河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。
全ログ0013まで修復済161024

2382- 細川、嘆き、マーラー、復活、ノット、東響、2017.7.15

2017-07-15 23:37:50 | コンサート

2017年7月15日(土) 6:00-8:30pm ミューザ川崎

細川俊夫 嘆き  3+5+3+7+2′
 メッゾ、藤村実穂子

Int

マーラー 交響曲第2番ハ短調 復活  21-p3-11+11+5+35
    ソプラノ、天羽明恵
    メッゾ、藤村実穂子
   合唱、東響コーラス

ジョナサン・ノット 指揮 東京交響楽団


細川作品の嘆き、これがもし日本人の手による詩、日本語の歌だったらどうだったんだろう、と一瞬脳裏をかすめる。ザルツの委嘱物だからまぁそれは実現しそうも無い事なんだろうね。
地底に漂う曖昧模糊としたマグマのような低弦の鳴り、それがチェロに渡されて徐々に高弦に移っていく頃には楽器の音というよりもむしろ人間の声のように聴こえてくる。大勢の苦しそうな声、第1部前奏曲はそんな世界がいきなり滲み出る。細川得意のヒュ~ドロン的なサウンドは押しのけられて音は流れずドロドロと漂う。こんな感じで5部まで連続する。
2部手紙では朗読のように始まる一通目、歌が輪郭を表わす二通目、それぞれがちょっとふくよかになったようにみえる藤村のメッゾにより語られ歌われる。ダークだ。真っ暗だ。時間の推移、事象と結果がかすかに見える。藤村メッゾはより低いほうにかけて幅が広がりよく聴こえてくる。この作品にふさわしい色合いと力感、それに柔らかさだ。なによりも詩に気持ちが乗り移っている。
3部間奏曲。地底のマグマが少しうごめいているようだ。塗りこめられた不幸な出来事は嘆きに変わる。
4部嘆き。トラークルの詩は時間が止まったように思える。5部の後奏曲にかけて音はやや浄化されてくるがそれらピュアなものまでブラックホールに吸い込まれていくように終わる。

2週間ほど前に聴いた細川の2014年作品のフルス(jp)ではバックのブラスに一時代前の響きを感じたのだが、今回の2013年作品嘆きは細川流の音になっていると感じた。リアルに突き刺さる。

3.11哀悼歌である嘆き、後半にマーラーのリザレクション復活、このコンビネーション。ノットの秀逸なプログラムビルディングの妙。

ところで、こんなにいいプログラムなのにプログラム冊子はこれ以上なく見づらい。
今日の演奏会プログラムはどこに書いてあるのよ。という質問の答えを考えればいかに見づらいものかすぐにわかると思う。

日本式の冊子配列は「今日の演目」のあとにすぐ「出演者紹介」があって、「作品解説」は最後に記載。
今回はそれに2か月3回分の公演を一冊にまとめてしまっていて、かつ3回分を「今日の演目」「出演者紹介」「作品解説」枠にはめてしまっている。歌詞テクストはさらに別にくくるという離れ技でまぁ、最悪に近い。正規化というのは作成者の作成処理効率の話であって、読む者のことは二の次にしているという典型的な例です。
これだけ離ればなれになるとは解説を書いた方は思ってもいなくて、こんなアウトプットになるとは想像もしていないに違いない。離ればなれになることによって非常にわかりづらいものとなってしまった。特に現代音楽の解説はその内容も含め、わかりやすく書く義務があると思っています。


後半は大仕掛けの復活。
1楽章のあとポーズをとってコーラス、ソリスト入場。5分休憩のマーラー指示に近い。2楽章以降は連続演奏。でも、音楽的なフレームは、第1,2,3楽章の束。4+5楽章の束。この2部バランス構成とも思えるが。

大仕掛けの作品の冒頭の緊張感。これからデカい作品に立ち向かうという緊張感は聴く方も同じ雰囲気を味わうものだ。
第1部のオーケストラは慎重に過ぎた感があって、進行が少しぎこちない。ノットが指示を多く出す状況。セクションサウンドは素直に実力通り。どのセクションもそうなので音楽が克明で立体的。角張った表現の楽章だったが力感溢れるもので前進力を感じる。
ウィンド4セクションは荒さんを中心にアンサンブルをしている感じ。今年の春祭りでブリテンのソロ曲を吹いた時もよく動いていた。今日も彼女の動きが引っ張っていっているようだ。
全体に中庸なテンポ、ノット・フィーリング。

慎重に過ぎた第1楽章でしたが、ポーズをとった第2楽章以降はだいぶもみほぐされた。
2楽章は気持ちも少しゆったりした3拍子。硬めに角張っていた音がザラザラとした地の音の肌ざわりになってきてマーラーを楽しむ余裕が出てきた。この楽章のオケは美ニュアンスを極めたもので実に気持ちがよかった。この2楽章が再度の起点のようになりいい具合につながっていきました。
3楽章は大規模なスケルツォ。やや硬めなサウンドが戻ってきて今度は非常に流れが良い。シームレスな音さばきがいいですね。シンフォニックなオーケストラルサウンドがこの3楽章まで続いた。原光と巨大な終楽章に向けてしっかりとしたフォームが出来上がった感じ。ここまでくるとやや硬い音楽的表現はノットのものだろうという気にもなっている。また、ソナタならばこの3楽章までの構成感からいってフィナーレは大掛かりなものになるだろうと先を見据える。

原光はねっちりしたものではなくてノットテンポで進む。藤村の味わいは深い。声に幅があってかつ透って聴こえてくるので非常に聴きやすくて居心地もいいもの。それに嘆きでもそうであったように歌詞に気持ちが乗り移っている。このリアル感。
しっくりとしてきた音楽の表情。終楽章の爆発へ。ノットはこの楽章に35分かけた。コーラスが出てくるまで20分待たなければならないけれども、その前に音楽的感興の高まり、ドラマチックな筆の運び、てんこ盛りで飽かずに聴かせてくれる。東響の明るく輝かしいサウンドはさらに輝きを増し冴え渡る。燃え上がる炎のようで最初から聴いてここまで来て、感動的。力強く美しい。
再現部突入後コーラスとソプラノが座ったポジションのままで歌い始める。東響コーラスというのはなにやら東響と同じような色彩だ。これは力強い。静かで厳かな開始から徐々に高まり、スタンディングの歌唱となり、べき乗の音圧になって迫ってくる。オーケストラの咆哮がホールのあちこちにぶつかり合い凄まじい圧力。ノットフルオープン。激しい指揮。濃厚フレーバー全開、そして2か月ほど前のブル5で魅せたようにコーダは一気に登りつめる。ここの音型は下降形、ブル5も同じ。でも高揚感は圧倒的、ノットの技が思いっきり冴えを魅せた瞬間であった。壮絶を極めた演奏は華麗だった。復活。アンビリーバブル・オーマイノット。
おわり

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 2381- ベトソナ20、悲愴、ハ... | トップ | 2383- マーラー、葬礼、大地... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。