今日は久しぶりのノアさん教室。1ヶ月に1回のペースの1回が先月飛んで・・・・まぁ今月は2回なんでペースは崩れはしていないんだけれど・・・。
そんな朝、ここの所お決まりの角嶋の親父さんとコーヒータイムから・・・。それで日課の金魚や野菜の世話をして・・・朝飯前なんて表現の下地彫り。
残った分なら来る前に・・・とやっていたら、先生ぃぃ・・・・って。げぇ・・・・間に合わなかったかぁ・・・でも、後は片付けだけ。
何とか彫り終わったのね。そんな訳で、始める前にやった?って聞くと、ちょっぴり・・・・って言うので、見せて貰うと、確かにやってある。
判りますか?って言うので判りますよ・・・・って答えると、やっぱりかぁ・・・・って若干ガッカリしたようなので、絵画にタッチがあるように、モザイクにもタッチがあると思うんですよ。勿論、そうなるとここは俺が教えた場所だなって所に、雰囲気の違う事が入っていれば、何と無くね・・・。
多分ここが自宅でやった所だろうな・・・・ってね。って言うと、失敗かぁ・・・ちゃんと見てやったんだけれど・・・・って言うので、失敗では無いですよっ・・・ただ、判りますか?の質問に答えただけで、そこが駄目とは言っていないのね。
もっと言うのなら、仮にアトリエで教えた部分と自宅で進めた部分のタッチが違っていても、大事なのは1人で進めた事。それによって、1人で進める癖も付くし、しかもアトリエに来なかった1回分が無くて、仮に40日ぶりとして、本来なら40日ぶりのモザイクになるのに、実は自宅でやったので、
正確に言えば30日とか、25日とか、何処かで1回やっているんでしょ?だから、アトリエに来るのが久しぶりなだけで、モザイク自体で考えれば、そんなに久しぶりでは無いって事になる。これはとても大事な事で、定期的に繰り返している事は、癖にして置けば何でも無い事が、余りに久しぶりにすると、
向き合うまでの行為がおっくうになるものなのね。例えば掃除が面倒だから・・・今日は辞めようとか、たった1時間しか出来ないし・・・とか、これが、さっ、やらなきゃ・・・・って何か葉っぱ掛けるものが無いと、重い腰になったりする。
しかもそこにグレードが落ちたら嫌だし・・・と、びびってしまうと益々出来なくなるし・・・・。いずれにせよ、1ヶ月に1回の場合、30日の間隔の中に、自宅でやるって言うのが入り込んでいたりするのだから、実は半月に1回はやっていた事になる。
この習慣から考えれば、アトリエには来ていなかったけれど、自宅で1回はやっていたのだから、40日ぶりじゃないって事になる。これが本当に40日ぶりとかになると、定期的にやっていた事が難しい場所であればあるほど、その時のように進まなかったり、失敗したりするとへこむ事になる。
でもこれが普通。けれど、以前と全く同じで進めるって判断している自分があると、そのへこみ度は増す事になる。つまり気分はやる気でも、あの時の自分では無いかも・・・って気持ちで向き合って、やっぱりかぁ・・・って思うのか、意外と大丈夫じゃん・・・・と思うか?はやって見ないと判らない。
でも大抵はそうは思わない。ついついあの時の続き・・・・って感じに思ってしまうのね。ここが大きな落とし穴。こう言う気持ちと向き合う事が大作をやるのに大事な事で、小物はそんな事と向き合わなくても、ちょこっとな時間で終わる訳で、悩みも少ない分、完成も早いし楽に楽しい。
大作って言うのは、そう言う自分の気分なんかとも付き合って行かないとならないのね。そう言う気持ちや環境を整えるって難しいのね。
これが子供なら、はい塾だよ・・・って言われれば、チェッ・・・って言いながらも、行くしかないとかやるしかないんだけれど、
大人は自分。そうなると余程の何かを持っていないと、重い腰になってしまうと大作は心の負担にもなる。勿論、そんな時は小物で楽しむ事もお勧めするが、小物に時間が掛かると本末転倒で、両方終わらないって言う事になり、何がしたかったか?判らなくなり、益々負担になる。
