はいちばん長かった。
0930「釈迦堂」の前で記念写真を撮り、迎えのバスで帰路についた。
終わってみれば短い研修日程であったが、僧侶の修行はたいへん厳しいものであることが分かった。小僧時代。3年篭山、6年篭山、常座三味、常行三味、100日なんとかその他の修行が一般社会の常識を越えた世界で行われている。やっぱり、あれは普通ではないことが理解出来た。
比叡山は昔から仏門の神聖な修行の場として栄えた所である。山は深く急で、良くこんな所に壮大なお堂を建てたものだと感心した。直径2メートルほどもありそうな杉の大木がそこらじゅうに太古のまま苔むしており、荘厳な感じさえする。
武蔵坊弁慶が修行したというお堂もあり、いまにもそのへんから「なぎなた」を振りかざした山伏が出てきても不思議でない雰囲気があった。本当に「すっげーなー」と言う気がしたから大したものである。
これが比叡山体験の感想だ。このシリーズでは前から述べているように、ずいぶんと感想文が簡略されている。もっともっと記録に残しておきたいことがたくさんあったはずだが、あまり詳しく書かれていないし、使われている文章(言葉)も幼稚なものが多い。が、当時はそのぐらいしか感想として頭に浮かんでこなかったのだろうし、文章を書く能力もその程度だったのだろう。
いま、この第10回配本を読んでみると、さすがに建築物の名称や言われなどはきちんと書かれている。また、表紙を撮った場所も実際に歩いていたから、その通りに見えた。10数年前の体験ではあったが、その時の情景が今、まざまざと思い出されるのが不思議な気もする。そのぐらい、強烈な印象だったのだろう。
これは、今も残っている「しおり」である。右側は裏だが、空色で印刷されている場所は、手前にある石段の途中から「根本中堂」を撮影したもので、第10回配本の表紙も同じ場所から撮影されているようだ。
また、3月下旬には、BSデジタル放送で「古寺をゆく」と題して、比叡山延暦寺が紹介されており、それを見ながら、この本を読みながら、更にあの体験を思い出すことで、極楽浄土へ安心して行けるのかな・・・なーんて。
「観自在菩薩行深般若波羅密多時照見五 皆空度一切苦疫舎利子色不異空・・・」