書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

『文藝春秋』2006年9月号

2006年08月20日 | その他
 半藤一利/秦郁彦/保阪正康「昭和天皇『靖国メモ』未公開部分の核心」と、「保阪正康連続対談『昭和の戦争七つの真実 あの戦争から何を学ぶか』」を読む。
 興味のあるむきには絶対おすすめである。無いむきには当たり前のことだがおすすめしない。

▲「YOMUIRI ONLINE」2006年8月18日、「『親日派』財産没収に向け、韓国で調査委が発足」
 →http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20060818id26.htm

 “彼ら”は、真理真実より己の属する党派の正義を求める。
 お好きにどうぞ。所詮はよその国のことである。(下に続く)

▲「人民網日本語版」2006年8月18日、「中日の大学生が交流、『歴史認識と中日関係の未来』」
 →http://j1.peopledaily.com.cn/2006/08/18/jp20060818_62336.html

 しかし“彼ら”は、その存在に国籍を問わない。(下に続く)

▲「池田信夫blog」2006年8月19日、「放送ゼネコン」
 →http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/d/20060819

 国内の“彼ら”は、何とかしなければならない。“彼ら”は国益(国家と国民の利益)を蝕む害虫であるから。

(文藝春秋 2006年9月)

今週のコメントしない本

2006年08月19日 | 
 盆休みはなしでした。

①感想を書くには目下こちらの知識と能力が不足している本
  重村智計 『外交敗北 日朝首脳会談と日米同盟の真実』 (講談社 2006年6月)

②読んですぐ感想をまとめようとすべきでないと思える本
  該当作なし

③面白すぎて冷静な感想をまとめられない本
  半藤一利 『聖断 天皇と鈴木貫太郎』 (文藝春秋 1985年8月) 〈再読〉

④参考文献なのでとくに感想はない本
  児島襄 『東京裁判』 上下 (中央公論社中公文庫版 1982年11月) 〈再読〉 
  細谷千博/安藤仁介/大沼保昭編 『国際シンポジウム 東京裁判を問う』 (講談社 1984年7月) 〈再読〉

  杉森久英 『参謀・辻政信』 (河出書房新社版 1982年8月)

  三宅雪嶺 『同時代史』 第六巻 「昭和二年から昭和二十年迄」 (岩波書店 1967年11月第二刷)

  梶村昇編 『アジア人のみた霊魂の行方』 (大東出版社 1995年3月) 〈再読〉
  窪徳忠 『道教百話』 (講談社 1992年5月第8刷) 〈再読〉
  蝸牛会編 『露伴全集』 第十八巻 (岩波書店 1979年1月第二刷) 

  尾上政次訳者代表 『筑摩世界文学大系』 75 「ドス・パソス/スタインベック」 (筑摩書房 1999年1月初版第六刷)
  宮本陽吉訳 『愛蔵版 世界文学全集』 27 「ドライサー アメリカの悲劇」 (集英社 1986年7月第4刷)
  ウィリアム・スタイロン著 須山静夫訳 『闇の中に横たわりて』 (白水社 2001年9月新装復刊)

⑤ただただ楽しんで読んだ本
  深井雅海 『江戸城御庭番 徳川将軍の耳と目』 (中央公論社 1992年5月再版)

  重野安繹/小牧成業 『薩藩史談集』 (歴史図書社 1968年11月)

 ところで、どちらか一方だけをファイルするなら、あなたは下の二つのうち、どちらを選びますか?

