書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

ヴィクター・J・カッツ著 上野健爾ほか監訳 中根美知代ほか訳 『カッツ 数学の歴史』

2014年09月02日 | 自然科学
 出版社による内容紹介。

 「1.4 1次方程式」、本書21頁。
 
 中国でも,連立1次方程式にも関心を持っており,それを扱うのに二つの基本的なアルゴリズムを用いた。〔中略〕中国人の著者はこのアルゴリズムにどのようにたどり着いたかを説明していない。

 それは知っている。盈不足法である。この解法が『九章算術』にあることも。ただ私は、その事実と「盈不足法」の名だけを知って、その内実を知らなかった。この書で初めて教えられた。「この方法論は,バビロニア人たちが最初にこうかもしれないという解を『推測』し,この推測に調節を加えて正しい解に最終的にたどり着くのと似ており,中国でも線形関係という概念を了解していたことがわかる」 『九章算術』の成立は前1世紀から後2世紀にかけてだが、盈不足法の出現はいつだろう。
 中国の暦法は、紀元前300年頃に西欧のカリポス暦法が伝わって四分暦に進化したという小嶋政雄氏の説がある(「春秋の暦法に就いての試論」)。氏は同時に、バビロニアから六十進法による占星術も伝えられて、それが干支紀日となったのではないかという可能性を指摘しておられる。屋上屋の上にさらに屋を架すことになるが、この時にくだんのアルゴリズムも伝わった可能性はないか。

(共立出版 2005年6月)

追補

 『塩鉄論』に出てくる「散不足」はおそらく「羨(=盈)不足」の誤りだという宮崎市定氏の説がある。この書は前1世紀の出来であるから、この語彙と概念が見えても不思議ではない。さらに言えば「羨不足」は戦国時代の『管子』にも現れるけれども(第73「国蓄」)、この書は最終的な成立が前漢時代までずれこむから古い来歴の根拠とはなりにくい。一部、2012年08月27日「宮崎市定 『中国における奢侈の変遷 羨不足論』(『史学雑誌』51-1、1940年1月)を読み直して」から議論を引き継ぐ。

柴田篤代表 『「天主実義」とその思想的影響に関する研究』

2014年09月02日 | 人文科学
 文部科学省科学研究費補助金研究(2003年度-2005年度)成果報告書、2005年

 同書18-19頁。『天主実義』(1603初刻)は1868年の重刻において原版の「上帝」が「天主」「上主」「主宰」「真主」と改められた(『方豪六十自訂稿』の指摘と注あり)。またおなじリッチ著の『畸人十篇』(1608初刻)については、1847年の重刻で「上帝」「天帝」「天」が「上主」(数カ所「天主」)へと書き換えられていると。
 柴田氏は「『畸人十篇』研究序説」において、この改変を「改竄」と形容しておられる。いずれにせよ、なぜそれが行われたのか、そしてなぜ「上帝」は不可で上述の諸語なら可であったのかを考えることが、次の問題となるのだろう。