河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1415- 音楽の魂、マイケル・ティルソン・トーマス、サンフランシスコ響2012.11.20

2012-11-21 23:10:00 | インポート

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2012-2013シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
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2012年11月20日(火)7:00pm
東京文化会館
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ジョン・アダムズ short ride in a fast machine
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プロコフィエフ ピアノ協奏曲第2番
 ピアノ、ユジャ・ワン
(アンコール)
シューベルト(リスト編)糸を紡ぐグレートヒェン
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ラフマニノフ 交響曲第2番
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(アンコール)
ビゼー アルルの女よりファランドール
コープランド ロデオより
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マイケル・ティルソン・トーマス指揮

サンフランシスコ交響楽団
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都民劇場主催のプログラム冊子、経費節減の典型のような内容には毎度恐れ入る。100歩譲ります。
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この日の白眉はラフマニノフです。バックステージ・ストーリーはあまり好みとするところではないが、MTTが体調万全でないのは見た目、明白。
第2楽章の最終バーのところで、左手で右腕を持ち上げていてやっぱり変が確信に変わり、この楽章終わってコップ水を一杯飲み、第3楽章を振り終え、がまんできずといったところか、第4楽章はほぼ左手のみで振りとおした。熱もあった様な話で、厳しいスケジュールの中、誠心誠意、振り尽したのだ、この音楽の使徒は!
そして予定されているとはいえアンコールを一曲、さらに団員の譜面台を見て、次は、ああこれか、と、二曲目のロデオに突進。このロデオ素晴らしかった。スピーカーからは決して出てこないめくるめくリズムの饗宴。
長丁場のラフマニノフをやり終えて、あの体調でさらに2曲も振る。演奏の内容とその真摯な姿勢に、その場で自然に頭がさがった。(個人的に敬意を表したいと思います)
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そのラフマニノフの2番。
20分10分16分15分
一時間越えで、コンプリート・ヴァージョンだと思います。
演奏内容は、大熱演とか力演といった言葉にあてはまるものではない。
めんめんと流れる音楽、4拍目の動きを見れば意図は明白で、MTTの拍はもはや明確に呼吸を求めており、フレージングの「ため」が美しく、自然に響く。甘美なラフマニノフの音楽は映画音楽のようなものをはるかに越え美しさの極みであった。特に第1,3楽章の優美な音楽にはクラクラする。そして、物憂げな陰影への思い入れ。ささいな変化まで見事に表現している、この集中力。
第3楽章は非常に美しい反面、ややもするとつながりの部分でぎくしゃくしてしまいつぎはぎのような音楽となったりするのだが、MTTの棒ではそのようなことが皆無であった。音楽の流れは飽くまでも滑らかであり自然。
ここまで様変わりしたのかMTTと思いつつ、現われてきた己の本質そのもののように聴こえてくる。
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このオーケストラの響き、特に弦は少し薄いと思います。全体的に拡散系で響きが広がってしまうのは配置のせいだけとはいえないと思いますね。ビッグファイブまでには結構な距離があると思いますが、それでも昔のあまり明瞭でない埃をかぶった様なサウンドからは様変わりしている。オーケストラの技量アップとMTTの意思が成果としてでていると思う。きっちりした表現力、やつさない、そまつにしない、誠意を感じる演奏内容で、やはりそのようなことに心を動かされ、気持ちの波長が揺れてくるのです。
ブラスは少し線が細くひかえめ。このようなコントロールはMTTのものだと感じる。コープランドのように弦とブラスがどちらかというと等価な扱いをするものとは別物という理解。
第2楽章のスケルツォの動きは強調されたものではなく、第1,3楽章のはざまで動きを吸収されてしまったかのように聴こえる。第3楽章までで46分かかっており、その中で10分ほど、道端にタンポポがさいていた。
これらめんめんと流れる音楽の後、第4楽章はもはや楽章全体がフィナーレではあるのだが、律動の喜びというよりはやはり前3楽章に引きずられたようなおもむきで、第2主題の深さに傾斜していく。つまるところMTTのラフマニノフへの思いを理解。弦の歌と抑制されたブラス、一撃のパーカッション、ソロに徹したウィンド、強引さのない棒、オーケストラ全体への気配り。ウエットにして鮮やかなラフマニノフでした。
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アンコール2曲目のロデオがこれまた素晴らしかった。この曲のトリッキーな面白さは生で聴かないとわからないとあらためて思いました。MTTが水を得た魚のごとく振るさまは、やはり、根ざした音楽なのだろうと思う。
その意味では、演奏会冒頭のアダムズのファンファーレ。この作曲家はミニマルがメインというわけではないと思うのですが、この曲は「あたり」になっているようで、あえて言えばミニマルを余裕で駆使している、もはや消化された材料のよう。それをMTTがこれまたよく消化されたものとして自在に振っている。お見事。
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前半2曲目のプロコフィエフ、どうやればこんな変な曲を作れるのか本当に毎度不思議な曲と思う。作曲し始めたとき第1楽章の結末さえ思い浮かんでいなかったのではないか。この曲の演奏は爆なものしか聴いたことが無いのだが、この日の演奏ユジャ・ワンは一言で言うと繊細さに勝り、馬力が今一。押しが足りない、文字通り鍵盤の押しが足りないのではないか、百もわかっているはずだからそのような理解というか、彼女のスタイル、表現方法なのだろうと思う。柔らかさが前面に出ている演奏で、これまでとはかなり異なる演奏を個人的には聴いたことになる。爆さ加減が少し和らいだ感じだが、そうするとこの曲の魅力も半減したような気がして、縁取りが不明瞭になり、作品の力量不足のように聴こえてきてしまった、奇妙ではあるか。
この曲の伴奏にホルンが4本いたが、うち3人が女性。だからどうだという話でもありませんけど、曲のイメージとはズレたが、ワンの柔らかさイメージとは一致したのかもしれない。
ちょっとそれますが、この協奏曲で3人いた女性ホルン陣、後半のラフマニノフでは1名でしたので、やっぱりメンバー表が欲しい。都民劇場さん、プログラムにメンバー表載せてくださいませ。そうすると有料になっちまうんですかね。
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MTTは2曲目のアンコールを終え、もうお寝むの時間よポーズとともに終演となった。あれは本音ポーズだったと思いますよ。
おわり

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