『思想』609、1975年3月、同誌354-367頁。
再読。
筆者の論の核心部分に当たると思われる部分を抜き書き。
「公議輿論」観念のキー観念である「公議」ないし「公論」は、「天」観念の最高規範性の、対内的局面における意味変容形象と考えてよい。 (359頁)
「公論」判定の社会的基準は、「公論」が「輿論」の支持をうけているか否かにある。 (360頁)
〔「公議輿論」観念の第二のキー観念である〕「輿論」もまた、「人心」の意味変容形態であると考えてよい。すなわち、「公論」が「開国」の限定的領域における規範となったのと平行して、「輿論」もまた漠然とした社会的動向を意味する「人心」ではなくして、「開国」の構成メンバーの具体的政治意見の意味を帯びてくることになる。 (同頁)
「公論」と「輿論」との関係は、その前身ともいうべき古典的儒学における天と人心との関係からみちびきだされた。近世末から幕末にかけての統治体制の同様のなかで、朱子学的な、いわば静態的で内静的な「天」の認識方法はその有効性を失い、代るに、「人心」、「勢」等の言葉で形容される状況への認識が重視されていく。この過程で、原始儒教における「天」と「人心」との関係はたとえば、「天は知るべからず。然れども天人一理なるゆえ、衆人の心の向背を以て天を知るべし〔原注16〕」として再認識され、「天」と「人心」とのフィード・バックを前提とする、「天」のいわば動態的認識方法が生まれるに至ったわけである。 (361頁)
(16) 山県太華「講孟剳記評語上」『吉田松陰全集』三巻、五二九頁。
かかる動態的「天」観念の認識方法にたつ政策としての「人材登用」「言路洞開」が、幕政改革、藩政改革の綱領として登場することになる。そして、動態的「天」と「人心」とのフィード・バック関係の系譜に立つ「公議」と「輿論」との関係、とくに制度化形象たる「公議政体」論が、「公議輿論」観念の第三の意味内容をなす。 (同頁)
再読。
筆者の論の核心部分に当たると思われる部分を抜き書き。
「公議輿論」観念のキー観念である「公議」ないし「公論」は、「天」観念の最高規範性の、対内的局面における意味変容形象と考えてよい。 (359頁)
「公論」判定の社会的基準は、「公論」が「輿論」の支持をうけているか否かにある。 (360頁)
〔「公議輿論」観念の第二のキー観念である〕「輿論」もまた、「人心」の意味変容形態であると考えてよい。すなわち、「公論」が「開国」の限定的領域における規範となったのと平行して、「輿論」もまた漠然とした社会的動向を意味する「人心」ではなくして、「開国」の構成メンバーの具体的政治意見の意味を帯びてくることになる。 (同頁)
「公論」と「輿論」との関係は、その前身ともいうべき古典的儒学における天と人心との関係からみちびきだされた。近世末から幕末にかけての統治体制の同様のなかで、朱子学的な、いわば静態的で内静的な「天」の認識方法はその有効性を失い、代るに、「人心」、「勢」等の言葉で形容される状況への認識が重視されていく。この過程で、原始儒教における「天」と「人心」との関係はたとえば、「天は知るべからず。然れども天人一理なるゆえ、衆人の心の向背を以て天を知るべし〔原注16〕」として再認識され、「天」と「人心」とのフィード・バックを前提とする、「天」のいわば動態的認識方法が生まれるに至ったわけである。 (361頁)
(16) 山県太華「講孟剳記評語上」『吉田松陰全集』三巻、五二九頁。
かかる動態的「天」観念の認識方法にたつ政策としての「人材登用」「言路洞開」が、幕政改革、藩政改革の綱領として登場することになる。そして、動態的「天」と「人心」とのフィード・バック関係の系譜に立つ「公議」と「輿論」との関係、とくに制度化形象たる「公議政体」論が、「公議輿論」観念の第三の意味内容をなす。 (同頁)