katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

リピーターさん教室とユーミンママの新作目地入れ

2015-12-10 20:10:48 | モザイク教室
朝かぐやと話をしていると、昨日のみどりの話になって、そうね・・・かぐやのペガサスの頃の話を思い出した・・・って話をしたのね。
その頃のかぐやはまだそれ程本気な下絵を描いていなくて、馬を見て来い・・・ってどやしたのを覚えている。

それからあっという間に上手くなり、もう特に奴に言う事が少なくなった。あの作品は今のかぐやを大きく変えた作品かも知れない。
ただ今から考えると、まだ荒々しく今のかぐやの垢抜けた作品までとは行かないが、あぁこんなに上手くなったのかぁ・・・・と思った。

それからたった数点でライバルでも結構・・・と言わせるのだから、本気で取り組む凄さって言うのを感じる訳で・・・。
そんなかぐやがブログに載せるのぉ・・・高飛車だと思われるじゃん・・・・と言ってたが、あえて使う事にしたのは・・・・。

ついついみんなが見ているから・・・と意識するが故に綺麗な作品を作ろうとするとそう言う事になるんだよね・・・って言ったのね。
ほぉ・・・いっぱしな事を言うようになったのね。それで・・・じゃどうしろって?と更に聞くと、かぐやなら・・・と言う前提でって事で言うと、

そもそも旅立つ娘を描くのなら、振り向かずに前を向かせる・・・って言うのね。ほぉお見事だわっ。って事は半身の状態では迷っているように思えるって訳ね・・・・。そうね、外へ出る事を躊躇しているように・・・例えば、外の世界が怖いのか?心残りが内側にあるのか?って感じにね。

勿論、逆にその迷いを描いているのなら、マリッジブルー的なシーンにも思える訳で。更に作品とは自分自身と言うのなら、娘自体を使って、置いて行かれる母の気持ちとして振り向いて・・・・と振り向かせているようにも思えるし、いずれにせよ、どう言う気持ちを描こうとするか?が問題になる。

まぁいずれにせよ、何をどうしようが、これからモザイクが始まればタイルを切るだけ・・・・もう切る人に負担を掛けないような下絵に取り組む・・・そんな下絵と向き合うやり方になっても良いだろう。これがタイルをやっとやっと切っている人なら、モザイクのみに専念する事が正しいのね。

もうみどりは弟子になったんだし、切る事に頼り切るモザイクでは無い、下絵の向上に時間を掛ける・・・・って所に来ていると思うのね。
そんな中、リピーターさん教室となるが、正直子供がいないから、この正解が判らない・・・・。そこで正解を見て見ると、違和感のあった顔は、

メロンパンだったのね・・・・なるほど、だからこう言う切り方になったのね・・・・良く考えてはいる。こうなると最後のキャラとなるが、恐らく単なるクラッシュで良いとなると、一番簡単に終わるだろうから悩み事は少ないと思われるのね。

そんな中、ここまでの腕になると何が起こっているか?となると、黒いタイルで線で描いている部分やはっきりしている丸だのの眼なんてしっかりした部位は簡単にこなしている。ただここまで来ると、きちんとしている部分よりも自由な空白部分が難しく感じるかも知れないのね・・・。

いずれにしても、これは遊びなんで大きくは口出し無用。無理なく終わらせ、似ているね・・・って言う出来でプレゼントして喜ばれる。
ここにたどり着けば良いのね。そんな後は、ユーミンママの新作となる。


何だかんだで終わりはあっけなく・・・・・後はモザイク以外の事のみ。まっ、こんな仕上がりだったと思う・・・思い描いたものはね。
寄木風味がそこそこ上手く行ったのが何より。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

みどり教室

2015-12-10 07:44:22 | モザイク教室
今日はみどり教室。ただ弟子として向かえる1日目だったと思うんだけれど・・・・いずれにせよ、お客さんでも趣味でも無く上手さの追求の身なのだから話しは簡単で、自分の思い描くものと真摯に向き合わせる・・・・ただそれだけ。

そんな中、来るなり金魚は何もやってませんが・・・・と新作の下絵を是正して来た。


前回のラフ画の時は、この女の人が全身描かれていて、教会の門みたいなものを押し開けていた・・・・。ただそれを全て描こうと思うと2mくらい無いと無理だな・・・・って言う事で、ここで言いたい事は何か?が大事で、例えば女の人が教会の門さえ開ければ問題ないだけなら、もっとアップにすれば、

小さいスペースに入るよね?・・・・と、例えばって言った通りに描いて来たんだろうね・・・・。ただその意識は全く無く、自分なりに考えたらこうなった・・・・と思ってね。その証拠に・・・・とこれからの質問にどんどんと追い込まれる事になる。

