わいはまいね 能面三昧

写真付きで趣味の能面製作を紹介するブログ

焼き物も続いています

2011年08月31日 | 日記・エッセイ・コラム

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最近出来上がった「壺」だ。陶芸については随分と前に書いていたことがあって、それ以来の書き込みである。だからもう数年は経っているのかも知れないが、陶芸は相変わらず続けていた。本当はすっかり上手になって、教えても良いぐらいに上達しているはず。ところが、だ。どうしたことかさっぱりうまくなっていない。これにはいくつかの理由が考えられるが、それが解決される予定はない。

そもそも陶芸に限らず、趣味は常に身近なところで練習を続けていなければならないと思っている。幸いにして能面の場合は、自宅で作業の全部が完結できる環境にある。だから、毎日いやその気になれば朝から晩まで作業が出来る。従って自分では上手の部類に入ると思っている。しかし陶芸の場合は、週一回、公会堂での約2時間強の集まりで作ったり削ったり焼いたりと、各種の作業を行っている。自宅では一切作業はしていない。だから、製作にじっくりと時間をかけたり出来ないのだ。本当は毎日作業を行い、手で、体で覚える必要があることでも、それが週一回では覚えるよりも忘れてしまう方が早いのだ。したがって、いつまで経っても上達しないという結果になっている。

まあ、上達しないことを環境のせいにしているうちは、技術もこの程度だろう。「体験している」段階なのかも知れないが、陶芸を始めてから5年以上も経てば、そろそろ電動ろくろを自在に使いこなして、大物がもたやすく作れる時期のはずだ。が、それが出来ない。初心者が最初のに覚えなければならないと言われる「菊練り」すらまともに覚えていないのだから、電動ろくろなどまだまだ先の話だろう。

ということで、上の壺はなにか。実はこれは壺ではない。花瓶なのだ。しかも失敗した花瓶に細工をしてごまかしたものである。当初は外側がふくらんだ花瓶を作っていたのだが、口の付近で失敗し、そこを切り取ってしまった。そのままでも花瓶だったが、それでは格好が悪いので、別に筒を作って中に入れた。そして口の部分を細工してごまかした。その後、削りの段階で外側のふくらみに穴を開けて、中空にしたものなのだ。

私は知らなかったが、こんな作り方もあるようで、名前がついているらしい。失敗作をごまかすにしても、この程度に加工すれば名前がつくとは驚きだが、将来はもっと大物を作ってみたいものである。ちなみに今回作った花瓶は高さが約10cmほどの小さいもので、あまり見栄えはしない、ただ、時間を掛けてじっくり作れば、もっとおもしろいものが出来るという見本であろう。


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大空へ

2011年08月16日 | インポート

当地には「ミスビードル号」という飛行機のレプリカが展示されている。

それが下の写真。レプリカだから当然飛ばない。単に展示されているだけであるが、実物大の模型であり、その雰囲気は当然伝わってくると思う。数十年前当時の機体はいわゆる「帆布張り」が主流だから、それも再現されているので、機体は滑らかではない。

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展示物として鮮やかに彩色をされているから、見た目も楽しいのだ。これが実際に空を飛んだら、大いにそのロマンもふくらむだろう・・と言う話はいかにもありそうな事だろう。実はそれが実際に行われていた。細かい話はどっかのホームページに詳しく書いてあるので、それを参照すればわかる。

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これが、実機を元にして作られた「復元機」である。復元機と言うからには本当に空を飛べることが条件だが、これは簡単な事ではない。エンジンがついた飛行機を個人で作って飛ばすことなど、日本では容易ではないのだ。器用な日本人であれば、飛行機そのものを作り出す技術はあるだろう。が、作り出したものを実際に飛行させることが出来るかと言えば、それはまた別な次元の話になってくる。

手作りの飛行機といえど、日本の空を飛ぶためには様々な制約があると思う。一つは機体の安全性の確認やそれを認定する組織などもある(と思う)。詳しく知らないから思いつきで書いているが、日本の航空法もその障害の一つだろう。また、これを操縦するパイロットはどうか。

パイロットは日本にもいるかも知れないね。この場合、セスナ機程度の免許があれば可能かも知れないが、免許そのものに手作り飛行機を操縦できるという条件は無いかも知れない。更にはもっといろいろな難題も降ってくるに違いない。

ということで、実際にはこの復元機はアメリカで製作された。アメリカの雄志が大金を掛けてその製作にあたり、実際に飛行できるまでに完成させて、現地アメリカでフライトも行われたのだ。ただ、製作するにあたり、近年の制約などから昔の構造のままでは作ることは出来なかった様子も見える(想像の部分)。第一に主翼は「帆布張り」ではないようだ。見たところ金属だろう。尾翼も昔は布張りだったはずだ。そんなことから機体全部が金属かもしれないね。

エンジンや計器類、通信機類は現代的なものに入れ替わっているのはやむを得ないことだろう。アメリカには軽飛行機の製作会社もあるし、実際に多くの軽飛行機も飛んでいるだろうから、個々の部品もたくさんあるに違いない。再利用可能な部品も多く使われている気もするが、よく見たわけではないから不明だ。

レプリカと復元機の違いはいろいろなところに見えているものの、飾り物と実際に空を飛ぶ機体では違って当然だから、あれこれ文句は言わないことにする。

で、この復元機を日本で飛ばす試みが数年前から進んでいたが、紆余曲折を乗り越えて8月18日に実現することになった。このイベントに先駆け、テスト飛行があったようで、15日に偶然にも目撃したから報告しよう。

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これが実際に飛行している姿。自宅にいて突然聞こえてきたエンジン音に、外を見たら飛んでいた。慌てて撮ったのがこれだ。カメラを準備している間に頭上を通り過ぎていたが、かろうじて後ろ姿をとらえた貴重な写真である。公開飛行の当日は天候の関係で飛ばないかも知れないから、貴重なのだ。

さて、暇だから18日も出かけてみようかな。




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中将 その5

2011年08月03日 | 日記・エッセイ・コラム

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前にも書いた彩色の失敗した「中将」だ。小面と同様に真っ白ではなく、黄土色を混ぜていくらか顔色を出した格好に仕上げた顔の表面だったが、古色をかけた状態で上のようになってしまった。どう見ても汚い顔に出来上がったが、これも、今までの手順を変えたことにより起きた状態だから、結局は「完成前に古色を施すと失敗することがある」という教訓を得たことになる。今後はこの失敗はしなくなるから、これはこれで一つの勉強になったのだろう。

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失敗をものともせず・・と言いたいところだが、若干の悔いを残しながらも彩色を続けたところが、上の写真。あまり近くで見るものではないが、暗い場所やいくらか離れて見るぐらいなら、何とかごまかせるぐらいの出来映えだろう。作った本人としては不満もあるものの、やはり10年選手と言えども、「知ったかぶりをして基本をおろそかにすると、こんな風になるよ・・」という見本でもある。もっと慎重に教則本や先生の教えを守って作業を進めなければならないという反省や自戒も含めて、一応の完成を見てしまった・・・というあたりか。

今回の2面同時進行の作業では、急ぐ必要もなかった事にもかかわらずどんどん進めており、じっくり見直す気持を持たなかったところが、失敗の元だったのかもしれない。反省。





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