2018年3月7日(水) 7:00-9:20pm コンサートホール、オペラシティ、初台
フリードリヒ・グルダ コンチェルト・フォー・マイセルフ 12-12+7+9
ピアノ、小曽根真
エレクトリック・ベース、ロバート・クビスジン
ドラムス、クラレンス・ペン
(encore)
小曽根真、ミラー・サークル 5
ピアノ、小曽根真
エレクトリック・ベース、ロバート・クビスジン
ドラムス、クラレンス・ペン
Int
ラフマニノフ 交響曲第2番ホ短調Op.27 19-10-15-14
アンドレア・バッティストーニ 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
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積年の思いがようやく叶い生で聴くことが出来た。これまで録音で聴いてきたけれどもやっぱり生の迫力はサウンドだけではなく、目に見えるものの説得力もデカい。
モーツァルトの清涼感から現音の難しそうな技まで色々と駆使し、それでも今となっては歴史のフレームに入ってしまうようなところもあるけれどもそれも含めグルダの思いというものが良く書きこまれたもので聴衆へのうったえかけも濃く、なにやら、終楽章のブラスの鳴りがまるでベートーヴェンの運命終楽章の主題のようにさえ聴こえてくるような名状し難い眩暈を感じさせながら40分の大曲を弾き終えた小曽根さんのピアノはまことにもって素晴らしくてピュアできれいなモーツァルトの清流であったり、プリペアードピアノのようなギッコンバッタンをわけも無く易々とプレイしてしまうそのあまりの見事さに唖然としながらエポックメイキングな夕べを大満足の中、過ごすことが出来てこれ以上の僥倖は無い。
昔、グルダの見開き2枚組のLPだったと記憶するそのなかに、リコのために、という曲が入っていて短いながらグルダのナイーヴな神経を見る思いで聴いたのを思い出した2楽章。ムーディーな雰囲気を醸し出しこちらへのフレーム幅も大有りだったなと楽しさこの上なく曲が進んで行く。途中のオーボエソロはスタンディング・プレイ。
3楽章は小曽根さんの技全開で見ているだけでも楽しい。ピアノの弦を手や撥でバチバチと叩いたり、かと思うとその撥を弦の上に横に置き、ピアノの鍵盤をたたくとその撥がポンポンと飛び跳ねて、それさえも音楽的音響を醸し出すという、とにかく目が一滴も離せない状況になってきてスリリングな小曽根マジックを堪能するとともに、改めてこのような席を分けてくれた東フィルさんには感謝の言葉が浮かぶのみ。
終楽章の運命主題と勝手に呼んでいるフシの強烈カツ爽快なブラスセクションの筆の運びは東フィルいつになく派手で、まぁ、後で考えてみるとバッティのせいだなと思うところもあったわけだが、クラを置かないウィンド、その後方のブラスセクションは直線的配置で音が派手に広がってくるしパースペクティヴな奥行き感も申し分なく、ステージ最手前のピアノ、かみ手にはエレクトリック・ベースとドラムス。この立体感。本当にフル満喫。
この段になってエレクトリック・ベースの品のあるビンビンが圧巻、それに、なんという奥ゆかしき叩きに徹したドラムス。ステージのポジション的に音を抑えたというところもありそうだけれども、クラレンス・ペンのコントロールとセンス、やるもんですなあ。
ロバート・クビスジンのベースはピアノの蓋でよく見えなかったんだが音をソリッドに伸ばしていくあたりどんな技なんだろうと見晴らしのいい席で観ることが出来る金曜のコンサートがこれまた楽しみ。
終楽章はオケが派手に鳴るものの、小曽根ピアノは自分のスタイルを保持したまま割と冷静に音の流れを作っていく。譜めくりに結構忙しくて、どのような難曲なんだろうと、楽な世界にいる聴いているほうは積極的享受するのみと、これはこれで贅沢の極み。
グルダの素晴らしい作品、それに演奏。大満足。もうここまでで、おなか一杯。
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だというのに、後半はバッティの振る灼熱のラフマニノフ。もはや、何を出されても食べれない状況へ。
1時間におよぶ大演奏。あまりに激しい演奏に、なんだか、瞬間的に終わってしまったような、これはこれで軽い眩暈を覚える。
ヴェルディの上をいく様なイタオペ満開極致、その限界越えのようなラフマニノフ。ダイナミック、ドラマチック、濃い濃い、アコーデオンの蛇腹のように音楽が動いていく。ブラスセクションの草木をなぎ倒すような圧倒的な咆哮は、まるでロシア音楽じゃないかと思ってみるも、はて、ラフマニノフだったと妙に腑に落ちるところもあって。まぁ、剥がしの鉄人といったところ。
コーダはさらに駆り立て猪突猛進の突進フィニッシュ。もはや、こっちがヘトヘト。
メインディッシュ二皿、おいしいディナーを満喫、満腹感に浸る。
ありがとう。
おわり