▲「YOMIURI ONLINE」2006年8月16日、「太陽系惑星9個→12個へ、惑星の定義変更案を公表」
 →http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20060816it11.htm
▲「asahi.com」2006年8月17日、「教科書は?占星術は? 惑星の新定義に反響続々」
 →http://www.asahi.com/science/news/TKY200608170461.html

 私は後者のほうです。もっとも実際には「どちらか一方だけ」などという条件は無視してどちらもファイルします。ひっかけて済みません。

▲「MSN毎日インタラクティブ」2006年8月18日、「漁船銃撃拿捕:北方四島を実効支配されている現実が厚い壁」
 →http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060819k0000m040106000c.html
▲「YOMUIRI ONLINE」2006年8月18日、「盛田光広さんの遺体、19日朝に引き渡し」
 →http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060818it16.htm?from=top

 内容備忘のため、どちらもメモ。

 また来週。

鮎川信夫ほか 『鮎川信夫全集』 第八巻 「鮎川信夫、吉本隆明全対談」

2006年08月18日 | 文学
“ソルジェニーツィンの『収容所群島』が出た時、ああ文学の時代は終わったな、と痛烈に思ったね” (「崩壊の検証」〔1982年6月〕 本書419頁)

 鮎川信夫という人は1979年の時点ですでに、『収容所群島』を三度、通読していたらしい。私はと言えば、こんにちに至っても、まだ二回である。

(思潮社 1989年11月)

▲「Sankei Web」2006年8月16日、「靖国参拝、『正常な日中関係』へ一歩」
 →http://www.sankei.co.jp/news/060816/sei033.htm

 備忘のため、メモ。

▲「Sankei Web」2006年8月16日、「盧大統領、刺激避け非難 米は『日本の国内問題』 靖国参拝」
 →http://www.sankei.co.jp/news/060816/sei029.htm

 同上。

▲「Infoseek 楽天ニュース」2006年8月16日、「A級戦犯分祀でも靖国参拝容認せず=韓国政府が方針確認-聯合ニュース (時事通信)」
 →http://news.www.infoseek.co.jp/topics/world/korea/story/060816jijiX939/
▲「Infoseek 楽天ニュース」2006年8月16日、「11月に日韓首脳会談を検討=次期首相の歴史認識が条件-韓国外相 (時事通信)」
 →http://news.www.infoseek.co.jp/topics/world/korea/story/060816jijiX941/

 韓国の政治家は、本当は、おのれの政治的立場に逆らう日本の政治家を、済州島あたりへ島流しにしたいのではないかと思える。李朝時代の党争の如くにである。
 たまらなく前近代。

▲「Reuters」2006年8月16日、「北朝鮮、小泉首相の靖国神社参拝を強く非難=KCNA」
 →http://today.reuters.co.jp/news/articlenews.aspx?type=topNews&storyID=2006-08-17T075610Z_01_NOOTR_RTRJONC_0_JAPAN-224942-1.xml&archived=False
 
 他国を「ガン」呼ばわりするなど、無礼とも何ともいいようがない。前近代なのは言うに及ばず。

皆川亮二 『D-LIVE!!』 15

2006年08月15日 | コミック
 とうとう完結。ちかごろ読む漫画の数が減ってきているので寂しい限りである。
 それはそうとして、クレーバー・オウルの次の仕事は、カリヨンタワー潜入だそうだ。あはは。

(小学館 2006年9月)

▲謹告。今後「台湾の声」(http://www.emaga.com/info/3407.html)の購読を取り止める。
 このところ内容がひどすぎる。
 以前は、台湾と台湾人に対する共感と愛情が、論者によって程度の多少はあってもまだ感じられた。それが今では、台湾は反中国、反左翼というおのれの政治運動の、ありていに言えば手段にすぎなくなった観がある。これでは、ある人がいみじくも評したように、「台湾の声」ではなくて「日本右翼の声」である。
 我が「日知録」のほうに転載している同メールマガジンの過去の記事をご覧いただければ判るのだが、以前はこんなふうではなかった。
 右翼だから悪いというのではない。国家のために国民は犠牲になるのが当然という考え方に、我慢がならないのである。国益とは国家の利益ではあっても国民の利益ではないのか。彼らの考え方は、彼らの敵と符を合わせたように同じ、全体主義、超国家主義である。

