今日はくじら教室。まぁ言われて気が付いたんだけれど、私の教室の日また雨・・・・って。遠くから来るんだから、出来る事なら晴れにしてあげたいけれど・・・・そんな事出来ないしね・・・・。ただ今日のヒットはそれじゃなくて、キーワードはや・さ・ぐ・れ・・・・。
来るなり雨の話と、自宅で進めているぺきぺきのトレイの話になったんだけれど、やさぐれちゃいましたよ・・・・って言うのね。
今の話から言えば、私の時ばかり雨でやさぐれちゃいますよ・・・・なんて感じに使うと思うのだけれど・・・そうじゃなくて自宅のトレイ作品作りで。
そう言う意味らしいんだけれど・・・・じゃ本人の感想と見る側での感じ方の違い・・・そんなものを体感して見て欲しいのね。

綺麗に文字を作っているでしょ?それがね、つくづく思いました・・・・銘木を彫って貰っている文字と何も無い場所を張る文字の違いを・・・。
彫ってあると簡単・・・ってね。それが1日一文字やろう・・・って進めたんだけれど、漢字になると中々終わらないし・・・。
もうこれで良いのかな・・・・ってやさぐれながらやりました・・・・って。あははははは、言葉こそやさぐれ・・・なんて言葉だけれど、本人の気持ちとはうらはらで作品はとても良くないかな?・・・・・とても綺麗に仕上がっているのね。
そこで何故そう言う事になったか?の解説になるのだけれど、やさぐれ感は、作品の内容では無く精神的なものって話なのね。じゃ何故そんな気持ちになったか?って事になるのだけれど、まずは彫ってある下地でぺきぺきでやった事があり、それと比較したって事になる。
つまりやった事があったって油断したのね。1度出来たから・・・ってね。だから、その気持ちを立て直さないとならなくなった。えっ、難しいじゃん・・・・あんまり進まないじゃん・・・・ってね。それを1日1文字・・・って切り替えたって感じだと思うのね。
って事はもっと進む気でいた・・・・って事になるでしょ?ただそんな思いを1日1文字って決めた事で欲張らないって感じになったとは思うのだけれど、ここが問題で恐らく順番にやったと思われるのね・・・・そもそも今の段階の話は気分・・・って話なのね。
簡単とまでは言わないが、1度やったし何とかなるはず・・・・しかも大体この位の時間で・・・・って完成時間まで決まっていたと思うのね。
だから立て直ししたのが1日1文字って決めたんだろうけれど、画数が違うのだから、早く終わる日とそうで無い日はあるでしょ?
しかも気分って話なのだから、時間の余裕がある日とそれ程では無い日なんて事もあるのに、順番に進んだらきつい日だって出て来ちゃう。
そこまで立て直したなら、今日は楽な画数の少ない文字・・・・とか、今日は時間があるから画数の多い漢字・・・とか、そんな操作もあった方が、
より効果的だと思うのね。これで気分って話はそこそこ解決するのね。そうする事で、早い遅いは無くなりいつも同じ位の進み方になるからね。
それによって進んだの進まないのって気分にならなくなる。それと彫っているのといないとでは何が違うか?って事なんだけれど、
それも実はその気分ってものを操作出来る矯正ギブスみたいなもんなのね・・・・要するにその気分ってものを安定的にするって事にも繋がるのね。
何しろ入らない事には進めない。そんなの当たり前じゃん・・・って思うだろうが、そこに個人差が生まれるのね。
何しろ人は気分に左右されると言うのなら、例えば入ったラッキー・・・・って進める人なら、入ったって言うセリフでお分かりだろうが、かなり流動的な感じで、つまり切り直さなくて良かった・・・・って言っているようにも思える。つまりラッキーを喜んでいる事で言えば、
切り直しを極端に嫌っているようにも思える。そんな状況の人にはこれで良いのか?ダメなのか?の判断材料になる。つまり入れば進める・・ってね。
だから入らなかったらダメ・・・こんな単純に進める。では同じ下地を文字幅をピッタリ合わせて作る人だったとする。どうなる?・・・
そう何度も何度も切り直して、きちんとピッタリ入るまで、合わせては切り直し、切り直しては合わせるの繰り返しをして進んでいるよね?
