書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

小野和子 「孫文が南方熊楠に贈った『原君原臣』について」

2014年09月12日 | 東洋史
 『孫文研究』14、1992年10月所収、同誌1-10頁。

 『原君原臣』は黄宗羲『明夷待訪録』の「原君」「原臣」部分の抜粋で、『揚州十日記』『嘉定屠城記』とならび興中会初期の革命宣伝パンフレットの1つ。孫がロンドンで親交のある南方に贈ったものが南方熊楠記念館に残っており、著者はそのコピーを入手した(写真あり)。
 孫は「原君原臣」を読めたのだろうか。『三国志演義』について「孔明六出祁山」の句を引きつつ滔々と語ったという馮自由の証言が紹介されているが、『演義』は白話文である。私は孫の文言文の素養に疑いを持っている。たとえばパンフレットの序文を書いたと筆者が推測する鄭観応の講釈に依ったのではないか。
 ちなみに馮自由は、『原君原臣』はよくわからなかったと述べている。馮は当時十四歳で、しかもあまり勉強好きではなかった少年だから(自分でそう言っている)仕方がないが、しかし孫文は十二歳までしか古典教育を受けていない。彼が馮少年以上に理解できたという証拠はない。
 さらにちなみに同じく馮の回想で面白いのは、「『揚州十日記』は小説として読んだ」と言っていることだ。小野氏はこれを「小説ほどに面白かった」という意味と解釈しておられるが、原文未見ながら、これは文字通りに取るべきではないかと思う。あの作品は一読明らかに誇張と矛盾が甚だしく、到底事実その儘とは認め難い内容であるからだ。