わいはまいね 能面三昧

写真付きで趣味の能面製作を紹介するブログ

慈童 その1

2013年05月21日 | インポート

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さて、能面塾の課題は「慈童(じどう)」だ。喝食も少年(青年に近い少年?)の顔だったが、この慈童はもっと若い少年の顔だろう。少年というより今で言う「小学生の児童」と言うあたりかも知れない。

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上の写真(と言うよりは先生が彫った見本)を元に、今回もまたたいした図面がないまま作成することになった。見本があるのでそれをメインの参考資料として彫っていけば、自ずと同じものが出来上がる・・というあんばい。もっとも、毎回言っているように同じものが出来る保証はないから、あえて同じにする必要もない。似ているものが出来ればそれで成功だろう。

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作業は15日から始まっているので概ね一週間ほどで作業は上の写真まで進んでいる。このあたりは顔の造作も出来上がっているから、すでに「中彫り」の段階に入っていると言えるだろう。
増女と2個同時進行しているから進み具合は早くはないが、一週間で2個を彫っているのだから、これでも早いかも知れない。

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比べてみたところ。左が「増女」右は「慈童」だ。やっぱり女面は面長に出来ているし、こうして比べてみるとわずかではあるが違いも見えてくるから、これはこれで面白いのかな?


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彫刻刀研ぎ機

2012年03月30日 | インポート

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「彫刻刀の研ぎ機」である。彫刻刀の研ぎ機は種類はそれほど多くはなく、数種類程度だ。従ってその中から選んで使うことになる。いま、私が通っている能面教室にも研ぎ機があって、普段はそれを使っていた。ただ、これは教室が開かれる時だけ利用可能であり、自宅での作業には一般的に金物店やDIY店で売られている彫刻刀用の溝のある砥石を使っていた。

教室で使っている彫刻刀研ぎ機は下の種類。

http://www.dougu.info/togiki/togikib.html

これは個人で使うのには良いのだがちょっと高い。また、一人で使うのがもったいないほどの性能だから、数人で使うあたりがちょうど良いと思う。だから、数人が学ぶ教室などにはうってつけであろう。で、今回私が購入した研ぎ機は下の種類だ。

http://www.michihamono.co.jp/product/togiki/mini.html#mini

値段も手頃だし、大きさも手頃だった。インターネットで買うと1割引というあたりが気に入って買ったものだが、本体の他にもあった方が良いオプションもあるようだ。砥石(ダイヤケアー)もそうだしボックスもあった方が良いみたい。特にグラインダーのようにパフが回転するので、周囲に粉塵が飛び散ってひどい状態になった。これを押さえるのが研ぎ機をすっぽりと覆う「BOX」。これに本体を入れて作業をすれば、粉塵がBOXの中に収まり、周囲も汚れない・・・という。

ま、今回は本体だけを買ったので、使いながら対策を考えてみようと思う。

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上の写真はこれまで10年ほども使っていた「彫刻刀用砥石」だ。ただの砥石だが、木の台を作ってはめ込み、使っていた。これを手元に置いて彫刻刀を研ぎながら使っており、その使い方には別に不自由はしていなかったものの、自称「能面師」が10年以上も小さな砥石で切れなくなった彫刻刀をチマチマ研いでいる姿は、なんとなく惨め。

と言うことで、今回は趣味の段階の人でも容易に手に入れることの出来る「彫刻刀研ぎ機」を買ったと言う話。ただ、すでに10年以上もランクが上の研ぎ機を使っており、それと比べてしまえば「使い勝手」が劣っているという評価になるかも知れない。が、「お値段以上ニトリ」ではないが、上手に使いこなせばそれはそれ、これはこれだろう。

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大空へ

2011年08月16日 | インポート

当地には「ミスビードル号」という飛行機のレプリカが展示されている。

それが下の写真。レプリカだから当然飛ばない。単に展示されているだけであるが、実物大の模型であり、その雰囲気は当然伝わってくると思う。数十年前当時の機体はいわゆる「帆布張り」が主流だから、それも再現されているので、機体は滑らかではない。

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展示物として鮮やかに彩色をされているから、見た目も楽しいのだ。これが実際に空を飛んだら、大いにそのロマンもふくらむだろう・・と言う話はいかにもありそうな事だろう。実はそれが実際に行われていた。細かい話はどっかのホームページに詳しく書いてあるので、それを参照すればわかる。

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これが、実機を元にして作られた「復元機」である。復元機と言うからには本当に空を飛べることが条件だが、これは簡単な事ではない。エンジンがついた飛行機を個人で作って飛ばすことなど、日本では容易ではないのだ。器用な日本人であれば、飛行機そのものを作り出す技術はあるだろう。が、作り出したものを実際に飛行させることが出来るかと言えば、それはまた別な次元の話になってくる。

