2016年10月10日(月) 4:00pm サントリー
モーツァルト 交響曲第36番ハ長調 リンツ 10′6′5′5′
Int
ブルックナー 交響曲第7番ホ長調 (ノヴァーク版) 20′20′11′12′
ズービン・メータ 指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
一言で言うと豊饒な美しさ。このときのために特別なリハは積んでいないと思われますが、日常が垣間見えるような風景から豊かな音楽が満ち溢れる。第1楽章のコーダ、弦の全馬力、圧倒的な渾身のトレモロが、彼らが音楽の使者であること、そして献身の濃さを感じさせる。地響きをたてるような音で、ホルン含めたブラスセクションをヴェールに包み込む。驚天動地のコーダでした。
7番はこの楽章もフィナーレも最後の音型が上昇形で、明るい気配を漂わせながら締めくくってくれる曲。神々しいもので、なんだか、自分にも明るい未来はあるはずだと作曲者の自問自答が聞こえてくるようだ。フィナーレのコーダは何層もの音群が別々にスライドしていくような響きで、それは錯覚なのだろうが、悠然たるテンポで最後まで押し通したメータの演奏ではありました。
曲全般に経過句が目立つというのがあるが、第1楽章のソナタ形式は非常にクリアなものでわかりやすい。
メータの突然のブレーキ。提示部第3主題に入るところで第2主題から派生した経過句のブラスセクションの咆哮が突然、不揃いも顧みずスーパー・リタルダンド。その理由は当のメータのみぞ知る。まぁ、あれは、かけすぎかも。
歳を重ね手綱を緩めたメータ唯一のハードなポイントでした。異常事態は結果的にはそこだけで、あとは丸いもの。ブルックナーの音楽を堪能しました。
それからフィナーレ楽章が長さにおいてアンバランスであるという弱点はこの演奏では克服されていたように思います。以前何度か書いてますように、展開部から再現部への区切りが明確でなく、明確でないというよりもミックスしちまっているように思う。展開部と再現部がこのミックス部分とそれぞれ同じ長さだけあれば、持ちこたえられるとは思うんですが。
ところが、この日のビシビシと引き締まった演奏。ぶ厚い音の束が心地よく引き締まった具合のサウンドが、そういった形式感を忘れさせてくれる。ぶ厚い音の層が時間軸的感覚を緩めてくれる。縦の強調が横軸をゆがめる。
全楽章elapsed time、20-20-11-12の進行具合。頭でっかち感は否めませんが、このオーケストラの特色が生きた演奏で、こういった具合にうまく聴こえてきたのだろう。
アダージョ楽章、ため息楽章、オーケストラの美しさがよく出ました。第1主題の鬱感、第2主題の一筋の明るさ。絶妙のコンビネーション。ため息出ました。美しい。弦の美しい音色には脱帽ものですね。クライマックスにはスーッスーッといった具合で登りつめる。ドラマチックなものよりもアダージョの一点盛り上がり通過のような味わい。ワグナーチューバをはじめとしたブラスの咆哮、空虚な鳴りと思えるワーグナー葬送。まぁ、この楽章にこめるメータの思い、ウエイトはそんなに高くはない。美しさの表現はオーケストラのものだろう。この楽章、堪能しました。
全楽章通して、オーケストラの日常の美しさが前面に出たもので、これが能力というものかと、あらためて実感。
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第1楽章7-5-6-2
提示部2-3-2
展開部5
再現部1-3-2
コーダ2
第2楽章5-2-5-2-3-3
A 5
B 2
A´ 5
B´ 2
A´´ 3
葬送 3
第3楽章4-3-4
スケルツォ4
トリオ3
スケルツォ4
第4楽章5-6-1
提示部1-2-2
展開部×再現部(区別つかず、第2主題無し?) 6
コーダ1
以上、16型の猛烈な演奏のブルックナー。
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前半のリンツ。
ちょっと眠くなりました。10型編成、ポーディアムのほうにプレイヤーが寄った圧縮合奏。なんだが、まだ、色々と温まっていない感じ。ちょっとぬるめの演奏。キンキンいうぐらいのほうが良かったような気がしましたが。
ということで、10/7、10/9、10/10、三日にわたりメータとウィーン・フィル、大いに楽しむことが出来ました。10/12の第九公演には行く予定がありません。
色々とありがとうございました。
おわり