つまりそんな人のラッキーは、仮にその繰り返しを1パーツ5回やってたものが3回でピッタリあった・・・・・って表現になる。
つまり同じラッキーって言葉でも大きく意味が違うのね。じゃこんな違いがあったとして、くじらはどんな気分でどんな仕上がりを理想に進めていたのか?って考えて見れば一目瞭然。これだけピッタリ幅を合わせれば時間も掛かるし、もっと大事なのは判定する基準が無い事なのね。
要するに彫ってある場合、その下地を最初の入ったらラッキーの進め方の場合もピッタリの場合も、彫ってある木が基準になる。だから本人に決定権があっても、ある程度の目安って言う点では、最高点も最低点も入った様子となる。
それが何も無く自由となり、自宅で進むとなり、更にピッタリ合わせるを選んで進めていたとしたら?タイルも自宅で進むのも何も変わらないのに、今回やさぐれたのは・・・彫って無い自由なスペース・・・つまり自分の判断で良し悪しを決めて進める・・・この判断がやさぐれた原因なのね。
その判断を初めてしているようなものなのね。しかも何も無い自由なスペースでの作品を自宅でやるのは初めて・・・・だもの悩んで当たり前だし、そう言う事を踏まえて見たら、逆に上出来なのね。良くここまでやったのね。
ここまで来れば今まで通りに慌てず、しかもバックはもっとルーズな感じで、そうね・・・一番最初の金魚のバックよりも綺麗に見えるくらいに・・・間違ってもピッタリ入れようとせずに・・・・ってやれば、恐らく大成功をすると思われる。
もしそうなったとしたら、ここからが本当に大事な事で、完成したらそのグレードを自宅で1人で作れた事。つまり習った・・・では無く、習得した事になる。そうもうこの程度の作品なら俺いらずって事になる。それこそが上手くなった・・・なのね。
習うって言うのは側に俺ありき。けれど習得って言うのは、その習った事で1人で作れるようになるって事なのね。全く違う意味なのね。
更にそれから続くのは、やさぐれ作品が人に評価を貰ったとする。つまりその人はその作品のグレードの人と言う基準になる。
要するに自分の身を下に置けば楽になる・・・・とはそう言う事で、人に評価されるって言うのは、自覚が無いとやさぐれ作品と思った自分とのギャップに、次の作品はあの人の作品・・・・って注目されるって事になるのね。
ここが厄介なんだけれど、そうみんな趣味なのね・・・・あはははは。更にビックリなのは、くじらは話だけでも良いって言っちゃう人。
つまりモザイクはついで・・・って言うスタイル。だもの、これを見れば判るのね。

そう確かに途中日高氏が来た事もあるが、あんまり進んではいない。しかも、進んではいないけれど、前回よりは進んでるじゃん・・・って声を掛けると、そんなに真面目にやっちゃダメだわっ・・・私。って言っちゃうくらい根詰めないように・・・ってやっているのね。
そうね、例えばこのスタイルを運転免許で例えると、普通の人はモザイクを習いに来ているのだから、モザイクをしに来るでしょ?つまり運転重視って感じだとすると、くじらや班長は実地の運転ってよりも学科を取り組んでいる・・・・そんな感じ。
要するにオリジナル製作と言うのは、技術もそうだが、どうやってそこにたどり着くか?とか、失敗からの脱出の仕方とか、立て直し方、予期、と自分自身を知るって言う事はとても大事な事で、作る技術も必要だけれど、作り手は人なのね・・・・。気分1つで大きく変わるもの。
そう言う点では、くじらのモザイクにはまだプレッシャーを感じる程のものは無いが、こうして1つのオリジナル作品を完成させた時に、少しづつ何かが変わって行くものだけれど、割と安定感はあるので、今の所は心配は無いと思うのね。
そんな中、1つ面白い事があって、日高氏が新作を見つけて・・・・これ凄いなって言うのね・・・・


さて一体、日高氏はこの作品の何を見て凄いって言ったのか?なんだけれど、まぁ想像は付いてはいるが、スルーして話を聞いていると、明らかに触っている場所が寄木の部分・・・・だよね・・・・おいおい。けれど、もう少し引き伸ばそうとして、何がぁ?って質問したのね。
