河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1307- 二日目 メシアン トゥーランガリラ、プレヴィン N響2011.10.22

2011-10-25 01:22:13 | インポート

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2011-2012シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちら。
2011-2012シーズン
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2011年10月22日(土)3:00pm
NHKホール
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メシアン トゥーランガリラ交響曲
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 オンド・マルトノ、原田節
 ピアノ、児玉桃
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アンドレ・プレヴィン指揮
NHK交響楽団
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東にその演奏会あれば、
雨にも負けず出かけ。
西にその演奏会あれば、
風にも負けず出かけ。
北にその演奏会あれば、
寒さに負けず出かけ。
南にその演奏会あれば、
暑さに負けず出かける。
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熱意はいつもこんなよそおいで、この曲だけははずせない。
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前日に続きN響定期二日目。
宇宙のときの長さに比べたら作曲にかかった年数などものの数ではないが、この曲は演奏時間80分、それと同じぐらいの瞬間で作曲されたかのような錯覚に何度聴いても陥ってしまう。いくら天才でもそれなりに苦労を重ね時を重ねた曲だろうに、まるで一瞬のうちに作られてしまったかのような総天才技。どうすればこのような曲が生まれえるのだろうか?
なにもかもが際どくて、縁(へり)に立たされたような危ない感じで、でも立つところはそこしかない、そんな感じの曲です。時の流れよりも気持ちの崖っぷち感があり、シュヴァルツシルト半径のような(見たことはない)、ミステリーとスリルを味わえる。

この曲のクライマックスはどこにあるのか、という前に。
前日に続きこの曲を聴いたわけですが、この日は、第6曲と第8曲の結びつきを強く感じました。第6曲「愛のまどろみの庭」の節(ふし)は、第8曲「愛の展開」の無数の節のうちの一つでしかないのですが、ブラス・セクションにより強烈に謳歌されるといっても大げさではないくらい圧倒的な咆哮が水平に奏でられます。昨日に続きこの第8曲のエネルギーの放出技はN響としても出色だったような気がします。
プレヴィンは、フィナーレの第10曲にアタッカで入ります。第9曲は前曲第8曲のエネルギー放出後の整理体操みたいな感じでもあり第10曲への準備体操のようでもあります。
第10曲は等身大の表現。大上段に構えることもなくスコアにある音の響きを再現。それだけでも大変だと思いますが、第8曲ともどもいい響きの饗宴を魅せてもらいました。
第8曲の水平感とフィナーレ第10曲の縦の切り込み、水平垂直感の対比が見事で、もちろん曲を熟知したプレヴィンならではということ。
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めくれるブラスの炸裂、ピーンと上方に湾曲した弦の透明感、同時に鳴っても打ち消し合わないN響ならではの力。ウィンドは味わいの響きで全部飲み込んでしまいたい。パーカッションは中央から左に比較的広がっていましたが、あのような平面的で全部楽器が見えるような広がり方の方が響きの多様性を楽しめる。
ピアノの児玉はメシアンに精通、譜めくりすら自身で風切る勢い。オーソリティーのすごさだなあ。
音階に段差のないオンド・マルトノ、この曲に神秘性を持たせるには最高の楽器かもしれない。メシアンはこのサウンドがどのような色にみえたのだろうか。

トゥーランガリラ1、トゥーランガリラ2は、それぞれサンドイッチ。
トゥーランガリラ3はフィナーレへの前奏。
屋台骨的フレームは第1、5、10曲。
クライマックスは第8曲「愛の展開」のように思える。
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おまけ、これまでの演奏の感想。
696‐ジュー、そして、トゥーランガリラが響きわたる。イラン・ヴォルコフ&都響2008.10.14
683‐シルヴァン・カンブルラン トゥーランガリラ 2006.12.15
途中未整理。下記は初めて聴いたときのも。
メシアン オンド・マルトノ  トゥーランガリラ交響曲1994.2.26
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