三宅雪嶺 『同時代史』 第五巻 「大正五年より昭和元年迄」

2006年08月14日 | 日本史
 『同時代史』は、雪嶺が雑誌「日本人」とその出版元である政教社から離脱して我観社を設立した1923年から、1945年、死去する直前まで、同社の「我観」(途中「東大陸」と改名)に「同時代観」の名で連載したものである。 
 『同時代史』は江戸時代の万延元年(1860年)から始まっているが、この万延元年とは三宅雪嶺の生まれた年でもある。つまり、『同時代史(同時代観)』という題名は、筆者雪嶺の生きた同時代の歴史という意味にほかならない。
 自分の直接見聞きした時代の歴史を描く利点は、時代の雰囲気を肌で知っている、勘があるというところにあるだろう。また、傑出したジャーナリストであった雪嶺は、明治時代の朝野の主要な人物とその公私の言動をほとんど直接に知っていた。だから彼の紹介するエピソードやその解釈、ひいてはそこから導き出される人物評価には無理がなく、信すべきと思わせられるところが多い。この意味で、『同時代史』はまさに成功した歴史叙述であると言えると思う。
 ひるがえって同時代を描く欠点だが、肌感覚、勘に逆にとらわれすぎて客観的な視点を確保することが難しい点、さらには取り上げる対象となる人や事件の当事者や関係者がまだ生存していて、書くことを憚らなければならない事情が、どうしても多くなるところだろう。そして、この困難さは時代が執筆者の現在に近くなればなるほどにはなはだしさを増すことは、言うをまたない。
 『同時代史』も、その例外ではないらしい。明治を過ぎ、大正から昭和へ移ろうとするこの第五巻に至って、筆の運びが徐々に渋る感がある。

(岩波書店 1967年11月第二刷)

▲「MSN毎日インタラクティブ」2006年8月13日、「小泉首相:参拝前、奥田氏に伝言託す…胡主席との極秘会談」

→http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20060813k0000m010133000c.html

 私は個人的には空襲や原爆で死んだ民間人を祀らない靖国神社へ参拝するつもりはない。日本の首相および閣僚による靖国神社参拝にも反対である。(以下に続く)

▲「Infoseek楽天ニュース」2006年8月13日、「靖国参拝1回限り容認 中韓「安倍首相」念頭に (共同通信)」
 →http://news.www.infoseek.co.jp/topics/world/korea/story/13kyodo2006081201006285/

(承前)
 しかし国を背負ってたつ首相や閣僚になれば、立場上しないわけにはいかないこともわかる。国家のために戦争で外国人=敵と戦って死ぬことが、少なくとも今日の世界においてはまだ、最高の愛国的行為とされているのであるからだ。

今週のコメントしない本

2006年08月12日 | 
 京都大再生医科学研究所の山中伸弥教授と高橋和利特任助手が、マウスの皮膚細胞から万能細胞を作ることに成功したそうです。
 それにつけて思い出すのは、いっとき万能細胞の捏造に成功したソウル大学の黄禹錫教授ですが、お元気でしょうか。

 閑話休題。

①感想を書くには目下こちらの知識と能力が不足している本
  秦郁彦 『軍ファシズム運動史』 (原書房 1980年1月新装版)

②読んですぐ感想をまとめようとすべきでないと思える本
  リチャード・ライト著 高橋正雄訳 『世界文学全集』 92 「ブラック・ボーイ アメリカの飢え」 (講談社 1978年10月)

③面白すぎて冷静な感想をまとめられない本
  ウィリアム・フォークナー著 大橋吉之輔訳 『フォークナー全集』 12 「アブサロム、アブサロム!」 (冨山房 1980年3月第3刷)

④参考文献なのでとくに感想はない本
  松本清張 『昭和史発掘』 8 (文藝春秋文春文庫版 1978年10月)

  鶴見和子 『父と母の歴史 私たちの昭和史』 (筑摩書房 1978年2月改訂版第8刷)

  鶴見俊輔/鈴木正/いいだもも 『転向再論』 (平凡社 2001年4月)

  柴田武雄 『源田実論』 (思兼書房 1971年1月)

