河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2207- ドヴォルザーク、スターバト・マーテル、ハルトムート・ヘンヒェン、新日フィル、2016.10.21

2016-10-21 23:06:54 | コンサート

2016年10月21日(金) 7:00pm トリフォニー

ドヴォルザーク スターバト・マーテルOp.58  20′10′6′9′5′5′6′5′5′9′

ソプラノ、松田奈緒美
アルト、池田香織
テノール、松原友
バス、久保和範
合唱、栗友会合唱団

ハルトムート・ヘンヒェン 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


この詩への共感というのは、読み始めてすぐにマリア様の立場になって出来事を感じることが出来るからなのではないかと思う。この詩のバックグラウンドは到底およびもつかないもので無学な自分には理解のおよばないものではあるのですが、それはそれとして、その人の立場というのは妙な言い方なれど、すぐに真剣にそこに立てる。なぜなのかわからない。わからないけれども、宗教性の無い自分でも読むほどによくわかる。その立場に自分をトランスファー出来る。幾百の作曲家が題材にしてきたのもよく理解できます。
最初の3行で脊髄を電気が走ります。

ドヴォルザークは3人の子を失うという悲しみ。インスパイアといえばこれまた妙な言い方になるけれども、悲しみを受け止め癒すには悲しみの創作しかないのではないか。悲しみを現実のものとして受け止め昇華させるには創るしかなかったのではあるまいか。悲しみが心に突き刺さるように沁みる。

いつも聴いているようなドヴォルザーク節はほとんどありません。ほぼ全くないと思いますね。ドヴォルザーク作品だと思って聴くから香るところは無いとは言いませんが。

第1曲、清らかな明るいテノールから幅広のソプラノに受け継がれてゆく最初の詩、悲しみの聖母は立っていた。一瞬にしてその世界にはいっていくことになります。これです。
この第1曲目が一番長い。ここに他者はいない。母と子だけの世界。
今年のバイロイト、ネルソンスがパルジファルをキャンセルし今日の指揮者ヘンヒェンが振ったという。その具合は知らないですけれど、この1曲目、指揮棒を持たず柔らかく振られた腕、なんという清らかで澄み切った合唱の透明さ。一瞬そのパルジファル終幕大詰めのコラールが天から奏でられたような錯覚に陥ってしまった。やっぱりビビビの電気。
この合唱と同色系のトーンで塗りこめられたオーケストラの角の無い滑らかでシームレスな進行と響き、そしてちりばめられた多彩なニュアンス、驚くべきヘンヒェンの棒。特に出し入れ豊かな音楽の表情は圧倒的。
第2曲でこのシーンを皆にうったえかける。ここは残酷なシーンなのだろうか、なにかリアルなものが背を走る。この2曲目が1曲目の次に長い。この2曲で全体の三分の一以上を占める。
合唱の第3曲、そしてバス独唱と合唱による第4曲。結局4曲までで45分と全ウエイトの半分以上。聴後感は、もうここまでで尽きた感がある。

あなたの苦難をわたしのものにと分けてください。ここらあたりは悲しみの平地であろう。
5曲の合唱、そして清らかでお見事なテノールと合唱、次のオンリー合唱、松田さんの日本人離れしたソプラノが極めて美しい8曲目の二重唱。のどの広さが見えるような横広なソプラノ、でかい声だ、繊細なピアニシモ、なき子を包むような声、神経細胞が見えるようなデリカシーが子を包み込む。

そして、第9曲、音楽は音の実感を伴って盛り上がる。池田さんのアルト独唱、この前別の役で聴いたばかりだが、それとは一変した歌いようで、もはや、火を吸い込んでくれるのではないのか、これなら火にくべられることもないだろう、その実感のような歌いっぷりで、あまりの素晴らしさに、当方、ギブアップ。ねじ伏せられました。

終曲、たとえ肉体は朽ちるとしても。このあとの詩は、人さまざまだろう。それでいい。
前曲から音楽はさらに圧倒的な盛り上がりをみせる。ものすごい心的盛り上がり。合唱のなんという厚さ、極美な歌が響き渡る。この日、合唱は明晰といえるキーワードで満たされていましたね。
そして心的もりあがりをもう一歩高みに持っていってくれたオーケストラの慎ましやかとさえいえる抑制美。音が流れ合唱が歌いソロが覆い尽す。悲しみの盛り上がりは最高潮をむかえたかと思うと静かに心鎮まれりとピアニシモエンド。ヘンヒェンは激しく動き高まり、自らをコントロールして終わりを締める。音楽に耽溺することの無い棒でこの終曲含め10曲ともに、すぅっと終止する。余韻は空白で感じるものなんだよ、そう言っている。大詰めフィニッシュもお見事なものでした。

ヘンヒェンは合唱にはタクトを使わず柔らかに腕を振る。的確な指示、右左横に腕を振るのが目立つ。川が流れるような具合の動き。
ソリスト、オーケストラのときはタクトを持ち比較的ピンポイントな振りですね。ソリスト連が指揮者に近く、ちらちら横目で指揮者を見ながらの歌の局面もありました。特に松田さん、池田さん女性のお二人がより近いのか、よく見ておりました。ということは目を動かし顔は正面を見て歌い切っているということです。身体がぶれないソロは歌だけでなく楽器の場合でも大切なことですね。最近はよく動くインストゥルメント・ソロ奏者多いですから、今日の歌いての身振りを煎じて飲んでほしいですゎ。
いずれにしも、指揮のヘンヒェン、絶妙な棒、彼がいればこそ出来た全員団結のマリア様。


空席がみえた演奏会でしたけれども、いつものぎゃあぎゃあいう声が無く、じわじわと拍手が少しずつ盛り上がり、何よりも、途切れず続く。西江コンマスが、終演おじぎしなかったら拍手はいつまでも続いていたと思いますよ。素晴らしい演奏の余韻があのやむことの無い拍手でしたからね。

オーケストラメンバーにトラが少なくなってきているような気がします。上岡さんが監督になったからかな。どちらにしても正規メンバーで出来るのはいいことだと思います。
今日はいい演奏会ありがとうございました。
おわり


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