すると、この木だよ・・・って言うので、ホームセンターの工作コーナーで見つけたんだ・・・・って言うと、凄い大変だったろっ・・・・って言うのね。あれ?何か勘違いしているのかな?・・・・木は1cmに切ってあったんだよっ・・・・って言うも、それにしてもよぉ・・・・って。
ブラボーなのね。それを理解しても凄いって言うのだからね。そもそもこんなの初めてやったのだから、そこそこの評価でも良いのに、凄いって言うのだから、結構な評価を頂いた訳で・・・・。大体こっちでその評価なら、得意なのはモザイクな訳で・・・・。
点が下がるとは思えない。ただ木は良いが、金魚が見づらいなっ・・・・って。それも予定通り。はっきり見せるつもりならこんなやり方はしない訳で・・・・見づらくしているのだからね。つまり日高氏は俺の思っている通りの評価をした事になる。もっと言えば寄木の点数は割りと上々。
結局、モザイクとしてはモチーフが気に入らないと喰い付きが悪く、見た事の無いものには眼が行き、そちらを重点的に見るから、質が問われる。
けれどもしそこの点数が良ければ、初めてやる事なんだから伸びしろはある。今後はもっと手際良く出来るようになるだろうし・・・・ね。
要するにモザイクから離れなければ、トッピングは自由・・・・そのトッピングの良さで目先を変える・・・って事になる。
つまりバックも全部のモザイクを直球とするのなら、こう言うスタイルは変化球って話。いかに見た事の無い玉が投げられるか?なんだけれど・・・・
何でもかんでもやる時間もお金も無いから、いかに敏感に世の中にあるものと合体するか・・・・になる。まっこんな考え方は、仮面ライダーv3の石森章太郎さんに教わったのね。怪人を何かと生き物を合体して、カメバズーカー・・・・みたいなね。新しいものってのはこうして作るってね。
所詮、俺のアイデアなんてのはこの程度なのね。あははははは。ただね、まずは何でも良いから変わっていないと・・・・。純粋なモザイクに関しては何も曲げる事は無いのだから・・・・変化させるのはバック・・・・。こっちは臨機応変にね。
来るなり雨の話と、自宅で進めているぺきぺきのトレイの話になったんだけれど、やさぐれちゃいましたよ・・・・って言うのね。
今の話から言えば、私の時ばかり雨でやさぐれちゃいますよ・・・・なんて感じに使うと思うのだけれど・・・そうじゃなくて自宅のトレイ作品作りで。
そう言う意味らしいんだけれど・・・・じゃ本人の感想と見る側での感じ方の違い・・・そんなものを体感して見て欲しいのね。

綺麗に文字を作っているでしょ?それがね、つくづく思いました・・・・銘木を彫って貰っている文字と何も無い場所を張る文字の違いを・・・。
彫ってあると簡単・・・ってね。それが1日一文字やろう・・・って進めたんだけれど、漢字になると中々終わらないし・・・。
もうこれで良いのかな・・・・ってやさぐれながらやりました・・・・って。あははははは、言葉こそやさぐれ・・・なんて言葉だけれど、本人の気持ちとはうらはらで作品はとても良くないかな?・・・・・とても綺麗に仕上がっているのね。
そこで何故そう言う事になったか?の解説になるのだけれど、やさぐれ感は、作品の内容では無く精神的なものって話なのね。じゃ何故そんな気持ちになったか?って事になるのだけれど、まずは彫ってある下地でぺきぺきでやった事があり、それと比較したって事になる。
つまりやった事があったって油断したのね。1度出来たから・・・ってね。だから、その気持ちを立て直さないとならなくなった。えっ、難しいじゃん・・・・あんまり進まないじゃん・・・・ってね。それを1日1文字・・・って切り替えたって感じだと思うのね。
って事はもっと進む気でいた・・・・って事になるでしょ?ただそんな思いを1日1文字って決めた事で欲張らないって感じになったとは思うのだけれど、ここが問題で恐らく順番にやったと思われるのね・・・・そもそも今の段階の話は気分・・・って話なのね。
簡単とまでは言わないが、1度やったし何とかなるはず・・・・しかも大体この位の時間で・・・・って完成時間まで決まっていたと思うのね。
だから立て直ししたのが1日1文字って決めたんだろうけれど、画数が違うのだから、早く終わる日とそうで無い日はあるでしょ?
