書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

多和田真助 『門中風土記』

2011年06月14日 | 地域研究
 沖縄にみられる門中のそれぞれの発祥と沿革を概略解説したもの。なかに、各門中の持つ氏(姓)の一覧がある。基本は中国姓(漢姓)であり、そもそもの由来が沖縄にあっても、漢姓として通用する――つまり『百家姓』に見えるもしくは見えなくても同じ姓が中国に存在する――ものとなっている。
 ところで門中墓について、向きは、べつにどちらでもいいのだろうか。識名園から宿のあるモノレール安里駅前まで路線バス一本で帰れたのだが、その途中、わりあい大きな墓地の傍を通った。見ると墓はてんでに別々の方向を向いている。多和田氏もとくにどの方角でなければならないといったことは書かれてはおられない。

(沖縄タイムス社 1986年7月)

ホー・チ・ミンほか著 池田嘉苗訳 『英雄の国 ベトナム革命回想録』

2011年06月14日 | 東洋史
 回想録というよりも数人のベトナム労働党指導者の関係演説もしくは口述論文(訳者あとがき参照)集である。
 その中のひとつ、「第五話 人民のなかから生まれくるちから」(ボー・グェン・ザップ)で、ボーは、いま言った演説もしくは論文であるにもかかわらず、ホー・チ・ミンを“ホーおじさん”と終始一貫して呼んでいる。そのまえに“偉大な”とか“敬愛する”とかいったこの種の宣伝パンフレットでおなじみの形容詞もつかない。

(青年出版社 1966年9月)

小倉和夫 『権力の継承 レーニン/スターリン/毛沢東/ホー・チ・ミン/チトー』 から

2011年06月14日 | 抜き書き
 ヴィエトナム労働党(後の共産党)の歴史において激しい理論闘争やそれに伴う指導者の失脚、粛清がなかったことは、ごく最近に至るまで歴史上の事実であった。 (「第4章 ホー・チ・ミン後のヴィエトナム」 本書128頁)

 副題に挙げるその他の国家や指導者に比べればということであろうが、たしかにそうかもしれない。ただそれは、成立以後ずっと抵抗運動と戦争つづき(それも大国との)であった環境も考慮すべきではないだろうか。内輪もめしている場合ではなかった、そんな余裕などなかったという解釈が、一面からのそれとしてではあるが可能かもしれない。

(日本国際問題研究所 1985年7月)

潘相 輯 『琉球入学見聞録』

2011年06月14日 | 地域研究
 『太学文献大成』シリーズの一。乾隆29(1764)年付の序文がある。
 編者の潘相は清代中国の人。当時は北京にあった国子監で琉球人の留学生を専門に教える部門(琉球官学というらしい)で教鞭を執っていた(→こちら)。留学生からの聞き書きや資料提供により著したのがこの書である由。18世紀中頃の琉球語と中国語の対訳語彙集の部分もあるので関連研究の世界では有名な文献らしい。
 ところで、冒頭琉球の地図があって、琉球王国の全体図と沖縄本島図とがあるのだが(そのほか中国―琉球間の海図もある)、前者において、南端(正確には西南端)は与那国島になっている一方、北端(東北端)は奇界島(喜界島)となっている。それを見て、やはり琉球人は中国人に対して奄美群島が17世紀初頭以来薩摩の直轄領となっている事実を隠していたのだなと実感する。

(北京 学苑出版社 1996年12月)

重松伸司ほか著 『在日華人系知識人の生活意識調査』

2011年06月14日 | 人文科学
 副題『沖縄・久米崇聖会孔子祭の儀礼・慣行調査および沖縄・久米崇聖会生活慣行の聞き取り調査』。2003年度追手門学院大学共同研究助成研究成果報告書。付属資料としてビデオカセット1巻およびDVD各1枚付き。これらの映像資料には、久米至聖廟(久米孔子廟)における孔子祭(釋奠)の一部始終が記録されている。
 『報告書』に収録されている久米三十六姓の子孫(つまり在日華人系知識人)からの聞き書きによれば、昭和初年まで釋奠は中国語で行われていたという。
 DVDの映像を見ると、式参加者はいわゆる礼服と呼ばれるネクタイ姿の洋装である(ネクタイ柄はレジメンタルで統一、色は白に黒か濃い青、映像の色彩がやや悪くてどちらとも決められず)。しかし久米崇聖会のHPにある平成22(2010)年度釋奠の写真を観ると、琉装になっている。
 私が4月中旬にここを訪れたときは、昼下がりのこともあって、人の気配が絶えていたが、ただ正門をくぐってすぐ左のつきあたり、天尊廟のとなりにある天妃宮のまえで、強い日差しの下、年配の女性ふたりが敷物の上で何かを熱心に祈っていたのは、いまも印象的である。

(追手門学院大学 2003年3月)

フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズ著 田中秀雄訳 『中国の戦争宣伝の内幕 日中戦争の真実』

2011年06月14日 | 東洋史
 原書名 Behind the news in China, by Frederic Vincent Williams, New York, 1938.

 ティンバーリーが親中的立場から中国の宣伝をしたから中身は信用できないというなら、このウイリアムズについても、親日的立場から日本の宣伝をしたのであるから中身は信用できないと言うことは、論理的である。しかも訳者の「解説」をみると、ウイリアムズは「時局委員会」という日本の表向きは在米日本人による民間組織に雇われていて、しかしてその資金はサンフランシスコ総領事館からでていたという。国家と組織的・金銭的に深い関係を持っていたところ、ティンバーリーとまったく同じである。

(芙蓉書房出版 2009年11月)

井筒和幸監督 『パッチギ!』(2005年)

2011年06月14日 | 映画
 ドキュメンタリーかと思うほどユルい画づくりは何か意図あってのことか。わからん。現実そのままに撮ったら世界が散漫で見ていられないのだが。リアリティと映画のリアリティは違うだろう。私のようなド素人にいわれるまでもなくプロの井筒監督は判っておられるはずだろうに?

(ハピネット・ピクチャーズ 2005年7月)