1978年4月4日(火) 7:00pm 東京文化会館
ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」より 前奏曲と愛の死
ブルックナー 交響曲第5番
ヘルベルト・ブロムシュテット 指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
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音は流れいでるだけで音楽となった。
ドレスデンの来日はこの年2回目。国内15回公演と多い。聴いた演奏会は来日初日。
この日のことでよく覚えているのが、プログラム・ビルディングの良さもさることながら、休憩が無かったこと。これは全く予期していなかった。20分弱の前奏曲と愛の死が終わり、この曲と同じぐらいの長さの休憩に入るのかと思ったが、そのままブルックナーの5番につながった。ピアニシモで終わりピアニシモで開始、そして突然の強奏で音楽はやむことなく流れ続けた。
そしてもう一つ印象にあるのは団員が全員男性ということ。当時ベルリン・フィル、ウィーン・フィルなどもそうではあるのだが、なぜかこのドレスデン、男気のようなものを感じた。ブロムシュテットも演奏が終わったのち、ちやほやと個人のスタンディング・オヴェイションをさせるわけでもなく、全員起立全員着席のスタイルを貫き通した。昔はこれが普通だったように思うのだが。
ブルックナーの4番は生でみるとほぼホルン協奏曲の様相を呈しているのだが、この5番もペーター・ダムが頑張らなければならない。奏者リストにはホルン奏者の名前が9本書いてあるのだが、この日全員そろったのかどうかはわからない。5番は強烈なマスサウンドがすさまじいことはすさまじいのだが、編成としてはいたってオーソドックス。だから、ホルンは余計頑張らなければならない。
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音を出すだけで音楽になるというその音の素晴らしさ。あのまるみを帯びた艶のある弦、そしてブラス。ことさらダイナミックな音楽を造っているわけでもないし、ねちねちと歌わせるわけでもない。音はただひたすらにとうとうと流れあふれ出、こぼれ落ち、黒く光りながら進んでいく。
ワーグナーにおける全くワーグナー的な音楽、そしてブルックナーにおける全くブルックナー的な音楽。これは自然であるからこそこうなる。弦の充実度、ブラスのミラクルなピッチ、全く考えられない。
今日のブルックナーを聴いて最初に感じたのはゲヴァントハウスの音とよく似ているということ。流れる音の戯れ、これが正統派にならないのが現代なのか。
指揮者が棒を振らず直立不動となる時、この黒光りする音はただひたすらに流れいでる。抜群のピッチ。そして歌をもって。
音は流れるだけでよかった。それが音楽となる。
おわり