書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

井上勲 「幕末・維新期における『公議輿論』観念の諸相 近代日本における公権力形成の前史としての試論」」

2014年09月12日 | 日本史
 『思想』609、1975年3月、同誌354-367頁。
 再読

 筆者の論の核心部分に当たると思われる部分を抜き書き。

 「公議輿論」観念のキー観念である「公議」ないし「公論」は、「天」観念の最高規範性の、対内的局面における意味変容形象と考えてよい。 (359頁)

 「公論」判定の社会的基準は、「公論」が「輿論」の支持をうけているか否かにある。 (360頁)

 〔「公議輿論」観念の第二のキー観念である〕「輿論」もまた、「人心」の意味変容形態であると考えてよい。すなわち、「公論」が「開国」の限定的領域における規範となったのと平行して、「輿論」もまた漠然とした社会的動向を意味する「人心」ではなくして、「開国」の構成メンバーの具体的政治意見の意味を帯びてくることになる。 (同頁)

 「公論」と「輿論」との関係は、その前身ともいうべき古典的儒学における天と人心との関係からみちびきだされた。近世末から幕末にかけての統治体制の同様のなかで、朱子学的な、いわば静態的で内静的な「天」の認識方法はその有効性を失い、代るに、「人心」、「勢」等の言葉で形容される状況への認識が重視されていく。この過程で、原始儒教における「天」と「人心」との関係はたとえば、「天は知るべからず。然れども天人一理なるゆえ、衆人の心の向背を以て天を知るべし〔原注16〕」として再認識され、「天」と「人心」とのフィード・バックを前提とする、「天」のいわば動態的認識方法が生まれるに至ったわけである
。 (361頁)

  (16) 山県太華「講孟剳記評語上」『吉田松陰全集』三巻、五二九頁。

 かかる動態的「天」観念の認識方法にたつ政策としての「人材登用」「言路洞開」が、幕政改革、藩政改革の綱領として登場することになる。そして、動態的「天」と「人心」とのフィード・バック関係の系譜に立つ「公議」と「輿論」との関係、とくに制度化形象たる「公議政体」論が、「公議輿論」観念の第三の意味内容をなす。
 (同頁)

Knud Lunbaek, "The First European Translations of Chinese Historical and Philosophical Works"

2014年09月12日 | 西洋史
 Thomas H. C. Lee (ed), "China and Europe: Images and Influences in Sixteenth to Eighteenth Centuries", Chinese Univ Pr., Jun. 1991, pp. 29-43.
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 イントルチェッタ『中国の哲学者孔子』の『大学』の翻訳者はイントルチェッタであるとしてある(p. 38)。ほか『論語』の一部とおそらくは『中庸』の訳者も。クプレは翻訳作業には関与したかどうかは不明とする。参考として注でクプレ本人の1687年12月4日付けChristian Mentzel宛て手紙にある「自分が中国で研究(study)したのは四書のひとつだけだ」という発言を引いている(No. 12, p. 42)。
 この発言が証拠になるのかどうかはわからない。そのかわりに関与したという積極的な証拠もないらしい。

小野和子 「孫文が南方熊楠に贈った『原君原臣』について」

2014年09月12日 | 東洋史
 『孫文研究』14、1992年10月所収、同誌1-10頁。

 『原君原臣』は黄宗羲『明夷待訪録』の「原君」「原臣」部分の抜粋で、『揚州十日記』『嘉定屠城記』とならび興中会初期の革命宣伝パンフレットの1つ。孫がロンドンで親交のある南方に贈ったものが南方熊楠記念館に残っており、著者はそのコピーを入手した(写真あり)。
 孫は「原君原臣」を読めたのだろうか。『三国志演義』について「孔明六出祁山」の句を引きつつ滔々と語ったという馮自由の証言が紹介されているが、『演義』は白話文である。私は孫の文言文の素養に疑いを持っている。たとえばパンフレットの序文を書いたと筆者が推測する鄭観応の講釈に依ったのではないか。
 ちなみに馮自由は、『原君原臣』はよくわからなかったと述べている。馮は当時十四歳で、しかもあまり勉強好きではなかった少年だから(自分でそう言っている)仕方がないが、しかし孫文は十二歳までしか古典教育を受けていない。彼が馮少年以上に理解できたという証拠はない。
 さらにちなみに同じく馮の回想で面白いのは、「『揚州十日記』は小説として読んだ」と言っていることだ。小野氏はこれを「小説ほどに面白かった」という意味と解釈しておられるが、原文未見ながら、これは文字通りに取るべきではないかと思う。あの作品は一読明らかに誇張と矛盾が甚だしく、到底事実その儘とは認め難い内容であるからだ。