  E. コールドウェル著 杉本喬訳 『タバコ・ロード』 (岩波書店岩波文庫版 1994年12月第9刷)
  リチャード・ライト著 皆河宗一訳 『アンクル・トムの子供たち 今日の文学』 (晶文社 1970年5月)

  アイプ・ロシディ著 粕谷俊樹訳 『アジアの現代文学』 8 「〔インドネシア〕 スンダ・過ぎし日の夢』 (めこん 1987年7月)

  坂田吉雄 『明治維新史』 (未来社 1960年6月)

  萩原延寿 『自由の精神』 (みすず書房 2003年9月)

  読売新聞中国取材団 『膨張中国 新ナショナリズムと歪んだ成長』 (中央公論新社 2006年5月)

⑤ただただ楽しんで読んだ本
  マーク・トウェイン著 村岡花子訳 『ハックルベリイ・フィンの冒険』 (新潮社 1985年10月四十一刷)

  鶴見俊輔 『読んだ本はどこへいったか』 (潮出版社 2002年9月)〈再読〉

 また来週に。

▲「Sankei Web」2006年8月12日、「英テロ未遂 『11日予行16日決行』 容疑者名で航空券予約」
 →http://www.sankei.co.jp/news/060812/kok041.htm
 「Sankei Web」2006年8月12日、「英テロ未遂、アルカーイダ工作員と断定 パキスタン内相」
 →http://www.sankei.co.jp/news/060812/kok039.htm

 敵なら殺してよろしいという発想は、狂気である。
 ――と、私は思うのですが、しかしそうは思わない人がどうも多いようです。彼らだけではなく。

ウィリアム・スタイロン著 大橋吉之輔訳 『ナット・ターナーの告白』

2006年08月11日 | 文学
 「しかり、わたしはすぐに来る・・・・・・」 
 「見よ、わたしはすぐに来る・・・・・・」 

 ナット・ターナー(注)が処刑される第四部の「成就」で、『黙示録』のこの言葉が、各段落の冒頭に繰り返し掲げられる。
 第四部を読んでいて、張承志著/梅村坦訳『殉教の中国イスラム 神秘主義教団ジャフリーヤの歴史』(亜紀書房 1993年1月)の、清朝政府によって処刑されたジャフリーヤ派第五代ムルシド(導師)馬化龍の首が信徒のもとに帰ってきた際に誦みあげられる『ムハンマス』の一節、「アタイトゥ(わたしはやって来た)」を、思い出した。

 注。「ブラックカルチャー知識箱」2004年4月16日、「ナット・ターナー」
   →http://blog.livedoor.jp/sistah/archives/395891.html 

(河出書房新社 1970年11月)

▲「Sankei Web」2006年8月11日、「江沢民氏『日本には歴史問題を永遠に話すべき』」
 →http://www.sankei.co.jp/news/060811/kok003.htm

 作用(中国政府)。

▲「YOMIURI ONLINE」2006年8月10日、「中国『信頼できない』過去最悪の65%…読売調査」
 →http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe6100/news/20060810i314.htm

 反作用(日本民間。そしておそらくは政府も)。

▲「多維網」2006年8月11日、「北京拒保釣人士出境示好日本恐一廂情願」
 →http://www2.chinesenewsnet.com/MainNews/SinoNews/Mainland/2006_8_10_17_47_20_553.html

 反反作用(中国民間)と制動力(中国政府)と。

辻達也編 『日本の近世』 10 「近代への胎動」

2006年08月10日 | 日本史
 ●江戸時代、越訴(いわゆる直訴)は、死刑に当たるどころか、一回だけでは犯罪を構成しなかった。繰り返した場合、拘束されて、事情に基づき軽重の罰を課せられることになった。
 ●強訴(百姓一揆)は、「集団の圧力を背景に領主に彼らの訴えに回答を『強いる』」ために行うものであって、体制の打倒が目的ではなかった。つまり強訴は武力闘争ではなかった。
 ●竹槍は、「敢えて人命をそこなふ獲物は持たず」という一揆側の行動原則の象徴として使用された。江戸時代の農村には猪おどし、鹿おどしのための鉄砲が大量に所有されていたから、武力闘争に踏み切る場合、農民が武器として竹槍に頼らなければならない必要は、そもそもなかった。