手作りの飛行機といえど、日本の空を飛ぶためには様々な制約があると思う。一つは機体の安全性の確認やそれを認定する組織などもある(と思う)。詳しく知らないから思いつきで書いているが、日本の航空法もその障害の一つだろう。また、これを操縦するパイロットはどうか。

パイロットは日本にもいるかも知れないね。この場合、セスナ機程度の免許があれば可能かも知れないが、免許そのものに手作り飛行機を操縦できるという条件は無いかも知れない。更にはもっといろいろな難題も降ってくるに違いない。

ということで、実際にはこの復元機はアメリカで製作された。アメリカの雄志が大金を掛けてその製作にあたり、実際に飛行できるまでに完成させて、現地アメリカでフライトも行われたのだ。ただ、製作するにあたり、近年の制約などから昔の構造のままでは作ることは出来なかった様子も見える(想像の部分)。第一に主翼は「帆布張り」ではないようだ。見たところ金属だろう。尾翼も昔は布張りだったはずだ。そんなことから機体全部が金属かもしれないね。

エンジンや計器類、通信機類は現代的なものに入れ替わっているのはやむを得ないことだろう。アメリカには軽飛行機の製作会社もあるし、実際に多くの軽飛行機も飛んでいるだろうから、個々の部品もたくさんあるに違いない。再利用可能な部品も多く使われている気もするが、よく見たわけではないから不明だ。

レプリカと復元機の違いはいろいろなところに見えているものの、飾り物と実際に空を飛ぶ機体では違って当然だから、あれこれ文句は言わないことにする。

で、この復元機を日本で飛ばす試みが数年前から進んでいたが、紆余曲折を乗り越えて8月18日に実現することになった。このイベントに先駆け、テスト飛行があったようで、15日に偶然にも目撃したから報告しよう。

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これが実際に飛行している姿。自宅にいて突然聞こえてきたエンジン音に、外を見たら飛んでいた。慌てて撮ったのがこれだ。カメラを準備している間に頭上を通り過ぎていたが、かろうじて後ろ姿をとらえた貴重な写真である。公開飛行の当日は天候の関係で飛ばないかも知れないから、貴重なのだ。

さて、暇だから18日も出かけてみようかな。




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新パソコンへ その4

2011年05月18日 | インポート

前回「つづき」にしたものの、変な事象は相変わらず発生しており、いささか放り出している状況です。従って「解決していない状態」には変わりません。

変な事象は次のとおりでした。

1 電源を入れたときに、各種のファン類やパーツには電気は通じているのだが、画面には何も表示されない状態が数秒発生する。

2 その後、自動的に再起動動作が行われ、BIOS画面が表示されながら通常起動が始まって、Windows 7が正常に起動する。

1の動作を行っているときには、マザーボードに搭載されている8セグメントRED(マザーボードの動作を数値で表しているインジケーター:マニュアルでは「Q-Code LED」と呼ばれる)は止まっており、その後の再起動時では、様々な数値が表示されて、いかにも各種の機能チェックが行われている状態が見えています。

その状態になればWindows7の起動まで進むので、このインジケーターを見ていれば、止まってしまうのか正常起動できるのかが分かり、なかなか有効なインジケーターです。

さて、この症状が常に出るのかと言えばそうではなく、朝一番に電源を入れたときに発生することが多いのです。その後は、いったん電源を切った後であっても、再電源投入時には発生することが少ないのです。従って、このような症状を「コールドスタートに失敗する」という分類にもなります。一応はその原因と解決策もあるようで、本来はそれを行えば事象は解決することになっています。

原因その1

マザーボードのBIOS設定と、CPUやメモリの規格、周辺機器とのデータのタイミングなどが合わない場合。

原因その2はあまり考えられなくて、パーツの不具合であればまったく起動しないか、エラーメッセージなども発生しますから、別にします。したがって、その1が解決すれば、この症状は治まると考えられています。

さて、解決策は「各パーツのデータのタイミングを合わせる」事のようです。もともと、私が買ったマザーボードやCPU,メモリはオーバークロックに耐えられる規格になっています。そのため、特にメモリの規格やCPU規格に合わせたBIOS設定をする必要があり、それらの細かい設定が可能な、高機能なBIOSも搭載されています。ですから、それらの中身を良く理解でき、かつ適切に設定が出来る人は、最初からこんな状態にはなりません。そのようにBIOSを設定していますからね。

で、私もまねをしてBIOSの設定を少しだけいじってみました。で、いじった結果が「コールドスタートに失敗する」ところまで回復したと言うことです。その前は、Winodws7すら起動できずにBIOS画面で止まっていました。うーん面目ない。

