書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

歸山則之 『生きている戦犯 金井貞直の「認罪」』

2011年06月11日 | 日本史
 撫順戦犯管理所での思想改造は、洗脳ではなかった。では強制(反対にいえば日本側の迎合)かといえば、それもちょっと違う。
 あれは籠絡(ひとたらし)だったのだ。
 籠絡ならば、思想教育が先か坦白・認罪が先かといったような問題――私が長い間拘泥していた――は、重要ではなくなる。それは単なる手順の問題にすぎないからだ。
 著者の立場や著者が聞き書きを取った金井氏の意見とは異なるが、この書を読んでお二方には申し訳ないながら、そういう結論に達した。

(芙蓉書房出版 2009年11月)

中島岳志 『中島岳志的アジア対談』

2011年06月11日 | その他
 そもそもは坪井善明氏との対談(「共和主義者、ホー・チ・ミン」)を読むために図書館で借りたのだが、開いてみると山内昌之氏との対談も収録されていた(「ムスリム共産主義者の夢」)。その他、興味の赴くままに拾い読み。
 学界内のうけ狙いを専らにするのが学客なら、一般社会のうけを狙うのは学商か。前者にはまだしも学問をする、しなければならないというまがりなりにも研鑽へのインセンティブがあるが(門戸を張るうえで最低限度の常識はわきまえておく必要がある)、後者になると、それすらなくなって、ついには勉強しなくなる。マスコミの振り付けどおりに、そこで「学者」の役を演じるタレントになるのである。(だから昔は「タレント教授」と言ったのか?)
 さて、この人はどちらなのだろう。対談相手の選択については、「毎日新聞」学芸部の鈴木英生氏とご本人の話し合いによる結果だというが(鈴木氏「序」)、私にとっては一般向けのいま言った意味での“タレント”としか思えない人々が混じっている。浮き世の義理でつきあっているのか本気で意気投合しているのか。それとも私のほうがこれらの人々を見損なっているのか。

(毎日新聞社 2009年10月)