河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2658- ヴェルディ、レクイエム、ロレンツォ・ヴィオッティ、東響、2019.1.13

2019-01-13 23:11:43 | コンサート

2019年1月13日(日) 2pm ミューザ川崎

ヴェルディ レクイエム  10-38-10-3+6+7+15

ソプラノ、森谷真理
メッゾ、清水華澄
テノール、福井敬
バス、ジョン・ハオ
合唱、東響コーラス

ロレンツォ・ヴィオッティ 指揮 東京交響楽団


新進気鋭ヴィオッティの棒は昨年2018年、東フィルを振ったのを同プロ2回聴きました。あれと比べると曲種によるものかそれともこちらの気持ちのせいか、随分と違う演奏スタイルでびっくり。

2590- 道化師、両手、小山実稚恵、牧神、海、ロレンツォ・ヴィオッティ、東フィル、2018.7.19

あの時の流れ、それを排したかのような90分の鎮魂。ゆっくりとゆっくりと進む、鎮魂の呼吸。ヴェルディのオペラ風味な味わいはひとまず横に置き。

出だしの1曲目レクイエム、第一音は聴こえるか聴こえないか、限りの弱音から始まった。既に深刻なパフォームの予兆となる、作為と言えば作為なのかもしれないが、なにしろ第一音なのである。ここが肝。これで全てが決まったようなものだ。ヴィオッティの音楽スタイルや信念のようなものが透徹して染み渡ってくる。この空気感。

ミューザの4階席に初めて座りました。オーケストラ真正面で、下の席から見上げると限りなく遠い4階席だなあという思いしかなかったのだが、こうやって座ってみるとそうでもなくて、上から見下ろすとステージが案外近い。もちろん、音も比して近くて、遠いという感覚はすぐに消え去った。ブレンドされた非常に良い響きが届く。心地よい。

深刻な弱音で始まったレクイエムは、これ以上ないアンバランスにロングな怒りの日で沸点。約40分にわたるもの。
独唱、デュエット、四重唱、合唱、絡み合い。九つのシーンが次から次へと壁画のように描かれるヴェルディ屈指の音楽技。強靭な合唱、それに東響の透明な音圧が重なる。途方もない音楽と演奏。吹き上げる怒りの日。バンダラッパは2階席のドアを開けて吹いていたようですが、他にもいたかもしれない。騒がしくなく、見事にバランスしたオケ演奏、特筆に値する。ヴィオッティ、あのテンポで、よく踏ん張った、やり抜き通した。先走ることの無い棒は割と冷静なのかもしれない。巨大な音楽作品の前に謙虚で大胆な腕前披露。

パワフルオーケストラの見事さは挙げればきりがない。サンクトゥスの全粒揃ったブラスセクションの破天荒な16分音符とか。輝かしさがありますね。


合唱が輝いている。きっちりと揃ったピッチ、4階席まで朗々と鳴ってくる。見事だ。ソリスティックな線を感じさせる局面、それに時折魅せる器楽的な折り目、場面に合わせるように深刻な内面を照らし出す。

独唱で目を引いたのは、バスのリアン・リがインディスポーズ、代打で出たジョン・ハオ。
最近のハオさんの活躍はめざましくて至る所で見ている感がある。この日は風貌がびっくりの様変わり。これまでは温和な雰囲気を醸し出していたのだが、変身。長髪にしてオールバックでポニーテール、しっかり結び、もみあげは剃り込み、おそらく眉毛もかなり鋭く剃り込み。まるで三国志に出てくる猛者のようだ。びっくりのイメチェン。本当にご本人だったのかしら。

というのを横目に見つつ、ソプラノの森谷さんの歌い込みが素晴らしい。一段、上ですな。
完全な余裕の歌い口でレクイエムを解きほぐす。ハイトーンがオーケストラの上から軽やかに前方に伸びてくる。気張らない。ごくナチュラルにやや細めのトーンがデリカシーなニュアンスに富んだ美味美声で伸びてきます。物腰や所作も素晴らしくて、見ていると譜面を台に置いて歌う。歌や顔の表情のみにとどまらず、腕や手、指先の動きまで細やかにモーションされていて、もう、華があるとしか言いようがない。気品があって、やっぱり、二段上ですね。舞台映えしますなあ。
メッゾとの重唱は完全にリードしていて、バランス配慮、ハーモニーが美しい。重唱のアンサンブルは彼女のもので、色々なものを乗り越えてきたものを一滴も客に見せることなく美しい音楽の表現に捧げている。そんな想像を掻き立てる。冷たさではない冷静な目があるように思えました。
これまで、蝶々さん、フライア、第九、後宮コンスタンツェ、等々、聴いているけれども、自分は一体何を聴いていたのだろうか、と。

森谷、ハオ、ともに譜面は台に置いて歌う。清水、福井はしっかりと持って歌う。どっちがどうだという話しではありませんが、指揮者を中心点にして、左右対称という感じ。

リベラ・メをいとも簡単に歌い尽くす感のある森谷さん。ですが、それは心のこもったもの。
合唱が怒涛のように押し寄せ、ヴィオッティのもと、オーケストラ・フルセクションが怒りの日、最後の咆哮を歌い上げた後、魂を鎮める森谷さんのリベラ・メ、押し寄せる波を押しとどめるように音を切る。
十日前に惜しくも旅立ったツイッター仲間への弔いになってしまった。このような聴き方はしたくなかった。彼は解放され鎮まるであろうことを祈る。音楽の友は失いたくない。
おわり 


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