このシーズンのこともだいぶ書いてきました。ようやく当シーズンのニューヨーク・フィルハーモニック定期公演最終日にたどりつきました。
シーズン自体はまだまだ続きます。nypはこのあとも別の企画もので演奏会そのものはひきつづきあります。
とりあえずnyp定期公演の千秋楽となります。
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1984年5月26日(土) 8:00pm エイヴリー・フィッシャー・ホール
第10,419回コンサート
マーラー 交響曲第3番
メゾ、フローレンス・クイヴァー
ニューヨーク・コーラル・アーティスツ
ブルックリン・ボーイズ・コーラス
エーリッヒ・ラインスドルフ 指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック
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今日は第142シーズン、ニューヨーク・フィルハーモニックの定期公演の最後の演奏会。
この最後の演奏会をマーラーの第3番で締めくくる。
約100分余りのこの曲をひとつの弛緩したところさえ見せず、また疲れもみせずラインスドルフが指揮をした。
このネアカな交響曲がさらにいきいきと躍動した演奏になった。ラインスドルフの一見、超スローな指揮だけ見ていると曲がものすごくおそくなるのでがないかといった錯覚に陥ることがあるのだが、なんのことはない、おたまじゃくしをひとまとめに振っている大振りな棒なのでそんなにおそくなることはない。なによりも、これだけ引き締まった演奏になるとは不思議な気もする。トレーナーでならしているだけのことはあると思う。全部わかっているのだろう。
長大な第1楽章は約35分ほどかかったが、全く冗長性を感じさせることなく逆になぜかソナタ形式がくっきり印象づけられた。たしかに長い第1楽章に違いないが、マーラーがいろいろなことを試行錯誤しながら自分の世界を開拓している様がよくわかり、また、その過程自体、マーラーの場合、音楽の魅力そのものとなっている。マーラーの交響曲ではその長大さのなかにえも言われぬ魅力が存在する。
第1楽章のモチーフはもちろんブラームスの交響曲第1番第4楽章の例のテーマからとられているわけであるが、これはとりもなおさずベートーヴェンの第9の歓喜の歌そのものなのであるからして、そもそもこの第3番は喜びのネアカ・シンフォニーなのである。
第1楽章の終了とともに我々の気持ちは既にマーラーの天上にいってしまったようだ。
約5分間の休憩の後、第2~6楽章に突入。この部分はまた約1時間かかる。
この曲の生演奏に接したのはたしか若杉弘/東京SO以来のはずだが、記憶の中から思い起こし聴き比べをしてみるとこの第2~6楽章もかなり変化のある楽章たちではあると思わざるをえない。生演奏の良さはこうゆう理解の直観的把握といった面でもいいところがある。また、レコードでは味わえない音と視覚の複合物としてマーラーの音楽をとらえることもできる。
第2楽章‐メヌエット
第3楽章‐スケルツァンド、(ポスト・ホルン)
第4楽章‐非常にゆっくりと、(メゾ)
第5楽章‐テンポは快活に、(コーラス)
表情はピチピチと
第6楽章‐ゆっくりと
第2,6楽章にはさまれて、ポスト・ホルン‐メゾ‐コーラス、と順番に出てくることを思えば1時間は苦痛でもなんでもなく、音楽の喜びそのものとなる。
これがアメリカ人のように(一般的に)感覚が表面的と思われる連中にはなかなか理解できないというか感覚相違というかちょっと位相が異なったりするが、彼らは彼らなりにベースボールの観戦のように楽しんではいるみたいだ。
この素晴らしい曲、演奏により、第142回ニューヨーク・フィルハーモニック定期公演は終わった。時間が切断され、マーラー空間がはいりこんだエイヴリー・フィッシャー・ホールであった。最後にふさわしい演奏会でした。
おわり