 保阪智「4 百姓一揆――その虚像と実像」(本書167-228頁)からの要約。

(中央公論社 1993年1月)

▲「西日本新聞」2006年8月5日、「右半分はオス、左半分はメス 両性クワガタ発見 荒尾市」
 →http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/photo/20060805/20060805_001.shtml

 あしゅら男爵?

▲「asahi.com」2006年8月10日、「定家筆、最古の写本発見 平安期の歌学書『俊頼髄脳』」
 →http://www.asahi.com/culture/update/0810/001.html

 冷泉家の蔵はドラえもんの四次元ポケットのようなもの?

李佑成著 旗田巍監訳 鶴園裕ほか訳 『韓国の歴史像 乱世を生きた人と思想』

2006年08月09日 | 東洋史
“あまりに素朴な三段論法になるかもしれないが、高句麗がわが民族であり、渤海は高句麗の後身だから、従って渤海はわが民族なのである。実際問題としてわれわれには、この場合に強いて民族を論ずること自体が不自然に思われる” (「一二 南北国と崔知遠」 本書229頁)

 つまり渤海は朝鮮の一部でなければならないという政治的要請の前には客観的事実や歴史学および学問一般の中立性など無視されて当然だとするこの著者は、「韓国の歴史学界を代表する学者の一人」(旗田巍「解説」)なのだそうな。

(平凡社 1987年7月)

原口虎雄 『幕末の薩摩 悲劇の改革者、調所笑左衛門』

2006年08月08日 | 日本史
 調所笑左衛門(笑悦・広郷。1776-1849)は、財政的に疲弊の極にあった江戸時代後期の薩摩藩を、20年かけて立て直した人物である。
 彼が、ウィキペディア「調所広郷」項の言うように「薩摩藩の救世主」であることは間違いない。だが後世伝えられる彼の人物像は、長州藩における安国寺恵瓊(1539-1600)同様、奸佞邪悪で私欲の塊という、絵に描いたような“御家の悪人”でしかない。
 たとえば加治木常樹『お由羅騒動記』にはこう書かれているそうである。

“性来の捷給敏弁、呼ばれずとも返事する人間、十二分に官豎の質を発揮したから、我儘ものの重豪殿の殊寵を得たのは寛政の話、まだ笑悦は二十三歳であった。笑悦の便佞は年と共に進歩する、利口は益々上達する・・・・・・” (本書58頁の引用から)

 「佞僧、威を振ひ候へば」(『陰徳太平記』)式の、後世の長州人が恵瓊を誹る声と、基調においていかにも似ている。
 しかし、本能寺の変の10年前に、「信長之代、三年五年は持たる可く候。左候て後、高転びにあふのけにころばれ候ずると見え申候。藤吉郎、さりとてはの者にて候」と予言した安国寺恵瓊がただの佞僧づれではなかったように、調所は単なる奸臣ばらではない。
 なにしろ、これはこの本で知ったことだが、調所は、大阪の両替商升屋の番頭で事実上は主人として店を切り回していた、商人としても辣腕で鳴らすあの山片蟠桃(1748-1821)をまんまと騙して升屋から薩摩藩が借りていた借金の証文を取り上げ、焼き捨てて、借金を踏み倒している。この一事からしても彼がただ者ではないことが判る。
 なお、幕末も押し詰まった倒幕時期、薩摩藩が通貨(銅銭)を偽造して日本国内に流通させ、当時の金融市場を混乱させたことは知っていたが、薩摩藩の偽金作りが調所の財政改革期に既に始まっていたことは、寡聞にも知らなかった。調所が藩主斉興(斉彬の父)の許可のもとに開始したものである由。

(中央公論社 1979年3月15版)