河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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The Ancestry of Philharmonic Hall フィルハーモニック -10-

2006-11-02 00:04:25 | フィルハーモニック・オープニング・ウィーク1962年NYP

The Ancestry of Philharmonic Hall(1) フィルハーモニック -10-

ここに偉大なコンサート・ホールの家系がある。
こんにち最もよく知られているコンサート・ホールはライプツィッヒにある音響的に非常に成功した1886年建築の1560席保有の新ゲヴァントハウスの後裔である。(河童注:1962年時点における新ゲヴァントハウス。現在とは異なる。)
この建物は第二次世界大戦で破壊されたが建て直された。それに由来するホールは特性や形が様々である一方、それらは自分たちへの支援、また家柄を認識している。直系の子孫として、アムステルダムのコンセルトヘボウ、ウィーンの楽友協会、グラスゴーのセント・アンドリュリュース、ブリストルのコルストン・ホール、バーゼルのシュタット・カジノ、チューリッヒのトーンハレ、ボストンのシンフォニー・ホール、そして、リンカン・センターのフィルハーモニック・ホール、などがある。
よく知られているフィラデルフィアのアカデミー・オブ・ミュージックやニューヨークのカーネギー・ホールはオペラハウスの馬蹄形と同じような設計であった。
音楽が大衆のものになる前、特権階級のコンサート音楽は宮廷の音楽ルームでプライベートで演奏されていた。最も古いコンサート・ホールというものは小さいものであった。当時最高のホールの一つ、イギリス・オックスフォードのホリーウェル・ホールは18世紀中ごろに建てられた。そのホールは400席であった。そしていまもそのままである。ウィーンのルダウテンザールはベートーヴェンが生きているときたったホールで、今は既にないが、このホールも初期の有名なホールであった。ライプツィッヒの旧ゲヴァントハウスは400席であったが、1780年に、1894年にこわされた。
1920年より前、アコースティックな測定をおこなえる楽器はほとんどなかった。フィルハーモニック・ホールが計画されるまで、コンサート・ホールの存在意義に関する大規模な国際的研究はなかった。フィルハーモニック・ホールの設計は20世紀の60のコンサート・ホールの詳細な調査に基づいている。観客席の形に影響を与えたもともとの決定は30のホールの調査に基づいていた。加えて30のホールが、フィルハーモニック・ホールの残り部分の詳細に関連した知識をひろげるために調査された。
(続く)


フィルハーモニック・オープニング・ウィーク1962年NYP


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