しかも気分って話なのだから、時間の余裕がある日とそれ程では無い日なんて事もあるのに、順番に進んだらきつい日だって出て来ちゃう。
そこまで立て直したなら、今日は楽な画数の少ない文字・・・・とか、今日は時間があるから画数の多い漢字・・・とか、そんな操作もあった方が、
より効果的だと思うのね。これで気分って話はそこそこ解決するのね。そうする事で、早い遅いは無くなりいつも同じ位の進み方になるからね。
それによって進んだの進まないのって気分にならなくなる。それと彫っているのといないとでは何が違うか?って事なんだけれど、
それも実はその気分ってものを操作出来る矯正ギブスみたいなもんなのね・・・・要するにその気分ってものを安定的にするって事にも繋がるのね。
何しろ入らない事には進めない。そんなの当たり前じゃん・・・って思うだろうが、そこに個人差が生まれるのね。
何しろ人は気分に左右されると言うのなら、例えば入ったラッキー・・・・って進める人なら、入ったって言うセリフでお分かりだろうが、かなり流動的な感じで、つまり切り直さなくて良かった・・・・って言っているようにも思える。つまりラッキーを喜んでいる事で言えば、
切り直しを極端に嫌っているようにも思える。そんな状況の人にはこれで良いのか?ダメなのか?の判断材料になる。つまり入れば進める・・ってね。
だから入らなかったらダメ・・・こんな単純に進める。では同じ下地を文字幅をピッタリ合わせて作る人だったとする。どうなる?・・・
そう何度も何度も切り直して、きちんとピッタリ入るまで、合わせては切り直し、切り直しては合わせるの繰り返しをして進んでいるよね?
つまりそんな人のラッキーは、仮にその繰り返しを1パーツ5回やってたものが3回でピッタリあった・・・・・って表現になる。
つまり同じラッキーって言葉でも大きく意味が違うのね。じゃこんな違いがあったとして、くじらはどんな気分でどんな仕上がりを理想に進めていたのか?って考えて見れば一目瞭然。これだけピッタリ幅を合わせれば時間も掛かるし、もっと大事なのは判定する基準が無い事なのね。
要するに彫ってある場合、その下地を最初の入ったらラッキーの進め方の場合もピッタリの場合も、彫ってある木が基準になる。だから本人に決定権があっても、ある程度の目安って言う点では、最高点も最低点も入った様子となる。
それが何も無く自由となり、自宅で進むとなり、更にピッタリ合わせるを選んで進めていたとしたら?タイルも自宅で進むのも何も変わらないのに、今回やさぐれたのは・・・彫って無い自由なスペース・・・つまり自分の判断で良し悪しを決めて進める・・・この判断がやさぐれた原因なのね。
その判断を初めてしているようなものなのね。しかも何も無い自由なスペースでの作品を自宅でやるのは初めて・・・・だもの悩んで当たり前だし、そう言う事を踏まえて見たら、逆に上出来なのね。良くここまでやったのね。
ここまで来れば今まで通りに慌てず、しかもバックはもっとルーズな感じで、そうね・・・一番最初の金魚のバックよりも綺麗に見えるくらいに・・・間違ってもピッタリ入れようとせずに・・・・ってやれば、恐らく大成功をすると思われる。
もしそうなったとしたら、ここからが本当に大事な事で、完成したらそのグレードを自宅で1人で作れた事。つまり習った・・・では無く、習得した事になる。そうもうこの程度の作品なら俺いらずって事になる。それこそが上手くなった・・・なのね。
習うって言うのは側に俺ありき。けれど習得って言うのは、その習った事で1人で作れるようになるって事なのね。全く違う意味なのね。
更にそれから続くのは、やさぐれ作品が人に評価を貰ったとする。つまりその人はその作品のグレードの人と言う基準になる。
要するに自分の身を下に置けば楽になる・・・・とはそう言う事で、人に評価されるって言うのは、自覚が無いとやさぐれ作品と思った自分とのギャップに、次の作品はあの人の作品・・・・って注目されるって事になるのね。
