2017年7月21日(金) 7:00pm コンサートホール、オペラシティ
マーラー 交響曲第2番ハ短調 復活 24-10+10+5+34′
ソプラノ、安井陽子
メッゾ、山下牧子
合唱、新国立歌劇場合唱団
チョン・ミョンフン 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
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ここ一週間ほどで復活関連、ノット東響、インバル都響(葬礼)、そして今日のミョンフン東フィル。
どれもこれも素晴らしい。今日のミョンフンも前2回とは別の味わいのあるもので魅惑的な演奏でした。
このホールに18型というのは背中ぎっしりのパーカスのみならず溢れかえる楽器群というステージのこともさることながら、1600人キャパのホール、強音では飽和状態になるものでさじ加減が簡単ではないだろう。
せまいオルガンレベルにはコーラスがぎっしり。見たところ男声女声が何人かずつまとまり、バラバラとまだら模様に立っている。マーラーのスコアは知らないがこのような形で立つのはこれまで見たことがない。コーラスはオーケストラと同じタイミングで整列。ソリスト2名は3楽章の最終局面で演奏中の登場。
ミョンフンはノット、インバルに比して解釈はオーソドックスでこれまでの音楽経験をバックにしてそれらを生かしきった消化の妙、味わいのあるもの。ダイナミックでドラマチック、長大な作品にテンションを継続的に保ち、息の長い扱いに長けている、オペラチックな展開がお見事。それもこれも近くで見ると圧倒的なのは、プレイヤー全員が彼の手の中にある。プレイヤー個人が全方位で競っても負かされる相手にはひれ伏すしかなくて、ひれ伏せばひれ伏すほど演奏に磨きがかかると言うデジャビュN響のような風景をひしひしと感じる。そら恐ろしくなるミョンフンの目。ここから電波が100本出ているのか200本出ているのか、全員と1対1の真剣勝負が同時に出来るという離れ業を見る思い。かつ、その1対1が対話や会話のコミュニケーションを感じさせるもので、真剣勝負ながらプレイヤー心にゆとりがあるように見える。何かを許容しているミョンフンの投影を見る思い。これが巨匠指揮者のマジックなのだろうか。
ミョンフンは総合芸術のツボを魅せてくれる。コーラスは終楽章のみ、それもその終楽章が始まってから20分もたたないと出番が回ってこない。クライマックスはそのコーラス導入の複数テンポ同時演奏、舞台裏活用プレイあたりからで、初めからずっとそこがポイントと照準を定めている。このような方針は劇性を高めあおるもので、間違いなくカタルシスのボタンを押してくれる。それまでの全てが前奏曲のようだったとわかるのは体感的快感。舞台のドラマを見ているような気になってくる。まさに観劇のツボですな。
場を静謐にするゆっくりとしたコーラスの味わいは格別な深さ。ここが始まった時、同楽章冒頭のベースから始まりブラスが炸裂するマグマを思い起こし、その導入部というべき原光を感じ、3楽章スケルツォでの転換、第2楽章の夢の中にいるような3拍子、そして第1楽章の葬列。走馬灯のようにフラッシュバックする。全体を常に意識し俯瞰する指揮芸術はまことにお見事というほかない。
オペラで幾度となく観ているメッゾ山下さん。豊穣なトーン、柔らかくて厚みがありこの音楽にふさわしい。光につつみこまれそうになる。スバラシイ。オーケストラの伴奏ハーモニー、バランスも最高。一緒に歌を奏している。ソプラノ安井さんは光の筋を感じさせるもので短い歌唱ながらリザレクションには必要欠くべからざるものですね。美しさの実感。
1600キャパのホールに上から15本ほどの収録マイクがぶら下がり(可視)、ステージ上には同じ規模で乱立。あの壮絶なサウンドをうまく拾うことが出来たのだろうか。いつか楽しめそうだ。
おわり