河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

988- とんでもシューマン ライン スタニスラフ・スクロヴァチェフスキー 読売日響2010.3.19

2010-03-20 17:08:51 | インポート

順番からいったら前日の18日に観た神々の黄昏のことを書かないといけないのだが、中断。翌日19日のミスターSのトンデモ演奏にやられそっちを先にアップ。

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2010319()7:00pm

サントリー・ホール

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シュトラウス ドン・ファン

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スタニスラフ・スクロヴァチェフスキー Music for Winds

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シューマン 交響曲第3番 ライン

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スタニスラフ・スクロヴァチェフスキー指揮

読売日響

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シューマンがこの日のトンデモ演奏。昨晩観た新国立の神々の黄昏が吹き飛んだ。

一言でいうと「圧倒的操作」

ここまでなぎ倒してくれると指揮芸術の極みがこれ以上なく明確になり何も言うことはない。

冒頭第一打のいきなりのティンパニーの大強打で始まった87歳とは思えない高速演奏は、フルオーケストラを絞りつけながら、唸りを上げて悶絶演奏街道を突き進む。

シューマンのスコアもかなりなぎ倒しているとみた。輝かしすぎるブラスの光。それぞれのパートの主張が明確な弦。

ティンパニーから始まった曲の輪郭、縁どりは、構成感をこれ以上なく浮き彫りにさせる。完全なる交響的解釈。形式感を強く意識した解釈は、名状し難いものであるのだが自分には感覚として肌にじかによく理解できる。例えば以前聴いたブルックナーの7番。あれなんかは眼前にフルスコアと楽典が置かれているような形式音楽の完璧な表現であった。あれと同じだ。

それでシューマン。第1楽章終結部における光り輝く、それでいてこれは深い森の響きでしかありえないような底からのサウンド。単なる曲解釈を越えたミスターSサウンド。ソナタ形式のフィナーレを飾るコーダにふさわしいものなのだ。

そして、第2楽章も悶絶演奏は続く。ライン川が地響きをたてて唸るような音の太いあや。川の流れを超えてしまったような音、響きというのは、小編成のオーケストラからは決して出てこないもの。フルオーケストラのアンサンブルを整え、ぎゅっと絞り込んだサウンドは、はちきれて拡散してしまいそうな大編成を内側に集中させ、まるで蛇の悶絶状態さながら、あるいは抑え込むからこそでてくる唸るようなサウンド。見事なトレーナーというしかない。

前日聴いた新国立の神々の黄昏でピットに入っていたオーケストラとは明らかにレベルが違っているのですが、基本的能力の違いとともに、一因としてはこの鍛え指揮者のおかげでもある。

3楽章で一服感。ここでは曲の縁どりもさることながらハーモニー・バランス、音色バランスが味わい深い。団員の気持ちが高速状態になったままであり、ここではそのスピードを抑えようとするそちら方面の抑止感からくる別の微妙さが生まれたように思える。

4楽章は終楽章への序奏のようなものだが、シューマンの心情の一面が出ているような楽章で、「ふし」とかをさがしたらダメだ。曲尾にここでまたブラスのファンファーレが重くシューマンを表現する。大変に素晴らしいことこのうえない。

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人間の老いと反比例してしまったような高速で突き進む第5楽章こそこの日最大の聴き所。

右に左に上に下に間髪入れずに動き回る両腕。音楽は一聴するとやたらと軽くなった。ホップ、ステップ、ジャンプのような突き抜けるような曲想になるのだが、なんだかどんどん速くなる。神々の黄昏を演奏した東フィルのスキルのかなり上をいくこの読売日響なんだが、もつれてきた。もつれまくり、こんがらかってしまった。そこまではいかなかったが、とにかく突き進む。このスピード感そのものが音楽の気持ちの蓄積のようなポテンシャルを生み生理的快感に変わる。呼び起こす。再度言っておくと、小編成のオーケストラパートの演奏、サウンドではこうはならない。妙だが押さえつけることによって呼びさまされる音。漬物石がなければうまい漬物は食えない。そんな感じ。

テンポアップと形式感の保持バランスは難しいところだが、ミスターSは自身が一瞬たりとも曲の構造を放置しない、忘れることがない、だからうまくいく。次の一手が必ずそこに準備されていることをよくわかっている。彼が構造を意識して曲の構築をおこなっていることは強く感じる。

オーケストラは地響きをたてたまま高速に加速を重ね、圧倒的なブラスの響きがシューマン独特の降下音型を縁どり終わりきる。

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弦とブラスの重なり合いがあまり居心地のよくなかったりするシューマンが、この日の演奏では、それは棒振りのせいだよ、オタマジャクシを何も考えずに放置しているからだよ、とミスターSが言っているようでもある。

ミスターSの曲の明確な縁どりは自身の曲に対する構成感を表現するうえでの要請であり、意思そのもの。お見事。

それと、特に印象的だったはホルンの充実度。シューマンのホルンはこうでなくてはならない。トップの方の線は細いが、まとまったときの響きの充実感がすごい。ミスターSはブラスの出し入れをこまめに指示しており、響きのバランスを保つところと、開放させるところ、それぞれ濃く表現している。強打の連続となったティンパニーに対しては指示はなく一見無頓着。つまりデフォが大強打だ。そのような前提を練習で仕込んだと思われる。

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こんな感じで、太くて迫力があり造形に優れた素晴らしい表現のシューマンを聴くことができました。

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前半の一曲目はシュトラウスのドン・ファン。後半のシューマンの解釈を知ってから聴けばよかったと思われる個所も思い起こすとありそうだ。交響詩のたぐいはミスターSにとっては得手不得手の前に関心そのものに付点を置くべきものなのかもしれない。方針はシューマンと同じながら交響曲のような峻烈さは今一つ浮き彫りになってこない。音の濃淡、深堀度などで立体感はだしているものの、滴り落ちるようなシュトラウスは彼の頭の中にはあんまりないと思いますよ。

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前半二曲目。いわゆる自作自演。

タイトルはMusic for Winds となっているけれど、実際のところは「管楽器、木管楽器、パーカッションのための音楽」

要は弦を除いてピアノ、ハープ、チェレスタ、サキスフォンなどを含めた大規模編成の曲。

連続した4楽章形式。

馴染みのある管の響きには飽きないけれど、魅惑的なところまでは至っていない。しかし、相当快速なテンポの現代曲で、ミスターSの真骨頂といえなくもない。演奏の方が上回って快適な個所が何か所もある。閃きの曲か、そこが問題だ。

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今、読売日響の常任指揮者のミスターSは来週のブルックナー8番で有終の美を飾る。4月からはカンブルランが常任となる。以前、トゥーランガリラ交響曲で忘れがたい演奏を行ったのが印象深いがこの5月ハルサイを振るようだ。これも聴き逃せない

おわり

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