河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1457- Defying Wagner With Buckets of Blood メトのパルジフ

2013-02-14 22:45:20 | NYT

ニューヨーク・タイムズ2013年2月7日(木)の記事です。
メトの新演出パルジファルの初日は2月8日でしたので、記事はリハーサル等についての内容となります。
.
NYTの2013.2.7オリジナル記事はこちら→ここ
ここにもあります→ここ

Par

左から、カウフマン、ダライマン、パペ、マッテイ

.
大量の血でワーグナーに立ち向かう
CORINNA da FONSECA-WOLLHEIM 記
.
月曜(2013.2.4)の午後、ヨナス・カウフマンは真っ赤に汚れた手で、メトロポリタン・オペラハウスの楽屋に立っていた。彼がタイトルロールを歌う新演出のパルジファル第2幕のリハーサル。メーキャップなしでジーンズによれたシャツという格好で、肌には舞台の上の血がついたままだった。
この演出には大量の血がでてくる。映画監督フランソワ・ジラールによるものでこの金曜日(2013.2.8)にメト初演出となるものです。(これはリヨン・オペラと共同制作になるもので既に3月に当地で初演済み)
第1幕では舞台を二分する乾いた河床を血で満たす。第2幕では床全体が、水とグリセリンと食品着色料で作られた偽の血、1600ガロンでおおわれる。
「このオペラはいたるところ血だらけだな。」ドイツのテノール歌手カウフマンは続けて、「これは治らない傷に関係してるんだから、この傷の中で第2幕をやればいいんじゃないかな。」
.
1882年に初演されたパルジファルはワーグナーの最後の舞台芸術作品。寓話、儀式、哲学的な遺言でもある。ワーグナーは紫色のインクで書いたパルジファルを舞台神聖祝典劇Buhnenweihspielとしました。
ワーグナーはバイロイト以外でパルジファルを上演しないよう言い残した。バイロイト祝祭歌劇場は、オーケストラピットを覆い隠し、聴衆を暗さの中に陥れることにより、これまでにない没入と敬意を持った聴き方を作り上げた。今日まで、バイロイトにおけるパルジファル上演では最後に拍手はありません。(*そんなことはない。河童)
.
スコアのコピーが密輸され、1903年にバイロイト以外ではメトで初めてパルジファルが上演されました。それ以来、誘惑に抵抗し聖杯騎士のパワーを手に入れる幕で、知識というものを得る「無垢の愚者」のドラマには解釈が要求されるようになった。
「パルジファルは監督してうまくいくようなもんじゃないんだな。」レッド・ヴァイオリンといった映画等で知れ渡るカナダの映画監督ジラールは言う。「5年間パルジファルの仕事をしてきたんで、今ならシアタースクールの連中に、なんで不可能な作品なのか講義できるようになったよ。」
.
ジラールのパルジファルのビジョンでは、地球温暖化によって不毛になった世紀末後の世界を描いている。マイケル・レヴァインのセットについてカウフマンはこう言っている。「長年雨が降らず、地表に割れ目ができているアフリカのイメージなんだ、まさに。」
.
前奏曲の間、聴衆がみるものは反射するカーテンに映し出される自分自身です。「レディース・アンド・ジェントルマン、さあ、あなた方自身の物語の始まり始まり。」ジラールは続ける。「これは自分自身の、哀れみと誘惑の根本原理、それに精神性を探すことに関するものなんだよ。」
ほとんどのパートはワーグナーのテクストに近いとジラールはさらに付け加える。「白鳥もいれば、槍もあれば、聖杯もある。」「第2幕はいつだって抽象的。暗黒の王子クリングゾルについては、それは意識下のものとして明らかにされる。アンフォルタスの深い傷の中に分け入れば、それは奥底の人間の血のなかにあって、結局は重心部分なのです。」
.
第3幕でアンフォルタスの傷が癒え、パルジファルが聖杯の槍で国を再統一。そのアンフォルタスを歌うのはピーター・マッテイ。グルネマンツはルネ・パペ、十字架のキリストを笑った罰、幾世にわたる苦痛の輪廻から救済されたい誘惑女クンドリをカタリーナ・ダライマン、クリングゾルはエフゲニ・ニキーチン。
.
ジラールによると、輪廻、自己犠牲、哀れみの啓発といったオペラのテーマはワーグナーの仏教的な魅力であるのは明らかである。ショーペンハウエルの著述を通して東洋の精神様式をワーグナーは知った。特に自己犠牲という仏教の理想はワーグナーの女神であるマティルデ・ヴェーゼンドンクへの手紙や、彼の妻コジマの日記の中に出てくる。
.
ジラールのビジョンでは仏教徒の法輪は聖杯騎士により表現される。彼らは完全円の片側に座る。前のオットー・シェンクのメト演出でグルネマンツを歌ったパペは次のようの言っている。「閉じた円、騎士たちが打ち破りたいが出来ない、そんな円。」
パペはさらに言う。「それは、男の世界、喪失の感覚、希望、不連続の感覚。そういったものを表現している。他方、排除された女性の社会がある。彼女たちは絶えず新たな星座を作り続ける。男性の配置は安定したものであるけれど、貧弱なもの。4時間半後全てのものが一緒になり、人間的な音符で終わることになる。」
.
このオペラは長大で、また180人におよぶ歌い手、ダンサー、エキストラが必要で、やむを得ずディテール部分の扱いをちょっとはしょった。とジラールは言っている。合唱メンバーにはステップごとに合図を送るのではなく、自発的な動きが出来るようにした。
テクストの詳細部分はそれぞれの役の間でやりとりをし、熱がはいった。古いドイツ語っぽくてなんだか曖昧な感じだったけどね。とカウフマン。
ト書きに関しては、指揮者のダニエル・ガッティがト書きの位置をうまく調整できるようにした。
.
「この作品はみなさんより偉大なんだ。」とジラール。「それはエゴをみんな一様なものにしてしまうんだ。なんでかというとそれは残存する巨大な作品の中にくっつける以外選択肢が無いからさ。」(*意味不明。河童)

「いつでもこの音楽の美しさは圧倒的だよね。」とカウフマン。「これら全ての奇跡と全てのこの情熱が書かれているこの音楽はちょっと信じられないほどゴージャスで魅惑的だ。この音楽にみんな吸い込まれるよ。宗教に関心が無い人たちでさえ、この音楽を聴いている間は、なんだか宗教的になるんだよ。」

以上


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。