書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

小谷仲男/菅沼愛語 「南北朝正史の沮渠蒙遜伝、氐胡伝、宕昌伝訳注」

2014年09月15日 | 東洋史
 『京都女子大学大学院文学研究科研究紀要 史学編』13、2014年3月所収、同誌113-157頁

 蝉丸氏のブログでその存在を御教示いただいたもの。
 沮渠蒙遜は「天文学の知識に精通していた」由(『魏書』巻九九「沮渠蒙遜伝」)。沮渠蒙遜の出身は臨松廬水(張掖の南)である。また同じく河西人の趙ひ(匪に攵)は「暦法・算術に長けていた」(『宋書』巻九八「大且渠蒙遜伝」)という。これらの記述に個人的な関心が湧く。

朱熹著 土田健次郎訳注 『論語集注』 1・2

2014年09月15日 | 東洋史
 『1』の「訳注者まえがき」で、この『論語集注』は朱子が、『孟子集注』と併せて「一字も添えられず一字も減らせられぬ」(『朱子語類』巻一九)と自負した書であると記されている。原文を検してみると以下である。

 語吳仁父曰:『某語孟集注,添一字不得,減一字不得,公子細看。」又曰:「不多一箇字,不少一箇字。』 節

 だが果たしてそうだろうか? 語義の説明や発音声調の指示の部分はまだしも、内容解説のところは基本的に注釈になっていない。前者ですら根拠が示されず、ただ断定されるのみである。こんにちの基準でいえば、注釈の名に値しない。ほとんどを削り去ってあらたに足し直すべきではないか。上田氏が実質上そうされているように。

(平凡社 2013年10月・2014年6月、続巻は刊行中)

津田左右吉 『文学に現はれたる我が国思想の研究』

2014年09月15日 | 日本史
 『津田左右吉全集』(岩波書店 1966年3月・4月・5月・6月)別冊二~五に収録。

 碩学の精密かつ広範に展開する論述に教えられてばかり。
 津田先生は同胞にも厳しいことを知る。
 たとえば江戸後期・末期の儒学者や国学者の一方的な蘭学否定や西洋と西洋人への根拠の無い偏見蔑視について、その言動の実例を縷々引用したうえで、それらを一括して、

 知識欲が乏しく研究心が弱い偏固さ (別冊五、「第二篇 平民文学の停滞時代 第十七章 知識生活 四 蘭学とその影響」 同書447頁)

 と、一言で評している。