じゃ質問ね。本当にこの下絵で自分のやりたい事が出来たのかな?・・・・って言うと、えっ・・・・って顔をする。ほらね、恐らくそんな事だと思ったのね。良くこんな質問をされたらビックリして・・・えっ?って言う事だってある・・・・なんて人もいるのね。

確かにそう言う場合もある。しかしながら、みどりとなるともう弟子・・・・そんな見間違いはほぼ無い。つまりこの、えっ?は完全にまさかの質問の戸惑いのえっ。じゃその理由は?・・・戸惑いなら、しっかり質問さえ把握すれば、ちゃんと答えられるはずなのね。

じゃ落ち着いてから聞かせて貰おうか?って事になる。前回こんな話もしたのね。例えばかぐやの作品。女の人、花、そして教会。この3つのモチーフの大きさがほぼ同じで、みんながみんなで主張するも全てが溶け合っている。だから素敵に見えるとね。

そんな話も踏まえて、考えて来たとも思うのね・・・確かに。じゃ、こんな事もあったよね?・・・趣旨無く額のペンキの塗り直し。木を生かしたままのナチュラルな油塗りから、豪華絢爛にもなる金への変更。そんな失敗もあった。さてこんな事も踏まえて・・・・。

もう一度確認する。一番大切なのは何?・・・・すると、女の人がウエディングドレスで教会の門を開けていて、外には花とか・・・・始まったのね。
これが常にみどりが失敗する原因なのね。俺の質問は一番大切なのは何?だったのね。それを何もかもなに1つ譲れない・・・って主張に聞こえる。

じゃその主張を自分の是正して来た下絵をフリップのように、紙芝居のように使って挿絵のようになっているか?どうか確認してみっ・・・って話。
俺には妥協して無理くり入れて来た・・・に見えるんだけれどいかがなもんか?・・・・って事になる。

じゃ一旦白紙にする。何か理想とする資料を出してみっ・・・・って言うと、全身が写っているものが2点あったのね。1つは確実に立派な教会からってものと、もう1つはホテルの教会のような場所のもの・・・・・ねぇ、この2つとも、みどりの口にしている説明通りじゃん。じゃどっちでも良いよね?

って、えぐるように聞いて見た。すると、嫌、こっちの方が・・・・って指を指すのは前者の教会の方。だよね・・・だと思った。
全く持ってのばかちんである。あれほど同じ失敗をするなっ・・・と教えているのに、また同じ繰り返しをする。

ねぇそれってみどりだけが判っている事で、人にきちんと伝わっている?何がどうしたいって?そんな曖昧な表現ではこうして誤解を招くんじゃないのかな?つまり俺が当てただけで、それできちんと伝わっていたのかな?・・・・・自分の思う事をね。

ではこれを見て。


みどりの話をまとめると、恐らくメインはウエディングドレスの花嫁さんとなる。だからこれは全身。これだけは曲げられないもの。
けれどメインなのに後ろ姿。つまりメインなんだけれど、この人と連動して大事なものは、扉の向こうに未来が見えるように・・・何だと思うのね。

それをみどりの表現は、ウエディングドレスは教会・・・って事なんだろうね。じゃ教会なら何処でも良いのか?と質問すると、ホテルのでは嫌となる。つまり教会とホテルの違いは格式とか重みとかじゃないのかな?こんな話を図にまとめるとこうなるのね。

ここからが勉強。俺なら折角くじらが俳句をやっている・・・・こんな人と接すれば、俳句はやらないけれど、俳句とは?って言うエキスは頂いているのね。俳句って何?ってね。要するに小説じゃないし、作文でも無い。短い文字で人に伝えるって事だとしたら?

そうかと思えば、考え方は土地。広い土地ならプールも作れる。狭ければ大事なものから・・・つまり家のみ。こんな考え方を習うのね。
けれど文字数が少なくちゃ都合が悪いのね・・・・そこで季語なんてこしゃくな作戦を使うのね。

季語とは?人の思い込みを利用するのね。つまり金魚は風鈴は・・・夏ってね。もみじは?雪は?・・・・ってもう季節を言ったも同然みたいなものに説明はいらない・・・ってね。まっこんなのは昔の日本人なら当たり前の話だけれどね。

今はいちいち言わないと言ってない・・・になるのかも知れないけれどね。話を戻して、つまりみどりの選んだ教会の違いは格式や重み、歴史なんてものだとするのなら、大きく違うのはその門の高さだと思うのね。イメージするならホテルは2m以下で、教会なら3m以上ってね。

つまり図1は教会、図2はホテル、そして図3がみどりの下絵。図1は門の頭が見えない構図になる。つまりみどりの考えていると思われるのは図1だと思うのだけれど・・・・下絵は図3・・・・。恐らく色んな事を考えて、これは無理、これは無理とたどり着いたのが図3だったんだろうね。

