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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

渡辺一枝/クンサン・ハモ 『バター茶をどうぞ 蓮華の国のチベットから』

2012年12月20日 | 地域研究
 実際の所、「地域研究」などという分類わけをするのは不粋である。なんという優しく美しい本だろう。写真も、内容も。だが平易で読みやすい文章に拘わらず水準は極めて高い。薦めてくださった方に感謝。

(文英堂 2001年10月)

清水由里子 「『新生活』紙にみる「ウイグル」民族意識再考」

2012年12月20日 | 東洋史
 一読後、しばらく置いてあったものをあらためて読む。面白い。1930年代、「テュルク」と「ウイグル」意識のせめぎ合い。注23でブルハンのことを「アクスに祖籍をもつと自称するカザン生まれのタタール人」と書いているのは手厳しい。まあその通りなのだけれど。

(『中央大学アジア史研究』(35), pp. 45-69, 2011-03)

ウィキペディア「寒川鼠骨」項を読む

2012年12月07日 | 文学
 (2012年09月21日「まつばらとうる 『「子規唖然」「虚子憮然」―『仰臥漫録』自筆稿本始末記』」より続き)

 ここには参考文献として名が挙がっていないが、まつばらとうる『隣の墓』(文芸社 2001年9月)と鼠骨の人と行蔵について記述と評価がひどくことなる。正反対といってもいい。
 『隣の墓』における鼠骨は、子規庵を私物化し(守りまた維持に努めたのは自分と家族が住んでいたから)、子規庵保存会の会計を不明朗に処理し、庵に残されていた子規の遺墨や直筆原稿を己と家族の生活のために密かに売却した。正岡律の死後、そのことに気づいた忠三郎と裁判沙汰になっている。
 『隣の墓』は著者による調査と事実発掘のノンフィクションという触れ込みである。だとしたら、どちらかが間違っているのであろう。少なくともウィキペディアは、いまからでも、鼠骨自身とどちらかといえば鼠骨側だった柴田宵曲の著作だけでなく、それ以外の資料にも拠るべきではないか。安倍能成の証言など。

「チベットNOW@ルンタ:これまで発見された焼身抗議者13人の遺書」を読んで

2012年12月06日 | 地域研究
 『チベットNOW@ルンタ』
 〈http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51771721.html

 そのうち、「2)2012年1月8日に焼身・死亡したトゥルク・ソナム・ワンギェル(ソバ・リンポチェ)(18番)の録音遺言」からの一節から。

 この行為は自分1人のためになすのではなく、名誉のためになすのでもない、清浄なる思いにより、今生最大の勇気を持って、(ブッダのように、子トラたちを救うために飢えた)雌トラに身を捧げるようになすのだ。

 薩埵王子の「捨身飼虎」説話である。ということはその出所は『ジャータカ』である。
 引用はもちろんチベット語の仏典からであろう。同じ説話は、漢訳仏典でも、『金光明経』その他に出てくる(薩埵王子・捨身飼虎の訳はそこからだ)。だがこれらの亡くなったチベットの人たちの郷土愛、同胞愛に基づく行動が、そちらを読んでのこととは考えにくい。
 ベトナム戦争時のベトナム僧の焼身自殺は漢訳『法華経』の焼身供養にもとづくものではないかというが、両者いろいろな意味で対蹠的である。ある次元においては比較の対象にもなりえるだろう。