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ここで言う「文体」とは「ジャンル」と「スタイル」のことであるという明快にして斬新な定義がなされる。通常は後者のみをさすであろう。前者を加えたのは、文体――文章の書き手の思考の方向性とそれを表現する語句と文章のテーマを決めるのは「スタイル」だけでなく「ジャンル」も与って力あるという意識があるらしい。より正確に言うとするならば、「ジャンル」が「スタイル」を規定するのである。
であるから六朝時代の文筆家は、それらによって“作風の使い分け”をした。“作風の使い分け”イコール“ジャンル”と“スタイル”の使い分けである。
これを私の言葉で言い換えれば、「ジャンル」とは「何を(What?)」、「スタイル」とは「如何に(How?)」であろう。
この本のなかでも「檄」のジャンルの部分で紹介される、有名な陳琳の曹操をぼろくそに貶した檄(「討曹檄文」)は、檄というジャンルとそのスタイルが然らしめたものである。檄とは、正義を掲げ、それを発揚して仲間を奮起(=激)させ、敵を貶め、意気阻喪させるための「文体」だからだ。そのようにしか書かないし、書けない。だから陳琳の場合でいえば、かれは袁紹に仕えているあいだは激を書けば袁紹の正義を述べたわけで、のち曹操に仕えれば当然曹操の正義を述べるであろう。まったくとは言わないがこの変化は書き手の節操とは関係がない。
司空曹操:祖父中常侍騰,與左悺、徐璜並作妖孽,饕餮放,傷化虐民。父嵩乞丐,攜養,因贓假位;輿金輦璧,輸貨權門;竊盜鼎司,傾覆重器。操閹遺醜,本無懿;僄狡鋒俠,好亂樂禍。
其得操首者,封五千戶侯,賞錢五千萬。部曲偏裨將校諸吏降者,勿有所問。廣宣恩信,班揚符賞,布告天下,咸使知聖朝有拘迫之難。如律令。
つまり、文体がちがえば、取り上げるテーマはもちろん、言いかたも意見も違ってくるということである。たとえ一人の人間であってもである。それが“作風の使い分け”ということである。
(汲古書院 2014年3月)
ここで言う「文体」とは「ジャンル」と「スタイル」のことであるという明快にして斬新な定義がなされる。通常は後者のみをさすであろう。前者を加えたのは、文体――文章の書き手の思考の方向性とそれを表現する語句と文章のテーマを決めるのは「スタイル」だけでなく「ジャンル」も与って力あるという意識があるらしい。より正確に言うとするならば、「ジャンル」が「スタイル」を規定するのである。
であるから六朝時代の文筆家は、それらによって“作風の使い分け”をした。“作風の使い分け”イコール“ジャンル”と“スタイル”の使い分けである。
これを私の言葉で言い換えれば、「ジャンル」とは「何を(What?)」、「スタイル」とは「如何に(How?)」であろう。
この本のなかでも「檄」のジャンルの部分で紹介される、有名な陳琳の曹操をぼろくそに貶した檄(「討曹檄文」)は、檄というジャンルとそのスタイルが然らしめたものである。檄とは、正義を掲げ、それを発揚して仲間を奮起(=激)させ、敵を貶め、意気阻喪させるための「文体」だからだ。そのようにしか書かないし、書けない。だから陳琳の場合でいえば、かれは袁紹に仕えているあいだは激を書けば袁紹の正義を述べたわけで、のち曹操に仕えれば当然曹操の正義を述べるであろう。まったくとは言わないがこの変化は書き手の節操とは関係がない。
司空曹操:祖父中常侍騰,與左悺、徐璜並作妖孽,饕餮放,傷化虐民。父嵩乞丐,攜養,因贓假位;輿金輦璧,輸貨權門;竊盜鼎司,傾覆重器。操閹遺醜,本無懿;僄狡鋒俠,好亂樂禍。
其得操首者,封五千戶侯,賞錢五千萬。部曲偏裨將校諸吏降者,勿有所問。廣宣恩信,班揚符賞,布告天下,咸使知聖朝有拘迫之難。如律令。
つまり、文体がちがえば、取り上げるテーマはもちろん、言いかたも意見も違ってくるということである。たとえ一人の人間であってもである。それが“作風の使い分け”ということである。
(汲古書院 2014年3月)