じゃさっきの俳句の話ね。図の格式や重み・・・かぶってない?格式=重みな気がしないかな?そうね、算数の約分みたいな話ね。字数、土地の制限、なんでも良いが、限りあるものの中で精一杯やろうとしたら、こう言う考え方が必要だと思うのね。

では格式を取って重みは含まれる・・・と削って下に下げる。すると、格式なんだから、ホテルじゃなくて教会だよね・・・と答えが導き出される。
ただしかし・・・ここ。みどりの決定的に足らない事は・・・。ここが思い込みなのね。

もし格式を取らずに重みを残したとしたら?・・・・重みを残しても教会には行き着くが、果たしてそうかな?・・・・すると、すかさず牢屋って。
正解。つまり牢屋から外の世界に出て行く姿でも、みどりの趣旨からは離れないとは思うのね・・・・。好みはどうか?じゃなくてね。

そもそも最初の趣旨である1を決定付けしないのに、やれ教会だの、バラを・・・外の世界は明るく・・・・だの、2.3.4.5・・・と先に進んでも、最初の1歩が足元固めないと、グラッグラしたものになる。だから、たったこれしきの事で、教会でも牢屋でも良くなる。

それが牢屋なら下に進むと黒・・・なんて事に繋がって行く。明らかに教会とは別の道になる。こんな事が不死鳥の額の失敗だったのね。
きちんと自分のやりたい事の1歩目・・・ここを絶対にぶれない1つを決めれば、全てそれに合わせて・・・って考え方になるのに、

色々考えた末に半身にして、教会を残そうとした・・・・ばかちんがって話。本当は全身が大事で、教会が大事じゃなくて、重い格式みたいな門のようなものを開くと違った世界が・・・・って言う事だったんじゃないのかな?・・・・自分の事くらい自分でまとめろって話。

更に言えば、俺の解釈なら、自分の娘が希望って扉を開けるシーンなのね・・・・とても格式ある重みあるおどろおどろしい扉をね・・・勿論その扉は暗い・・・・しかし、真っ暗じゃダメなのね・・・それでは対比として向こう側は明るく幸せで、こっち・・つまり今は不幸せに見えるから。

そこでその扉の柄なのね・・・いばらの道の扉なら・・・バラをモチーフにして黒っぽいアイアンに見えるように作り、触れている手の付近のバラを赤くする。それは血・・・に見えるように。この手法はかぐやの作品のペガサスで出て来るあれ。

固まった馬が色づいて行く・・・・あれね。あれを頂いて、手の触れた門扉の黒いバラが赤く・・・血に染まる。まさか血を作る訳には行かないから、赤いバラをね・・・その意味は当然、処女って言う表現ね。そうしてでもあっちの世界に行く・・・。

重い門、格式の門はそう言う事のような気もする。何せバージンロードだものね・・・・教会ってさ。これだけヒントをやれば、いくらなんでも判るだろっ・・・・ってな話。要するにもし作品作りが自分自身だって言うのなら、この程度の自分が自分で判らなかったと言う事。みどりはね。

なのに迷いに迷って出した答えは・・・・妥協。どうせ・・・こんな程度・・・・ってね。こらこら、作り出せばまたとんでもない時間が掛かるのに、そんな程度の下絵との向き合い方でどうする・・・・って話。

娘のカルビだって何回下絵に掛けたんだかっ・・・・側で見ていて・・・・しかも弟子になったのに・・・・こらこら。
もっと自覚する事。上手くなった・・・・と褒められたのなら、その作品が自分の基準になる事を。

もっとしっかり向き合う事。これなら最後までやりたい・・・と思えるそう言う作品の下絵になるように。ただ絵の上手い下手の問題じゃなくて、それ以前の自分の気持ちの問題。思い込みとは?何?・・・・それすらを気が付かない・・・・自覚の無さが一番の悪。

しっかりとした信念みたいなモノ・・・・そう言うものが必要で、その上に技術を乗せる。ただ意固地と信念とを取り間違えると、1列目から間違っているので、どんどんと自分の思い描くものから外れて行く。

敷地を考えずにこれもあれもとやって、そうならないから辞める・・・諦める・・・妥協。その中での最善は・・・と立て直すのは、最初の1歩。
ここさえ変わらなければ、何もぶれる必要は無い。モザイクが始まれば不死鳥の腕の人が張り出すのだから、しっかり向き合うと良い。

まぁ、やっと遠慮なく指導出来るようになったんで、面倒ではあるが書きやすくなった。本気で取り組むって言うものは、こうした事があるからこそ、人に評価される作品になり得るもので、技術だけでは限界がある。

しかも、そこが人と違う・・・って見せ所なのだから。さてそんな教室の後は・・・・


後1日ってとこかな・・・・。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする