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前回のブログで、尾高忠明の指揮するエルガーの1番がとんでもなく素晴らしくて、
つい、
いつもの河童ワープがしたくなった。
いつもニューヨーク・フィルハーモニックことばかりではどうかということで、今日はこんなの。
ワールトが当時手兵のサンフランシスコ交響楽団をひきつれてニューヨークまでやってきました。
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1983年11月4日(金) 8:00pm
カーネギーホール
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リャードフ/キキモラ
サン=サーンス/ピアノ協奏曲第4番
エルガー/交響曲第1番
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ピアノ、オラシオ・グチエレス
エド・デ・ワールト指揮
サンフランシスコ交響楽団
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今日は始まる前から眠かったが、このサン=サーンスは通俗的で眠気をさらに誘う。
それに比べて、さすがエルガーの曲はシックリしていて、ちょっと長すぎると思ったが、結構手ごたえあり。
特に指揮者のこの曲に対する思い入れ、愛情の深さがよく表れていて、丁寧でわかりやすい演奏となっていた。
曲は最初、ピアニシモで行進曲風のメロディーがゆっくり流れ、それが第1楽章の導入部になっているだけでなく、全曲を一貫して支配していて比較的聴きやすい。退屈するような曲ではない。
ワールトはこの曲に特別の思い入れがあるのか、共感、愛着の念が観えてくる。特に第3楽章アダージョ結尾部における幻想的な雰囲気には圧倒された。オーケストラに彼の意思が乗り移ったような、静かで独特な情緒を醸し出していた。
私がイギリス人であったならば、故郷を思うその愛国心からきっと泣いていたことだろう。
エルガーの曲にはそれぞれの故郷を思い出させる何かがある。
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河童ノートにはこのような、わりと、本当にどうでもいいような駄文が短く刻まれている。
早い話が、わかっていなかったのだろう。
いま振り返るとワールトのエルガーなんて、あんまりありえないような気もする。
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それで、ニューヨーク・フィルハーモニックのエルガーについては、実はアップだけしたことがある。
そのときは、前半の世界初演プログラム、シュトラウスのマルヴェンのことだけ書いた。
キリ・テ・カナワの歌、メータの棒。後半のプログラムはエルガーの1番だった。
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コメントありがとうございます、
1983年当時は現代ものやワーグナーなどがメインの指揮者でエルガーは珍しい指揮者でした。2008年に当記事アップの頃はあまり確認もしておりませんでした。
コメントでペンタトーンの新録音にエルガーがあると教えていただきありがとうございます。ワールトは思うに何年も持続して振っていたんですね。
http://ml.naxos.jp/album/PTC5186472