ここが厄介なんだけれど、そうみんな趣味なのね・・・・あはははは。更にビックリなのは、くじらは話だけでも良いって言っちゃう人。
つまりモザイクはついで・・・って言うスタイル。だもの、これを見れば判るのね。

そう確かに途中日高氏が来た事もあるが、あんまり進んではいない。しかも、進んではいないけれど、前回よりは進んでるじゃん・・・って声を掛けると、そんなに真面目にやっちゃダメだわっ・・・私。って言っちゃうくらい根詰めないように・・・ってやっているのね。
そうね、例えばこのスタイルを運転免許で例えると、普通の人はモザイクを習いに来ているのだから、モザイクをしに来るでしょ?つまり運転重視って感じだとすると、くじらや班長は実地の運転ってよりも学科を取り組んでいる・・・・そんな感じ。
要するにオリジナル製作と言うのは、技術もそうだが、どうやってそこにたどり着くか?とか、失敗からの脱出の仕方とか、立て直し方、予期、と自分自身を知るって言う事はとても大事な事で、作る技術も必要だけれど、作り手は人なのね・・・・。気分1つで大きく変わるもの。
そう言う点では、くじらのモザイクにはまだプレッシャーを感じる程のものは無いが、こうして1つのオリジナル作品を完成させた時に、少しづつ何かが変わって行くものだけれど、割と安定感はあるので、今の所は心配は無いと思うのね。
そんな中、1つ面白い事があって、日高氏が新作を見つけて・・・・これ凄いなって言うのね・・・・


さて一体、日高氏はこの作品の何を見て凄いって言ったのか?なんだけれど、まぁ想像は付いてはいるが、スルーして話を聞いていると、明らかに触っている場所が寄木の部分・・・・だよね・・・・おいおい。けれど、もう少し引き伸ばそうとして、何がぁ?って質問したのね。
すると、この木だよ・・・って言うので、ホームセンターの工作コーナーで見つけたんだ・・・・って言うと、凄い大変だったろっ・・・・って言うのね。あれ?何か勘違いしているのかな?・・・・木は1cmに切ってあったんだよっ・・・・って言うも、それにしてもよぉ・・・・って。
ブラボーなのね。それを理解しても凄いって言うのだからね。そもそもこんなの初めてやったのだから、そこそこの評価でも良いのに、凄いって言うのだから、結構な評価を頂いた訳で・・・・。大体こっちでその評価なら、得意なのはモザイクな訳で・・・・。
点が下がるとは思えない。ただ木は良いが、金魚が見づらいなっ・・・・って。それも予定通り。はっきり見せるつもりならこんなやり方はしない訳で・・・・見づらくしているのだからね。つまり日高氏は俺の思っている通りの評価をした事になる。もっと言えば寄木の点数は割りと上々。
結局、モザイクとしてはモチーフが気に入らないと喰い付きが悪く、見た事の無いものには眼が行き、そちらを重点的に見るから、質が問われる。
けれどもしそこの点数が良ければ、初めてやる事なんだから伸びしろはある。今後はもっと手際良く出来るようになるだろうし・・・・ね。
要するにモザイクから離れなければ、トッピングは自由・・・・そのトッピングの良さで目先を変える・・・って事になる。
つまりバックも全部のモザイクを直球とするのなら、こう言うスタイルは変化球って話。いかに見た事の無い玉が投げられるか?なんだけれど・・・・
何でもかんでもやる時間もお金も無いから、いかに敏感に世の中にあるものと合体するか・・・・になる。まっこんな考え方は、仮面ライダーv3の石森章太郎さんに教わったのね。怪人を何かと生き物を合体して、カメバズーカー・・・・みたいなね。新しいものってのはこうして作るってね。
所詮、俺のアイデアなんてのはこの程度なのね。あははははは。ただね、まずは何でも良いから変わっていないと・・・・。純粋なモザイクに関しては何も曲げる事は無いのだから・・・・変化させるのはバック・・・・。こっちは臨機応変にね。