小物は小物らしくチャラっと終わらないとね。ただキウイを始め、何だか最近の小物作品って恐ろしくこだわった作品が多いのも事実。
しかもそれも非常に良い出来だったりもする。だから否定する訳じゃないんだけれど、こう言う背景はあるよ・・・のお知らせ。
おっと話を戻して、そんな事も踏まえると、自宅でやってあった事は質うんぬんよりも、日常の中にモザイクが組み込まれている事の方が、先生としては有難い話で、良くやったね・・・って話、しかも、その質にしても、えぇぇぇこれっ・・・・って大失敗って事では無くて、
ちゃんとアトリエでやったのを見ながら・・・って進めたのにって言った事だけでも、安心な話で、要するに例えば物真似をするのに、本物を見ないで聞かないで、真似をするのと、きちんと何度も繰り返し観ながら、聞きながら真似した・・・・どっちが似ていると思う?・・・・ねっ。
つまり教えたようにやろうとしてくれたのね。これが教えていない場所を勝手に進めたのなら、教えていない事を好きな色を選んで張ったって事になるのだから、質が落ちる可能性があるかも・・・・だし、勝手に進められるのなら先生はその作品にはいらないはず。
つまり大作をやっている人は、教わった場所の繰り返す部分を自宅でやって、1人でやる練習をして、もしくじけそうになったら、小物を1人で遊びながら楽しむ・・・・こんな事をお勧めしている訳で、小物無しで良く進められたのね。
そもそも小物を挟むと、当然時間を増やさない限り、大作が遅くなる・・・・。でも大作だと向き合うのは果てしない・・・・。でもだからこそ、そう簡単じゃないから、完成した時の喜びやその作品の重さは半端じゃないのは当然なのね。

そんな中、今日はグネッとさせるような場所をやったんだけれど、四角いタイルをグネッとさせるんだから、直角だ水平だ垂直だ・・・って感じでは無いし、クネッとグネッっとではニュアンスは変わるし、ツルッとしているよりもザラッとしているんじゃないかな?・・・・とか、いずれにせよ、
自分が表現したい所を言葉にして、その言葉の持つニュアンスを追求する・・・・もしそれを見つけられたら、そうするにはどうしたら良いか?
何か難しい表現のように聞こえるかも知れないが、例えば外食した時、料理の好きな人は、食べた料理を・・・・ん・・・みりんかな?
何か入っているんだよなぁ・・・・とか言うでしょ?あれあれ。ほら、何か自分が感じたものを探すでしょ?例えば甘みが残るから・・・とか、酸味があった・・・とかね。その舌の感覚が自分の記憶の引き出しの中のどいつと一致するか?・・・・似ているものを探すでしょ?あれあれ。
全てがこんな繰り返し。しかもそんな事をする人は、料理が好きで、自分で作って見たい人だったりするでしょ?しかもこだわりがある。更に言えば全く同じ味にならなくても、真似をした事からオリジナルを見つけたりもするでしょ?・・・・レシピに頼らずね。
そんな感じなのがノアさんのように大作をやっている人なのね。そして、前回の終わりに確認して、今日も良かった・・・と仕上がりに納得出来たら、また今日も前回のように良かった・・・と言えれば、最後まで同じ事をやり続ければ、最後も良かった・・・で同じように終われる。
しかしながら、慌てれば今日の結果は変わって来るし、久しぶりならもしかするとね・・・・それを何とか踏み止まれれば、また元に戻れる。
そう言う点では、踏み止まるって感じでは無く、何も変わらず上出来です・・・・で終われたのは何より。
それもこれも自宅の1回が効いている。益々良い作品になって来た。
そんなお教室のその後は作家katsu。彫った後、ペーパー掛けをして、ガラスタイルを張って、パテ埋めして・・・・げぇ、意外と時間が掛かるぅ。

