書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

池田信夫 「『ハト派』が戦争を誘発する」

2014年09月03日 | 政治
 「アゴラ」掲載。

 韓国や中国は「話せばわかる」国ではない。 

 池田氏とは異なる理由で、私はこの結論に同意する。
 以下がその理由である。
 例えばオグデン/リチャーズ『意味の意味』(床並繁訳述 研究社 1958年11月初版)においては、同一律・矛盾律・排中律・選言律・充足理由律が人間の思考の原理とされる。だがこれらはいずれも中国の伝統的な思惟には存在しない。思考が根本的に異なるから、話が通じないのである。お互いに理解できない。
 だがそれは当然のことで、これらの原則は全て西洋(人)のものだからである。
 それではなぜ同じく非西洋でありながら中国・韓国と日本が話が通じないのかといえば、日本人の伝統的・平均的思考はこれら二国よりもある程度もしくはある部分において西洋に類似しているからだろう。
 同じ事が、程度の差はあろうが、チベットとベトナムについても言えるかもしれない。

石川文康 「ドイツ啓蒙の異世界理解―特にヴォルフの中国哲学評価とカントの場合」

2014年09月03日 | 西洋史
 副題「ヨーロッパ的認知カテゴリーの挑戦」。
 中川久定『「一つの世界」の成立とその条件』(国際高等研究所 2007年12月)所収、同書73-91頁。
 本日「堀池信夫『中国哲学とヨーロッパの哲学者』上下、就中下を読後」より続き。
 
 この論考において、石川氏もライプニッツとヴォルフの中国哲学理解について、堀池氏と同様の評価を下している。

 右の『大学』のラテン語文面〔引用者注・「修身斉家治国平天下」のクプレ訳〕の連鎖式にも、明示されているのは明らかに前後関係だけであって、因果関係ではない。それにもかかわらず、ヴォルフの思考過程は充足理由律という『認知カテゴリー』によって原文の真意を汲み取り、そこに因果関係(充足理由の連鎖)を見抜いているのである。とすると、これこそがヨーロッパ的『認知カテゴリー』がかぎりなく『存在のカテゴリー』と一体化した典型例であるといえよう。 (82頁)

 なお同論文によれば、カントは「中庸」の考え方を、「論理学、すなわち『真か偽か』という二者択一が問題になる領域において」、「蓋然性の論理」として取り入れた由(87頁)。
 
 。関連する研究として、堀池信夫総編集『知のユーラシア 1「知は東から」(明治書院 2013年5月)、また中川久定/J.シュローバハ編『十八世紀における他者のイメージ アジアの側から、そしてヨーロッパの側から』(河合文化教育研究所2006/3)あり。これらも大変に興味深い論文集。

 9月23日補注堀池信夫『中国哲学とヨーロッパの哲学者』下では、『中国の哲学者孔子』における『大学』のラテン語訳の訳者は、イントルチェッタになっている。井川義次「イントルチェッタ『中国の哲学者孔子』に関する一考察」およびKnud Lunbaek "The First European Translations of Chinese Historical and Philosophical Works"と同じ。「第六章 中国古典の翻訳紹介と影響 第一節 クープレとイントルチェッタの『中国の哲学者孔子』」同書211頁。

堀池信夫『中国哲学とヨーロッパの哲学者』上下、就中下の読後感

2014年09月03日 | 西洋史
 2014年08月13日「堀池信夫 『中国哲学とヨーロッパの哲学者』 上」より続き。

 イエズス会による経典翻訳、教義紹介以来、ながらく西洋人は、儒教の「理」を、あるいは「理性」「理法」「この世の根本法則」「原因」と見、あるいは「神」とし、また「道」を、「自然法」あるいは「倫理」と看做してきた。それらはすべて、自分たちの尺度にひきよせて解釈したものだった。

(明治書院 2002年2月)

小野和子『明季党社考 東林党と復社』「第三章 東林党の形成過程 第二節 形成過程」を再読しての感想

2014年09月03日 | 東洋史
 2014年08月23日より続き。

 明末、東林党人の頻りに口にした「公」という言葉、たとえば顧允成の「天下の公」の「公」は、具体的には何をもって「公」であるとしたのだろう。顧の「天下の公」は、皇帝位の継承は皇室の私事ではなく国家臣民にも関わる、また関与すべき問題であるという発言のなかで発せられたものだ。また逯中立の「是非の公」の「公」も。何如なる基準を以てそれが是であり非であると断じるのか。その基準が「公」でありえる要件は何か。さらに彼らは自らを「公党」であると自認した。史孟麟曰く、補弼の臣の党は私党、しかし我らは朝廷の公党であると。

(同朋舎 1996年2月)