河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1545- シモン・ボッカネグラ、今年も神様棒のネルロ・サンティ、N響2013.11.10

2013-11-10 20:43:24 | インポート

2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2013年11月10日(日)3:00-6:05pm NHKホール
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~ヴェルディ生誕200年~
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ヴェルディ シモン・ボッカネグラ
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演奏会形式・字幕付き
プロローグ 28′
第1幕 56′
インターミッション 30′
第2幕 29′
第3幕 28′
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シモン、パオロ・ルメッツ Br
マリア/アメーリア、アドリアーナ・マルフィージ S
フィエスコ、グレゴル・ルジツキ Bs
ガブリエレ、サンドロ・パーク T
パオロ、吉原輝 Br
ピエトロ、フラノ・ルーフィ Bs
射手隊長、松村英行 T
侍女、中島郁子 Ms
合唱、二期会合唱団
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ネルロ・サンティ 指揮 NHK交響楽団
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妙な話だがシモンの序幕には心躍るものがある。弦のダークブルーな縞模様サウンド、そしてヴェルディの万歳リズム。ワーグナーなら割愛して幕中に前史として長々と語らせてしまいそうなプロローグではある。
このあとの幕は四半世紀後となるので場面転換向きではないし、無くてはならない話だし、ヴェルディの性格といったものが出ているのだろうか。ほぼ30分に及ぶ長大なプロローグで実質4幕仕立て、カミタソを思い起こすようなところもある。
このオペラはこのプロローグが、物語が動き始める起点としてありながら妙な静寂感があり、そして張りつめた緊張感、これがうまく出れば、全体がばっちりと決まる。
プロローグのあとには休憩が欲しい。出来ることなら休憩はそれぞれの幕間で計3回欲しいところ。上演の場合でも最近は幕を繋げてしまうことが多くちょっとしんどいときもある。記憶ではゲルギエフ&キーロフのロシアもの公演のあたりから強く感じるようになって、さらに新国立では半ば常態化している。演出の一部だといわれればそのようなものもあるかもしれないが個人的には不満。この日のシモンは上記タイミング通り、休憩前と後でかなり異なりアンバランスとなってしまった。このオペラでプロローグと第1幕あわせ約1時間半の緊張を持続して聴くのは心地よいとばかりは言えない疲れがでるのも事実。文字通り、聴くだけなのだから。舞台は無い。
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にもかかわらず、だ。
サンティの神様棒は一体どうゆうことか、聴衆の心を操る魔術師に譜面は不要とはいえ、シモンを譜無しで全て振り終えるなんていうのは神様にしかできないだろうな、やっぱり。
超暗譜棒。
プロローグにおける緊張感と言うのは、素晴らしい指揮者が今ここにいること、からくるのとは少し違う。やはり息を吹き込まれたこのオペラの緊張感を最大限出し尽くしている、曲自体の張り詰めた空気そのものだったように思います。
緊張のあとに弛緩はこない。第1幕は一気に25年飛ぶが、プロローグの緊張感がそのまま継続。この幕は二つに分かれているのだが、どちらも劇的な内容であり気持ちを緩める時がこない。
サンティの暗譜棒は、歌を導入する入りのタイミングが絶妙で、指揮者自身が歌と楽器の両方を口ずさんでいるような錯覚に陥る。
心理描写にすぐれたオペラをこれほど流れるように、かつドラマチックにさばいていく指揮には唖然。また、コンサートスタイルであるため演奏も高濃度に圧縮されていく。第1場の三重唱、二重唱はこのようなオケ伴奏のもと劇的で精緻な歌で素晴らしく、圧倒されました。歌い手たちは高レベルに均等でバランスが良く見事なアンサンブル。バス、バリトンは特にバランスよく秀でたものがありました。舞台をイメージして歌っている様がありありとわかる。アメーリア役のサンティの娘さんがもう少し自己主張を大きくうならせればさらに良い重唱になっていたと思います。ちょっとドライかな。
響きがほとんど腰より下、みたいなオペラなのでソプラノはもっと鳴らしていいと思います。ウェットであればさらによい。ついでと言ってはなんですが、プロローグからのストーリーの流れは複雑で、字幕スーパーにはセリフだけでなく、役どころの名前を入れてくれればなおよかったと思う、わがまま、いいだせばきりがない。
いずれにしても、長丁場のプロローグ、第1幕第1,2場、堪能しました。

ここで30分のインターミッションとなりましたが、気持ち的には緊張オペラがほぼ終わりちょっと緩み。あとは流して聴けるというのもやはり妙な言い方ですが、緊張感慣れした時間帯に至ったということです。
第2,3幕は、オペラのストーリーの力もさることながら、サンティの醸し出すピアニッシモの緊張力が覆いかぶさる。ソリストたちがサンティに吸い寄せられていくさまがまざまざと見て取れる。歌いながら畏敬の念まで見えてくるとはサンティはやはり神なのだろう。昔、メトで彼を見たときはあまり感じなかったのだが、あすこでもサンティは特別な存在のようだ。彼の歴史を縦ではなく流れに沿って俯瞰すればなにか見えてくるものがあるのだろうと思う。
何かの本で見たが同じイタリアの指揮者ジュゼッペ・パタネは250ぐらいのオペラを暗譜していたそうだ。サンティはどうなのだろうと思う。暗譜という行為が技術的、記憶力的ほめ言葉としてではなく、血肉になっているということか。切れば滴るオペラの嵐。生きていく上でなくてはならない血肉であるとすれば、彼は振りつづけなければならない。
聴衆の拍手は自然と神棚を拝むような形になっている、すごいことだ。
おわり


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