この後、ペーパー掛けをして、ペンキを塗り、もう一度ペーパーを掛けて、更にペンキを塗って下地終了となるのだけれど・・・・。
そんな朝、ここの所お決まりの角嶋の親父さんとコーヒータイムから・・・。それで日課の金魚や野菜の世話をして・・・朝飯前なんて表現の下地彫り。
残った分なら来る前に・・・とやっていたら、先生ぃぃ・・・・って。げぇ・・・・間に合わなかったかぁ・・・でも、後は片付けだけ。
何とか彫り終わったのね。そんな訳で、始める前にやった?って聞くと、ちょっぴり・・・・って言うので、見せて貰うと、確かにやってある。
判りますか?って言うので判りますよ・・・・って答えると、やっぱりかぁ・・・・って若干ガッカリしたようなので、絵画にタッチがあるように、モザイクにもタッチがあると思うんですよ。勿論、そうなるとここは俺が教えた場所だなって所に、雰囲気の違う事が入っていれば、何と無くね・・・。
多分ここが自宅でやった所だろうな・・・・ってね。って言うと、失敗かぁ・・・ちゃんと見てやったんだけれど・・・・って言うので、失敗では無いですよっ・・・ただ、判りますか?の質問に答えただけで、そこが駄目とは言っていないのね。
もっと言うのなら、仮にアトリエで教えた部分と自宅で進めた部分のタッチが違っていても、大事なのは1人で進めた事。それによって、1人で進める癖も付くし、しかもアトリエに来なかった1回分が無くて、仮に40日ぶりとして、本来なら40日ぶりのモザイクになるのに、実は自宅でやったので、
正確に言えば30日とか、25日とか、何処かで1回やっているんでしょ?だから、アトリエに来るのが久しぶりなだけで、モザイク自体で考えれば、そんなに久しぶりでは無いって事になる。これはとても大事な事で、定期的に繰り返している事は、癖にして置けば何でも無い事が、余りに久しぶりにすると、
向き合うまでの行為がおっくうになるものなのね。例えば掃除が面倒だから・・・今日は辞めようとか、たった1時間しか出来ないし・・・とか、これが、さっ、やらなきゃ・・・・って何か葉っぱ掛けるものが無いと、重い腰になったりする。
しかもそこにグレードが落ちたら嫌だし・・・と、びびってしまうと益々出来なくなるし・・・・。いずれにせよ、1ヶ月に1回の場合、30日の間隔の中に、自宅でやるって言うのが入り込んでいたりするのだから、実は半月に1回はやっていた事になる。
この習慣から考えれば、アトリエには来ていなかったけれど、自宅で1回はやっていたのだから、40日ぶりじゃないって事になる。これが本当に40日ぶりとかになると、定期的にやっていた事が難しい場所であればあるほど、その時のように進まなかったり、失敗したりするとへこむ事になる。
でもこれが普通。けれど、以前と全く同じで進めるって判断している自分があると、そのへこみ度は増す事になる。つまり気分はやる気でも、あの時の自分では無いかも・・・って気持ちで向き合って、やっぱりかぁ・・・って思うのか、意外と大丈夫じゃん・・・・と思うか?はやって見ないと判らない。
でも大抵はそうは思わない。ついついあの時の続き・・・・って感じに思ってしまうのね。ここが大きな落とし穴。こう言う気持ちと向き合う事が大作をやるのに大事な事で、小物はそんな事と向き合わなくても、ちょこっとな時間で終わる訳で、悩みも少ない分、完成も早いし楽に楽しい。
大作って言うのは、そう言う自分の気分なんかとも付き合って行かないとならないのね。そう言う気持ちや環境を整えるって難しいのね。
これが子供なら、はい塾だよ・・・って言われれば、チェッ・・・って言いながらも、行くしかないとかやるしかないんだけれど、
大人は自分。そうなると余程の何かを持っていないと、重い腰になってしまうと大作は心の負担にもなる。勿論、そんな時は小物で楽しむ事もお勧めするが、小物に時間が掛かると本末転倒で、両方終わらないって言う事になり、何がしたかったか?判らなくなり、益々負担になる。
