ワルターは1945年3月29日(木)、30日(金)、31日(土)、4月1日(日)、4日連続でマタイ受難曲を振った。
この時期日本でいうと戦争に負ける直前。
繁栄の極にあるアメリカはそんなの関係ない。
1943年から1947年までは、アルトゥール・ロジンスキーがニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督。
当時、アメリカに亡命して活躍していたワルターであったので、ロジンスキーにかぶる感じでニューヨークでも活躍していた。
ワルターは1947年から2シーズンだけニューヨーク・フィルハーモニックのミュージック・アドヴァイザーを務めた。ロジンスキーに代わる形での音楽顧問。
この時代の録音はラジオ放送からのものがわりと残っている。マタイ受難曲はあるのかどうか知らない。
そんなの関係ない、とはいうもののオーケストラのレベルはこの時期、少し低下しており、というよりもむらがある。
1958年シーズンのバーンスタインの時代まではまだ少し時間がある。
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それでこのマタイ受難曲ですが、河童はあいにくと聴き逃してしまいました。
プログラムにあるとおりアンカット。つまり省略なし全曲ということになるのだろうが、なぜ、コンプリート・パフォーマンスと書かないのだろうか。カットはしていないが全曲ではないということ?
プログラムによると最終曲は第68曲ではなく第78曲となっておりそこまでのテクストが載っている。
また、休憩45分をはさんで約4時間の公演であり、実際の長さは不明であるものの、見込み時間としてもかなりの長さだ。異例とは言わないが今よりゆっくりしていたのだろう。
ワルターのこの時期の演奏は、猛スピードのものが多く、アメリカのオーケストラは腕まかせでついていく、というか追い越してしまう。そんななかで、比較的スローなマタイを展開していたのだろうか?
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この日の演奏がブロードキャストされたか、また、盗み取りされたか、現存する音盤があるのかどうか。宇野さんの名盤駄盤の本には載ってません。
見つけました。
というか、CDもってました。
Minerva MN-A20 です。
CD1枚だけです。第1部のみの収録です。
第2部ももしかするとどこかにあるかもしれませんね。
それにしても、CDあることすら忘れてましたのでたぶんコレクションになっていただけ?
反省の意味をこめて、今週時間があれば聴いてみますね。
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ということで、ニューヨーク・フィルハーモニックの本拠地は当時カーネギー・ホールなわけですから、カーネギーホール専用プログラム(当時は、ニューヨーク・フィルハーモニックからでてる普通のプログラムとそれとは別に大きいサイズのカーネギーホール専用プログラムがあった)には、曲の紹介の前に真っ先に書いてあることがある。
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火事警告
今すぐに見渡せ。
席に座ったら、一番近くにある出口を選べ。
火事になったら、その出口に向かって歩け。(走るな)
周りの人を通りに押し出すな。
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煙がたったら、いくらマタイ受難曲をやっているとはいえ、聴衆は全員あっというまに逃げ出すでしょうね。
その点、日本人はちょっと違うかもしれません。地震で少しぐらいグラグラしても聴くほうもやるほうも、続行。
日本で来日オーケストラが演奏している場合はどのような反応になるか、たぶん問題が発生する。
オール・ジャパニーズの場合はマグニチュード4弱ぐらいまでは普通に続行だろう。
話がそれました。カーネギーホールはマンハッタンの強固な岩盤の上にあるので地震はまずありません。問題は地下です。
地下鉄ですね。RR、Nの猛スピード音、火を噴く車輪。
バッハも逃げ出すかもしれません。
おわり