バーンスタインがニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督だったのは、1957年から1969年まで。
1957年から1969年までと記述したくなりますが、紛らわしい。
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シーズン制ですので、通常はこのように書くのが正しいと思います。
1957-1958シーズンから1968-1969シーズンまで。
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下記の●が音楽監督時代の振った回数です。
○は前後の監督時代に振った回数です。
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≪バーンスタイン指揮回数(音楽監督時代)≫
○ミトプーシーズン1956-1957 指揮21回 ピアノ2回
●1S 1957-1958ミトプー兼 61回 16回
●2S 1958-1959 127回 36回(*1)
●3S 1959-1960 115回 35回
●4S 1960-1961 82回 12回
●5S 1961-1962 56回 0回
●6S 1962-1963 94回 5回
●7S 1963-1964 63回 0回
●8S 1964-1965 10回 0回
●9S 1965-1966 82回 0回
●10S 1966-1967 89回 0回
●11S 1967-1968 84回 10回
●12S 1968-1969 47回 6回
○セル顧問S1969-1970 30回 0回
○不在S1970-1971 23回 0回
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(*1)36回中9回はハープシコード
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すさまじい回数です。定期、ヤングピープルのヴィデオ、国内外ツアー、などアンビリーバブルな回数。
さらに驚くべきは、この時代ものすごいセッション録音をしているわけで、それらは今でも衰えを知らぬラインナップで、合わせてみてみると、ほとんど人間業とは思えない。
彼の本を読んでいると、カーネギーホールの定期を終えてからそのままメンバーとマンハッタンセンターでセッション録音とか、ザラ、だったらしい。
神様、仏様、バーンスタイン様。
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時代や契約などが昔とは違うとはいえ、例えばN響に音楽監督、何回振ったっけ?という話で。文字通り桁が違う。
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それに注目すべきはピアノの弾きぶり。ハープシコードと合わせ最初の4シーズンで99回。
ミトプーもすごかったらしいが天才の後任にふさわしい。
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とにかくこの12シーズンと前後1~2シーズンは、ニューヨーク・フィルとの完全蜜月時代。オケとけんかしている暇があったらレコーディングをしよう、みたいな雰囲気だったと思います。双方、栄光の時代でした。
おわり
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(注)このカウントは1シーズンを、シーズン・オープニング・ナイトから、次のシーズン・オープニング・ナイトの前日までとした合計です。
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