小物は小物らしくチャラっと終わらないとね。ただキウイを始め、何だか最近の小物作品って恐ろしくこだわった作品が多いのも事実。
しかもそれも非常に良い出来だったりもする。だから否定する訳じゃないんだけれど、こう言う背景はあるよ・・・のお知らせ。
おっと話を戻して、そんな事も踏まえると、自宅でやってあった事は質うんぬんよりも、日常の中にモザイクが組み込まれている事の方が、先生としては有難い話で、良くやったね・・・って話、しかも、その質にしても、えぇぇぇこれっ・・・・って大失敗って事では無くて、
ちゃんとアトリエでやったのを見ながら・・・って進めたのにって言った事だけでも、安心な話で、要するに例えば物真似をするのに、本物を見ないで聞かないで、真似をするのと、きちんと何度も繰り返し観ながら、聞きながら真似した・・・・どっちが似ていると思う?・・・・ねっ。
つまり教えたようにやろうとしてくれたのね。これが教えていない場所を勝手に進めたのなら、教えていない事を好きな色を選んで張ったって事になるのだから、質が落ちる可能性があるかも・・・・だし、勝手に進められるのなら先生はその作品にはいらないはず。
つまり大作をやっている人は、教わった場所の繰り返す部分を自宅でやって、1人でやる練習をして、もしくじけそうになったら、小物を1人で遊びながら楽しむ・・・・こんな事をお勧めしている訳で、小物無しで良く進められたのね。
そもそも小物を挟むと、当然時間を増やさない限り、大作が遅くなる・・・・。でも大作だと向き合うのは果てしない・・・・。でもだからこそ、そう簡単じゃないから、完成した時の喜びやその作品の重さは半端じゃないのは当然なのね。

そんな中、今日はグネッとさせるような場所をやったんだけれど、四角いタイルをグネッとさせるんだから、直角だ水平だ垂直だ・・・って感じでは無いし、クネッとグネッっとではニュアンスは変わるし、ツルッとしているよりもザラッとしているんじゃないかな?・・・・とか、いずれにせよ、
自分が表現したい所を言葉にして、その言葉の持つニュアンスを追求する・・・・もしそれを見つけられたら、そうするにはどうしたら良いか?
何か難しい表現のように聞こえるかも知れないが、例えば外食した時、料理の好きな人は、食べた料理を・・・・ん・・・みりんかな?
何か入っているんだよなぁ・・・・とか言うでしょ?あれあれ。ほら、何か自分が感じたものを探すでしょ?例えば甘みが残るから・・・とか、酸味があった・・・とかね。その舌の感覚が自分の記憶の引き出しの中のどいつと一致するか?・・・・似ているものを探すでしょ?あれあれ。
全てがこんな繰り返し。しかもそんな事をする人は、料理が好きで、自分で作って見たい人だったりするでしょ?しかもこだわりがある。更に言えば全く同じ味にならなくても、真似をした事からオリジナルを見つけたりもするでしょ?・・・・レシピに頼らずね。
そんな感じなのがノアさんのように大作をやっている人なのね。そして、前回の終わりに確認して、今日も良かった・・・と仕上がりに納得出来たら、また今日も前回のように良かった・・・と言えれば、最後まで同じ事をやり続ければ、最後も良かった・・・で同じように終われる。
しかしながら、慌てれば今日の結果は変わって来るし、久しぶりならもしかするとね・・・・それを何とか踏み止まれれば、また元に戻れる。
そう言う点では、踏み止まるって感じでは無く、何も変わらず上出来です・・・・で終われたのは何より。
それもこれも自宅の1回が効いている。益々良い作品になって来た。
そんなお教室のその後は作家katsu。彫った後、ペーパー掛けをして、ガラスタイルを張って、パテ埋めして・・・・げぇ、意外と時間が掛かるぅ。

この後、ペーパー掛けをして、ペンキを塗り、もう一度ペーパーを掛けて、更にペンキを塗って下地終了となるのだけれど・・・・。