河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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989- 神々の黄昏 ウォーナー・プロダクション 再演初日 オペラパレス2010.3.18

2010-03-21 10:01:40 | インポート

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今日は、トウキョウリングの再演、大詰め、神々の黄昏の初日です。
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2010年3月18日(木)16:00-22:25
新国立劇場、オペラパレス
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ワーグナー 神々の黄昏
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キース・ウォーナー演出
ダン・エッティンガー指揮
東京フィル
新国立劇場合唱団
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In order of appearance
ノルン
 1N 竹本節子
 2N 清水華澄
 3N 緑川まり
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ジークフリート クリスティアン・フランツ
ブリュンヒルデ イレーネ・テオリン
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グンター アレクサンダー・マルコ=ブルメスター
ハーゲン ダニエル・スメギ
グートルーネ 横山恵子
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アルベリヒ 島村武男
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ヴァルトラウテ カティア・リッティング
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ヴォークリンデ 平井香織
ヴェルグンデ 池田香織
フロースヒルデ 大林智子
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前月のジークフリートにおけるブラス・セクションの問題は個々には幾分解決されていたように思うが、でもやっぱりどうも問題だ。
バーの頭から合わせるフレーズの場合の縦線はそれなりなのだが、アウフタクトから始まる節のそのアウフタクトの一音目の不揃いもさることながら、2音目、つまりバー冒頭の不揃いが顕著で、どうしてこうなんだろうと。フレーズがふやけてしまっている。汚れも目立つ。
神々の黄昏は、オーケストラ間奏曲がたくさんあり、演奏会でも単独で奏される機会が多い。オーケストラのサウンド好きにはこたえられない息の長いワーグナーの魅力的なピースの山なのに。今思うと前回初演時のN響の能力はやはり飛びぬけていたのだろうと今になって思う。
それに、指揮者の問題もあるかもしれない。棒が明確不明確云々ではなく、耳もしくは伝える意思、さらには練習の量、いろいろあるのかもしれない。
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細かい描写はブログのみなさんがしっかり書いてますし、それにこの日は記録用とはいえ映像を撮っているようだし、機会があればいつかは観れるかもしれないので、基本的に省略。
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それで、
2004年のトウキョウリングのカミタソは6公演ありそのときは3回観てしまった。忘れかかっていたが最後の場面だけはしっかりと覚えている。かなり印象的だったので。
一体、最後から数えてわずか11小節目、二分の三拍子から二分の二拍子にかわり、ブラスが最後の動機を奏でるあたり、時間にしてラスト1分にも満たない部分で、舞台でいうと最後のジグソーパズルがしっかりはまったところで終わるのかと思いきや、舞台は片づき最奥から何人かの人たちがドアを開けてでてくる。はいってくる?どうも映画撮影の現場だったらしい。この物語は映画仕立てだったようだ。それこそ記録された映画の放映か撮影だったようなのだ。ということは今まで撮影されていた現場を我々は観ていたのだろうか。脳裏の気持ちがもがく中、唖然とぽかんと終る。
種明かしは映画仕立て?そんなシンプルな話でもない。だって、映画フィルム、リール、ヴィデオ、テレビ、このような映像、撮影にかかわるものは劇中繰り返しでてきたものだし、撮影されている連中がリールをみたり取り出したりはしない。それならば一体誰が何を撮影していたものを、どっちの誰がみていたことになるのかしら。誰かおしえて。
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神々の黄昏はヘヴィー級のオペラで、パルジファルと同様、マイスタージンガーと反対に、第1幕に2時間コースの長丁場。プロローグがあるとはいえこの長さ、いったん突き通ってしまうと、なんだか解脱状態になり、あとの2幕3幕なんて整理体操?そこまで極端ではないが流れで聴くことができる。序幕+第1幕が重い。ここで、はまるしかない。
ジークフリート第3幕のエルダの場面ではしごを昇り降りしていた頭が爆発したような格好のパンク爆発女たちはノルンだった。そうだった。
過去現在未来のノルン会話はリブレットだけでも面白いもので、舞台の歌はかえってすーっと進んでしまうようで味気なかったりする。今日みたいに。
