“天皇が現人神であることは、とりも直さず、山県にとっては自分の権勢を保全し永続させることにつながっている。山県は天皇を現人神に作りあげることによって、いわゆる袞龍(こんりょう)の袖にかくれて、もしくは天皇を利用し天皇の“影”となって、政治的・軍事的なすべての野心を満たしてきたのである” (「第七章 『勤王に死す』」 本書230頁)
「統帥権の独立」も、「帷幄上奏権」と「軍部大臣現役武官制」も、そして「現人神思想」も、すべて山県が作りだしたものであり、そしてその目的はおのれ一個の権勢の保全と永続だったというのが、半藤氏の結論である。(のち秦郁彦氏は、『統帥権と帝国陸海軍の時代』(平凡社、2006年2月)において、「統帥権の独立」の起源についてはこの本の主張に賛同している。)
“昭和の日本で敗戦に導いた指導者の多くは、山県の衣鉢をついだものたちであった。昭和二十年八月は、山県の死後わずか二十三年ののちのこと、まだ山県は生きていたといえる。その意味で、「大日本帝国は山県が亡ぼした」といっても、かならずしも過言ではない” (「終章 護国寺にて」 本書243-244頁)
敢えて口を噤み、感想は述べぬ。
(PHP研究所PHP文庫版 1996年8月)
▲「asahi.com」2006年8月3日、「靖国参拝、『戦犯外せば容認』3割 日中世論調査」
→http://www.asahi.com/politics/update/0803/001.html
言論NPOのウェブサイトでもとの調査結果を見る。
★「言論NPO」(http://www.genron-npo.net/)
「『第2回 日中共同世論調査の調査結果について』 - 記者会見発表資料 -」(2006年08月02日)
→http://www.genron-npo.net/forum_tokyopekin/001580.html
「統帥権の独立」も、「帷幄上奏権」と「軍部大臣現役武官制」も、そして「現人神思想」も、すべて山県が作りだしたものであり、そしてその目的はおのれ一個の権勢の保全と永続だったというのが、半藤氏の結論である。(のち秦郁彦氏は、『統帥権と帝国陸海軍の時代』(平凡社、2006年2月)において、「統帥権の独立」の起源についてはこの本の主張に賛同している。)
“昭和の日本で敗戦に導いた指導者の多くは、山県の衣鉢をついだものたちであった。昭和二十年八月は、山県の死後わずか二十三年ののちのこと、まだ山県は生きていたといえる。その意味で、「大日本帝国は山県が亡ぼした」といっても、かならずしも過言ではない” (「終章 護国寺にて」 本書243-244頁)
敢えて口を噤み、感想は述べぬ。
(PHP研究所PHP文庫版 1996年8月)
▲「asahi.com」2006年8月3日、「靖国参拝、『戦犯外せば容認』3割 日中世論調査」
→http://www.asahi.com/politics/update/0803/001.html
言論NPOのウェブサイトでもとの調査結果を見る。
★「言論NPO」(http://www.genron-npo.net/)
「『第2回 日中共同世論調査の調査結果について』 - 記者会見発表資料 -」(2006年08月02日)
→http://www.genron-npo.net/forum_tokyopekin/001580.html