と言うことで、もう少しBIOSの各種設定を吟味して、うまく起動できるようにしたいところですが、まだそこまでたどり着いていない・・・という毎日です。その設定部分は見当は付いているのですけど、まだ試していません。相変わらず「コールドスタートに失敗する」現象が起きている・・・という、情けない「パソコンマニア」の現状を報告しているところです。これがもう一週間以上も続いているから、早くに解決しなければ・・・と考えていますが。(陰の声:早くやれ)

これらの失敗で反省する事と言えば、自分の能力以上のパーツを買って、組み立てるな!!ということでしょう。もう一ランク安いパーツで組めば、こんな面倒な事態は起きなかったと思います。恐らく素直に一発で正常な状態で完成したでしょう。ただ、それでは面白くない・・・と言う気持ちもあります。もともと、いくらか面倒な事態が起きたとしても、「それを解決しながら完動成品に持って行く」ことも、今回の「新パソコンへ」の大きな目的ですから、せっかく大金をつぎ込んで「最後のパソコン」と称したからには、もっと長い時間、楽しみを長続きさせていなければ、もったいないという事になります。

という言い訳をつけて、小休止。

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地デジ化 その3

2011年02月24日 | インポート

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地デジチューナーである。アナログテレビに繋げば、地デジが見られるという「うたい文句」の商品である。話の種に購入したが、上手い具合に地デジが写ったから、良しとしよう。

実は、我が家にはすでに40インチの液晶テレビが2台ある。このため、今更地デジ環境を整えたという言うほどではないが、まだ地デジ化されていないブラウン管テレビも2台ほどあるのだ。そのうちの1台が10年ほど使っていた28インチのワイドテレビであり、これを捨てるのはちょっと忍びがたい。寝るときにちょっと見る程度だし、わざわざ新規に液晶テレビと交換するのも悔しいから、細工をして延命措置を施す程度でも良いだろうと、密かに地デジチューナー探していたというところ。

いろいろ探していると、たくさんの種類があるもので、選ぶのも大変。まあ、本人の利用形態でその種類が決まるのは承知しているから、その希望にあった商品を選べばよい・・・のは分かっていたが、地デジが写ればよいものから、BS放送やCS放送、あるいは外付けHDDに録画も出来るとか、パソコンディスプレィに接続してもテレビが見られるなど、多機能を売り物にした商品も含めて、随分と多くの種類があった。

私の希望は「地デジが見える、BSも見える」だから、映像出力はコンポジットさえあれば、何とかなる。テレビそのものにはD4端子やHDMI端子などの高画質な入力端子はもともと付いていないから、RCAピン入力だけでOKなのだ。更には、安定した動作やリモコン操作のしやすさなどを考慮した結果、東芝のD-TR1(Made in China)にしたという具合である。もっとも、この商品は、15,000円ほどであり、地デジチューナーのジャンルでも高額な部類に入る。もっと安いのもあったが、比較検討して自分が選んだのだから、「まあいいか」。

接続は簡単だ。アンテナ線やピンプラグ、電源などを接続し、チャンネルを自動選局させて、ケーブルテレビからの地デジ番組を登録して、OKだった。もちろんBSデジタルも受信できたから、当初の目的は達成されたというあたりか。ただ、ここで一応、10年前のワイドテレビに、今の横長番組が上手い具合に画面上に収まるかというところが気になった。

もともとこのテレビは、ワイドテレビと言っても、単に昔の4:3の画面を電気的に横長にするだけの機能しか持っていない。フル、ズーム、ワイド、ノーマルなどの選択機能はあるようだが、所詮4:3の番組を拡大するだけ。だから、地デジ用の16:9の画面表示が切れることなく、このワイドテレビに表示されたら、これは儲けものだろう。

ということで、テレビとチューナーの各種設定をいじくったところ、なんと上手い具合に16:9の地デジ放送が、この10年前のワイドブラウン管テレビに収まったのだ。設定は、地デジチューナーの出力設定を16:9にして、ワイドテレビの設定を「フル」にした。そうすることで上下や左右に黒帯も入らずに、ほぼ画面いっぱいに地デジ(もちろんBSも)放送が表示されたというところだ。

一件落着して、その夜、BSデジタルを見ていたところ、突然画面が消えた。しかも例の「BSアンテナの接続が不良で受信できません」というたぐいの警告画面が出た。なんと・・・早速、アンテナの接続やBSアンテナへの電力供給などをチェックしつつ、考えられる対処を行い、結果的に分配機をCS放送まで使えるものに交換した。その後は上手い具合に受信できているから、原因は古い規格の分配機にあったのかと思うものの、きちんとした原因は不明である。もしかして、また同じ不具合が発生するかも知れないので、要注意だろう。

残りの21インチブラウン管テレビ1台は、いずれアナログ放送が終了するまでには、液晶テレビに交換することになろう。

ということで、タイトルの「地デジ化 その3」は、3台目のテレビが地デジ化したという、つまらない話・・・でした。

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