ある地方の巡業公演のあと、街中のアーケード街を歩いていたら後ろから大柄のN響メンバーが歩いてきた。
即座に、持っていた文庫本を開きブランクページにサインをしていただいた。その文庫本が何だったかは河童蔵を探さないとわからないが、とにかく唯一の個人的思い出だ。
カラヤンに認められたとかいったことが先走り、とにかく著名な人ではあったが、トランペットの北村源三と同様、一曲演奏される間にかならず一か所はトチルといった印象が強い。本当にカラヤンにみそめられたのだろうか。カラヤンさん、本当だいじょうぶ?
などと逆に思ったりもしたものだが、今にして思えば、曲の全体感に重きをおくプレイヤーだったのかもしれないという思いの方が強くなりつつある。
オーケストラという大所帯の中で、個人の、それもトップのプレイヤーが、全体を見渡しその方向感を決めるような演奏をしていたというのは、やはり、すごかったということなのだろう。
技術的には、今のどのオーケストラのトップでも当時の千葉の上をいっているだろう。でも、曲、指揮者、の示すベクトルをそれらとともに一緒に示してくれるプレイヤーは今は不在。だから千葉馨の存在は大きかった。ご冥福を祈る。