クプファーの2回目のプロダクション、バレンボイム、ベルリン国立歌劇場の公演では、ノルンたちがビニールのようなパイプのようなものをこんがらかった、あらどうしようかしら、みたいな感じではあったが、重厚で、歴史の編纂と思わせるような歌、引き継がれていく歌、演出の妙と構えた歌があった。
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スーパーマンのBのジークフリートとSのブリュンヒルデは既に事後の着替えを済ませている。そんな感じで進む。
注射器は刺激的。血の交換。
すさんだアルベリヒは奇怪。第2幕の婚礼のシーン、指環唯一の合唱の場面で試験管の血を飲まされ痙攣しまくっていなければならない配役にはご苦労さんと言いたい。
行う行為はト書き通りだが手段、やりかたが尋常でないウォーナー・プロダクションの極みといったところかもしれない。
そんなこといったら、やわのグンターに犯されるブリュンヒルデの小屋の煙突はその瞬間、先が伸びる。これはあれのことで、面白いかもしれない。
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今回感じたのは、序幕第1幕、第2幕の重さに比べ、軽く感じた第3幕。ジークフリートの末路がある第3幕が一番軽く感じてしまうぐらいそれまでの内容が素晴らしすぎたのか、演出のせいなのか、こちらの聴きかた観きかたのせいなのか。今回はこのようなウェイト・バランスを強く感じた一夜。ジークフリートの死もブリュンヒルデの自己犠牲もなんだか劇が終わった後の出来事のように思えてしまった。
第2幕終結部の悪だくみ三重唱あたりまででこちらのエネルギーも使い果たしてしまったのかもしれない。
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席の位置関係のためなのか、歌っている人の喉のおかげなのか、講演会なんかでもそうだが、とおる声、とおらない声が、オペラの歌い手にもあるのかも。でも歌が職業なんだからそんなことはないだろうとは一方で思うけど。
ハーゲンのダニエル・スメギ。声が大きいといったことだけでなく、よく通る声なのではないだろうか。非常によく聴こえてくる。力んで歌っている風でもなくこのような声質が劇場を静まらせるんだね。悪役ハーゲンは歌もスタイルも決まっていたと思います。
反してグンターのブルメスターはなんだか、やわ。態度では押されっぱなしだったけれど、声の方はあまり前の方に出てこない感じはあるが、声が小さいのではなく位置関係のせいのような気もする。正面を見据えて歌う局面ではきっちりと出ていたようだし。
このブルメスターとヴァルトラウテのリッティングには、他のメンバーに比べて拍手の落差あり。リッティングは日本の聴衆の感度を今回、感じたかもしれない。ブルメスターはどうも反省するグンターといった感じ。最後は殺されてころがってしまう。陰惨な役、シーン。
黒のハーゲン、漂白剤をかけたような白のグンター。色彩で役を印象付けるウォーナー流のやりかたが成功してはいるけれど。
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ジークフリート役のフランツの声もよく聴こえた。柔らかで美しく、ヘルデンというよりもなにかパープルのような色あいの響きが良くとおる。透き通る。
第3幕の森の小鳥の会話想起のシーンはかなり困難な歌唱だと思われるが、お見事。ジークフリート第2幕におけるジークフリートに舞い戻ったような印象的な歌であった。
2004年の公演ではカミタソ6回公演はトレレーヴェンと歌い分けたが、今回は前月のジークフリートのジークフリートも含めて双方5回ずつ歌い切るわけだ。大変だ。
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ブリュンヒルデのテオリンは強じんな喉なんだろうが、透る声かというとそれほどでもないと思う。馬力というかもって生まれた、練習で増幅した大サウンドが素晴らしいのだろう。音程がどこにあるのかよくわからなくても大声で歌い切ってしまうみたいな。素足でもフランツを凌駕している大柄な女性で共鳴体もそれなりなんだろうね。
フランツのジークフリートをしまいにはくべてしまうあたり並みの女じゃない。これはウォーナーの演出か。でもここらへん煙突小屋のあたりから妙にリアリスティックで。
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ブリュンヒルデのテオリン、ジークフリートのフランツ、ハーゲンのスメギ。この三人の歌は素晴らしかった。とくにテオリンはご本人もかなり満足したようで。
録画取りがあったとは言え、燃え尽き症候群にならなければいいが。まだ4回残ってる。
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ところで、第3幕冒頭はラインゴールドの再帰なんでしょうが。
なんというか、歌は非常に良かったものの、声だけで良かったのかもしれない。それともウォーナー一流の。。
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おわり


1 コメント

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あの演出は、自分史です。ラインの黄金=若い時代... (T.)
2010-03-25 07:29:21
あの演出は、自分史です。ラインの黄金=若い時代。ワルキューレ=中年期。ジークフリート=老年期。神々=次世代に託したもの。
最後の11小節=未来の投影ともいえますよ。策士ヴォータンを基準として
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