河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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1547- ドヴォルザーク、夜想曲、マルティヌー、ob協、スーク、アスラエル、フルシャ、都響、2013.11.19

2013-11-20 01:45:24 | コンサート

2013年11月19日(火)7:00pm 東京文化会館

ドヴォルザーク 弦楽のための夜想曲

マルティヌー オーボエと小オーケストラのための協奏曲

スーク 交響曲第2番 「アスラエル」 17′8′11′9′13′

ヤクブ・フルシャ 指揮 東京都交響楽団


スークのアスラエル、あることすら知らない交響曲で、響き具合など想像もつかなかった。
アスラエルとは死を司る天使と言う意味らしく、周りに起きた不幸を引き金に作られたよう。非常にダークで、閃きの作とは言い難いものの説得力はある。
タイミングは上記に書いた通り。第3楽章までが第1部、以降第2部。2部構成の曲で、交響曲となっているが、交響曲で使用する素材を使ったオーケストラルピースととらえた方がわかりやすい。
ウェットで深刻な音楽だ。譜面のないフルシャの棒はこの曲に対する共感以外の何ものでもないし、見知らぬ曲に空中分解しない都響も素晴らしい。双方のコンセントレーションが心地よい。両者が真正面から立ち向かっていると聴衆サイドも自然と同じベクトルとなるものだ。
そうではあるのだが、覚えられる節(ふし)が無いというのはこの時代の音楽としてはかなり厳しい。シンフォニックな構成感で際立っているとは言い難いので、深刻さで押し通すのはかなり厳しいものがあるのも事実。塗り込められた悲しさを味わうべき作品なのだから、と言われればそれまでですが。


前半のコンチェルトは、ピアノやチェロの協奏曲に比べると魅力が一段落ちる、というのはこちらの勝手な言い分で、どうしてもマルティヌーにフィリップ・グラスのいわば原始風味のミニマル的なものを感じ、求めてしまう為、そのような聴き方になってしまっていて曲に対するイメージとか要求もそんな感じになってしまっているから。
その観点で言うと魅力が一つ落ちるということです。
シンプル作風なら初期のニッポナリのような曲が好みです。コンチェルトならチェロ協奏曲、1番だけでなく2番も好きです。

この日のようなプログラム構成の演奏会はなかなか無くて、崖っぷちではない右と左の山に囲まれた平野にいる感覚で聴くことが出来ました。
おわり


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