河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1392- スーパー・コーラス・トーキョー、嘆きの歌、インバル、都響、ジークフリート牧歌2012.10.3

2012-10-03 22:30:40 | インポート

Music Weeks in TOKYO 2012
2012年10月3日(水)7:00pm
東京文化会館
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ワーグナー ジークフリート牧歌
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マーラー 嘆きの歌
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ソプラノ、浜田理恵
メゾ、小山由美
テノール、福井敬
バリトン、堀内康雄
合唱、スーパー・コーラス・トーキョー
エリアフ・インバル 指揮 東京都交響楽団
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今年の5月にアルミンクの棒で聴いたときはよくわからなかった嘆きの歌ですけれど、今回もあまりよくわからず。煮え切らない曲で、インバルの棒さばきがいくら良くても限界が見える。
インバルの棒は明確で(昔から)、主旋律と主律動を強調し曲のアウトラインを浮き彫りにする。対旋律とハーモニーの強調はあまり見えない。ハーモニーの音塊をまとめて主旋律的に扱うということはあるかもしれない。
棒の振り方もその自分の主張の理にかなっていて、確信をもってアウトラインを振りぬく。巨大サウンドが生理的快感のようにすっきり響くわけですが、それはこちらの思っていることであって本人はちょっと違うこと考えているのではないかなぁ、というのは2010年に復活を聴いたときの感想に書いてます。
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嘆きの歌は、マーラーの主要作品に比べたら雲泥の差で、流れがぎこちないし、鳴りもいいとは言えない。ほぼひとつの主題が鳴り続けているのはリストのファウスト交響曲みたいなところもあるが、でもあのような奇天烈な面白さはない。
カンタータということを思い返し、字幕を追いながら聴く方が頭の中にドラマを作り上げイメージ化していける、そこらへんまでは出来そうです。
極度の美化はよくなくて、どんな曲でもどこか少なくとも一か所ぐらいはいいところがあるだろう、というのは長い駄作オペラでも言えることだとは思いますが、そのようなところだけクローズアップして美化しすぎるのはどうかと思います。プログラム解説にはインバルもしっかりと書いておりますが、あれは表面(おもてづら)的なところがあるなぁ。と、思うのです。
インバルのしたいことは端的に言うと、自身の感覚で、同時代の音楽を、聴衆に迎合することなく、振りぬく。彼の流布の意味はそうあったと思っております。そういうことをやり終えて今、自在に振っているということはあるかもしれませんが。
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第1部初稿24分
第2部最終稿16分
第3部最終稿17分
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初稿と最終稿のハイブリッド版で合計1時間かかっておりません、部ごとのテンションの高さとデューレーションの長さは比例しているというか、一致をみておりバランスはいいと思いました。インバルはなぜ混ぜたんでしょう。作った順序、改訂した順番、その時々の時点のものを順序良くやりたかった、流れのセンテンスでやりたかったのではないでしょうか、同時代に生きていなかったことが悔やまれる、そんなところかな。
嘆きの歌はDas Klagende Lied、英語だとSong of Lamentationだそうです。悲劇の結果よりも、そこに至る悲嘆のドラマですね。第3部の唐突なエンディングが効果的であるのかどうか、もし効果的であるのならば、そのような効果的な作為、考えの実現は、悲嘆プロセスの部分に生かしてほしい。第1部の弟殺しの表現の幅のなさ、第2部の骨で吹く、あのあたりで劇的効果を出してほしかった。曲にケチをつけても今更はじまりませんけど、ワーグナーなら弟殺しは第2部に位置付けるような気がしますね。
インバルはこの曲を魅力的に語らないといけません、大変なご苦労なことだと思います。最初に書いた通り、インバルは自在に振り、何が一番素晴らしいかというと、棒にダイレクトに反応するオーケストラです。これだけ反応がいいと、指揮者の曲への理解の深さとオーケストラの表現の幅が見事に一致し、濃度の高い演奏が実現される。このコンビの絶好調さ加減がわかるというものです。
ウィンドとか鳴り物とか聴いていると、インバルが同時代に生き、この曲のインクが渇く前に、誰も手をつけない状態で、自分が一番最初に音化したかったのではないか、そうすれば既成概念なく大胆な響きでホールを満たすことができたのにと思っているかもしれません。ここらたりが、聴衆とご本人のズレだと。誰も何も悪くありません、最上の響きでした。
スーパー・コーラス・トーキョー、記念公演にしては渋すぎる難曲を選んだというところで、棒がインバルというあたりがみそでしょう。
いわゆるカンタータという扱いで、ソリスト4名はいってます。合唱もソロも、歌がほぼぶつ切り状態と言いますか、歌ったとたんに終わる。ドラマよりもシチュエーションの説明であり、やっぱり物足りない曲。ですので、どうだったのかよくわかりません。破たんはありませんでした。
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前半のジークフリート牧歌。18分
大人数で演奏されました。弦の準備体操のようで。
スタッカート風な弦の立ち上がりに特徴があるような気がするが、それ以上にどうかというところは特にありません。
おわり


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