.
ニューヨーク・タイムズはヘナハンではなく、EDWARD ROTHSTEINが評を書いている。
THE NEW YORK TIMES,
MONDAY, JANUARY 9,1984
By EDWARD ROTHSTEIN
ブルックナーの交響曲第9番のフィナーレを完成させることは、音楽学者によって不完全なスケッチに手を加えて完成させるよりも、もう少し根気のいることだ。
ブルックナーの9番は神話的な意味合いに覆われている作品である。既に出来上がっている最初の3楽章は、苦悩した作曲家の生涯の総決算、初期の自身の音楽の想起、間近な死への音楽的試みや宗教的な疑念、といったまさに”精神的自叙伝”に他ならないものとして聴かれる。
しかし、その作品の完全版の世界初演は昨日の午後、カーネギー・ホールでモーシェ・アッツモン指揮アメリカ交響楽団により行われた。(イダ・レヴィンのソロでモーツアルトのヴァイオリン協奏曲第5番の生ぬるい演奏が先立って行われた。)
ウィリアム・キャラガンが完成させたこの版は、実際ブルックナーの音楽スケッチによるという意味だけではなく、作品の精神的広がりまで内包している。ブルックナーは第3楽章を”生への別れ”とよんだ。そのような別れにふさわしく続くことが出来る楽章はどのようなものか。ほぼ全部トラウマの音であり、苦難、超越、を想起させるような音楽に先立ってどのようなものに奮い立つことが出来るのか。
作品が1903年に初めて演奏されて以来、そのような作業のことを推し量るのは困難であり、いろいろな他の試みは不十分であった。”テ・デウム”がこの”別れ”への精神的な解決策としてしばしば演奏されている。それゆえ、ベートーベンの第9との合唱の相似性を形作っている。最終楽章の提示部は1940年に完成していた。1970年代に完成した他の試みは演奏されないままだった。
ニューヨーク州トロイのハドソン・ヴァレー・コミュニティー大学の医業の教授であったキャラガンは1979年、そのスケッチに注目した。多方面にわたる音楽学の経験も持っていたキャラガンは、ブルックナーが残したスケッチは実際のところ明快であると主張した。5回もの改訂のパッセージとともに、前楽章や他作品からの主題の関係や引用を示している数百のページが残っていた。その楽章のほぼ70%が完成せずにあった。無い部分はスコアでは”空白”であり、まるでページが失われてしまっているようだと主張した。
キャラガンはこれらの空白はハーモニーとテーマの変化の分析を通して補填できると感じていた。しかし、その作品の精神的な広がりにも明らかに動かされていた。最後の方の小節は、ブルックナーの”テ・デウム”の”We praise thee,O God.”からのメロディーの自由な引用である。
昨日スコアなしで聴いた結果は、第一に、やや方向感覚を失わせるようなものであった。アッツモンは精神的自叙伝的なこの作品を、制御された劇的な演奏でブルックナーの”別れ”とした。忠実な試みの第1楽章。のどかで気晴らしの考え込む人間のふざけた様の第2楽章。積もり積もった後悔と記憶の第3楽章。これらは全て伝統的で、平静さをもって、まるで別れが平和を見つけたかのように結論づけられるようだ。
しかしながら、完成されたフィナーレは、まるで、かさぶたが熱にうかれて引っかかれたようで、問題・論点・版を再び論じているように思える。キャラガンの再構築においては、第一に、音楽的なサウンドが神経質である。ブルックナー魂(spirit)を失ってはいないが、彼の精神性(spirituality)を置き去りにしている。
付点の繰り返しは、金管の繰り返すコラールのテーマと混合する。解決策は差し迫ったものではない。しかしそうなったとき、解決策は明白でもあった。キャラガンにとって、死の床での信頼の許容ではなく、定められた勝利を勝ち取った運命の支配を、ブルックナーの”生への別れ”にするという解決策。
音楽は、この”精神的自叙伝”の結果を変えるような力を伴い勝ち誇って終わる。ブルックナーの交響曲は大聖堂と比較され続けている。この新たな解決は私たちに、前近代的なものに確信を持って別れを告げる。
おしまい