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katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

更に今日もユーミンママの新作

2015-12-09 06:36:18 | モザイク作家
今日はお教室の変更があって作品作りとなる。通常作品作りは2通りあって1つは模様としての繰り返しのような、思い入れとか感情とかなんて全く無しのひたすらきちんと切る、張るって遂行して行くものと、何か気持ちが入ってこうした生き物だったりすると、動かないかな?みたいに思ったり、

金魚を作っていても2匹作ると、夫婦とか親子とかそのお客さんの状況だったりを考慮に入れて作ったりすると、思い入れとしての気持ちが変わる。
そんな事を考えると、同じパーツを入れれば良いだけ・・・・って進めるのと、こっちよりもこっちの方がリアルかな・・・とか、

2人泳いで行く・・・と考えたりすると、誰に言われたでも無くプレッシャーが掛かったりする。そこには正解なんて何処にも無いし、それ故にこれかな?これかな?って探しながらやるので、1つのパーツのデザインが決まったら1周グルッと進めるって言う幾何学模様とは重みが違うのね。

だから気持ちが削られて行くものなのね・・・・そもそも思ったように進める日よりも進めない日の方が多いだろうから。でも、その繰り返しをし続けるといつか完成して、その気持ちを削った作品の重みは作品の重みになったりする。それを知っているからこそ、簡単には進めなくなるし、

上手く行かなかったりすると、どんよりした気分にもなる。こんな葛藤の繰り返しなのね・・・・ただ肝心なのは作り手自体の気持ちが取り組む姿勢として作品の重みに負けているいるようだと飲まれてしまうし、舐めて飲み込もうなんてやると、その果てしなさに逆に飲み込まれてしまったり、

いずれにせよ、そう言う事が作品作りにはある。って事を何度と無く作っているので経験値があるが、だから慣れるのも嫌だし、消極的になるのも嫌。
けれど何の何処がそんな気持ちになるのか?って考えたりすると、もはや何がなんだか判らなくなりそうになる。

けれどどうしてもそれを判って進まないとならない・・・・何故なら先生もやっているから。人にモノを教えるって言うのは、先人として失敗するって事でもあるし、成功するって事でもある。それをどうやって良くも悪くもそうなったか?そしてどうやって立て直しをしたりしたか?

こう言う事を考えずに1人進むのなら作家と言えば済むし、それを教える前提と言うのなら先生になるのだろうね・・・・きっと。
こう言う事を昔よりも考えるようになった。もし本当にそうなら、少し先生よりに作家やっているのかも知れない・・・・。

昔は純粋に作家やってたかもな・・・・。まっ、その内そう言う事もあるだろうけれど・・・・。って、こんな振り返りを完成前に出来るのは、落ち着いている証拠なんで余裕があると思われる。

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