河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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0001- クレンペラーの指揮台叩き

2006-06-18 16:07:10 | 音楽夜話


YouTube: クレンペラーの指揮台叩き

クレンペラー「おめぇら。なめんじゃねぇ。俺の言うとおりにやれ。」

フィルハーモニア管弦楽団「シーーーーーーーーーン。」

この映像は、プロのオーケストラにエグモントの稽古をしてあげてるとこ。

いまどき、こんなことしたらオケのメンバーに総スカンされるのがオチ。

だけど、どうやったら、今の根性もしまりもない、上滑りの、薄っぺらな音、存在するのは才能の無い指揮者ばかり、の状態をもとに戻せるの?指揮のかたもオケの皆さんも気をいれて演奏してね。演技はもういいから。

クレンペラーの、なめんなよ発言に文句言えるオケメンバーがいるとは思えない。マーラーとともに生き、当時の現代音楽に息吹を与え、音楽の歴史を綿綿と創造してきた人間の吐く言葉に誰が文句をいえるものか。一言たてついたら1000返ってくるだろう。そしてその言葉は全て正しいのだ。きっと。

歴史を作ってきた人たちの凄み。その歴史を今こそ受け継いでいかなければならない。その使命に燃えているのか。それともエンタメ学芸会とのバウンダリーで生きていけばいいと思っているのか。

出て来い。日本人根性指揮者。ところで、みなさんはジャナンドレア・ノセダの指揮姿をみたことありますか。あのバーンスタインも遠く及ばない、超指揮。手足がモゲテ飛んでいってしまいそうなトンデモ棒なのだ。だけど、見て聴いていると全く理屈にあったエモーショナル。1ミリのわざとらしさも無ければ、演技意識も無い。この棒にしてこの音楽ありなのだ。才能があるというのはこんな現象のことを言うんだろうね。きっと。

出て来い。日本人指揮者。君が音楽を作り、歴史を創り、ホールを造り、我々の耳を洗い、文化を創造するのだ。一心不乱にやるしかないんだよ。

ところで、クレンペラーは自分が死んだのも忘れ、日本人に根性を入れるために、ある日、わざわざN●Kホールまで担架に乗ってやってきた。指揮も担架の上。彼は練習でいきなり一撃をかました。「なめんじゃねぇよ。こんなホールで演奏なんか出来るわけねぇだろ。2階の奥なんか地獄席じゃねぇか。あんなとこ、カネいくら積まれたって座りたくねぇだろ。客も。」

ということで、これから巣立つ棒振りはホールを作らせるぐらいの頑張りを見せてほしいものだ。自前ホールがあればオケも育つ。他のセクションの音も聴こえないようなホールでいいアンサンブルなんか出来るわけがない。アンサンブルとは他人の音を聴く、ということでした。第1回目の日記でした。