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高名な考古学者の息子として1886年1月25日に生まれ、1954年、今から55年前のちょうどこの日11月30日に指揮者としては若い68歳の生涯を閉じた。
あのすさまじい棒の振り方を見ていると、よくも68歳まで続いたというのが実感だ。痙攣するような右腕、オーケストラを流れるようにコントロールする左腕。両方が分かちがたい動きをもって音楽を毎日、生成してきた。
エキセントリックをはるかに通り越し、常軌を逸したとんでもない演奏は数々あれど、戦中のベートーヴェンの交響曲第5番に勝る演奏は今後永久にあらわれることはないだろう。あのような演奏は戦争中であろうがなかろうが、人間の外の現象だったのだ。
肺腑をえぐるような心の臓の鼓動。アレグロ・コン・ブリオ運命の動機は常に垂直に彫られる。
決してやさしく微笑みかけることのないアンダンテ・コン・モト。シューベルトの音楽との決定的違いを魅せる。
続くアレグロは驚天動地の地響きであり、これであればこそアタッカで続くしかなかった第5番ではある。崩れかかりそうなベートーヴェンの構造音楽を、逆説的ではあるがフルトヴェングラーの棒が構成美に変えた。極限の演奏芸術。
そして、それまでのすべての上を行くアレグロ・プレスト。第4楽章に入りいきなり音楽は頂点に達し、ハイテンションがずっと続く。何ゆえに、こうもベルリン・フィルは持ちこたえることができたのか。指揮者の魔術としかいいようがない。芸術を熟知したもの達にしか到達することができないエクスタシーがそこにあったのかもしれない。
そして、プレストはコーダに流れ込む。これぞ演奏芸術の極み。この演奏を聴いたことがない人は騙されたと思って一度CDを買って聴いてほしい。とんでもない演奏はすべての楽器を一度に追うことは困難、それであれば例えばトランペットのタンギングに耳を傾けてみよう。解釈は技術の上をいくのだ、そのことを実感できる。腕達者なベルリン・フィルの奏者たちを技術の破たんギリギリまで追い込んだ、そこまでして表現したいもの、技術が追いつかなかったら音楽にならないのではないか、というのが愚問のように響く。
この超高速のコーダは演奏芸術史上、空前絶後、もう成しえることは誰にも不可能だ。そして最後の打撃音に至る圧倒的急ブレーキもこれまた空前絶後。造形演奏の美ここに極まれり。第九のフィナーレさえ吹き飛ぶ。
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戦前戦中戦後で解釈が異なるのではないか。戦中の演奏表現は戦争があったから成しえたのであり、そういう意味では芸術至上主義のフルトヴェングラーの主義主張と違うのではないか、という議論があるが、これも前に述べたことがあるが、戦争は現実にあったわけで、戦争がなかった場合別の表現になっていたかどうかという議論は多くても50パーセント以下の確率でしか当たっていない。個人的には戦争による常軌を逸した演奏ではないと思う。この演奏がなされた1943年は指揮者57歳。
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アップしてある写真は、日本フルトヴェングラー協会の第3回目の会報。創立が1969年12月だから研究品頒布のテンポもおそかった。河童が会員になったのはこの第3回目からだから1973年4月頃ということになる。
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今でも会員ではあるのだが、後遺症的微熱状態になっている。
何年か前にフルトヴェングラーのコレクションをほぼ全部(まだ残っているよ)、ヤフーのオークションに出品した。いろいろと話題になったのでまだ記憶にとどめている人もいるかもしれない。レアLPは別にして、CD一枚が6万円を越えるようなものまで出る始末でかなりヒートした。ただ、戻ってきたお金で別のコレクションを始めようという気は全くおこらなかった。
売りさばいたのは卒業したかったから?そんな偉そうなことは言えないが、結果的にひとつだけ確実に言えること、それは自由にフルトヴェングラーを聴けるようになったこと。
だから、たまには聴く。
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演奏芸術は現代ではもはや死語ではないだろうか。意味のない伸縮自在な演奏は数多あれど、指揮者解釈のその前に、演奏家、オーケストラ・プレイヤーの腕が落ちた。これは誤解のある言い方で、昔よりは確実に腕はみんなあがっている。しかし、ボーイングの深さはどうだろう。ウィンドのアンサンブルはオーケストラのものか。ブラスのハーモニーは空虚になっていないか。
演奏芸術とは何か、なぜ必要なのか、という問いが今頃になって現実味を帯びてくるわけで、無くしたものは大きかったということかもしれない。
おわり
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