書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

高坂正堯著作集刊行会編 『高坂正堯著作集』 第四巻 「宰相 吉田茂」

2006年08月25日 | 政治
 吉田茂石田三成論。もっとも著者はこんな言葉は使っていない。論旨をひとことで表現すればこうなるということであって、福沢諭吉の楠公(楠木正成)権助論に同じ。
 さてその吉田茂石田三成論は、たったいま名の出た楠公権助論とこれも同じく、一見奇矯だが中身は着実で、実に肯綮に当たる内容である。
 吉田茂も石田三成も、最高権力者としての能力は豊かにあったが、その最高権力者の座に至るまでに必要とされる広範な大衆の支持を集める能力に欠けていた。だから両者とも、おのれの権力を正当化し、大衆の服従を保証するために、おのれの背後に外部から藉りるべき権威を必要とした。それは石田三成の場合は豊臣秀吉だった。吉田茂の場合はマッカーサーである。――
 なるほどこう説かれれば、この二人は政治家としてタイプがよく似ている(個人としての性格ではない、念のため)。
 
追記。
 本巻所収の「佐藤栄作――『待ちの政治』の虚実」(1995年)で、著者は佐藤政権時代に沖縄返還および繊維問題をめぐり密使として米国側との交渉にあたった若泉敬の活動(注)を、「戦略的には無意味なもの」と、ほぼ一言で切り捨てている。
 以下はその原文。

“佐藤は核兵器の再持ち込みに必ずしも反対しないことを個人的に(原文傍点)約束した。それは戦略的には無意味なものであったが、官僚制の一部を説得するためには必要であったのだろうと思われる。ただ、このような無意味なことに頭を煩わされずに済んでいたら、もっと積極的なことに頭を使えていたのに、という思いは禁じえない” (「佐藤栄作――『待ちの政治』の虚実」 本書576頁)

(都市出版 2000年1月)

▲「Sankei Web」2006年8月23日、「南京事件裁判 関連書籍著者らに160万元の賠償命令」
 →http://www.sankei.co.jp/news/060823/kok060.htm
 「明報」2006年8月24日、「南京受害人告贏日作家 不甘被指作假證 內地入稟控誹謗」
 →http://www.mingpaonews.com/
 「明報」2006年8月24日、「中日無協議 判決難執行」
 →http://www.mingpaonews.com/
 「多維網」2006年8月24日、「夏淑琴控日右翼誹謗勝訴面臨執行難題」
 →http://www2.chinesenewsnet.com/MainNews/SinoNews/Mainland/2006_8_23_14_51_29_98.html

 備忘のため、メモ。

▲「asahi.com」2006年8月25日、「日本が残留農薬新基準 中国大慌て」
 →http://www.asahi.com/business/update/0825/001.html

 ここにはもちろん、私の好きな中国茶も含まれる。

熊谷伸一郎 『「反日」とは何か 中国人活動家は語る』

2006年08月25日 | 政治
 「私たちは反日ではない!!」

 君たちは正直ではない!!!

(中央公論新社 2006年8月)

▲「asahi.com」2006年8月25日、「『日本人暴行なしの周知徹底を』 中国・瀋陽の総領事館」
 →http://www.asahi.com/international/update/0825/004.html

 今度は誰が糸を引いた? 新左派か、解放軍か、民主派か。

▲「asahi.com」2006年8月25日、「靖国・戦史博物館、展示内容変更へ 歴史観が一面的と」
 →http://www.sankei.co.jp/news/060825/sha029.htm

 【関連記事】の岡崎久彦氏の論説も併わせ読む必要あり。
 ところで、神社側のこの態度の変化を、弱腰とか不覚悟の為せるわざだと責めるのはちょっと酷かもしれないと思った。
 気心の知れた仲間や気安い顔見知りと勝手知ったる町内で気安く快気炎を吐いていたところが急に広大無辺の無重力空間へ放り出された心許なさに情緒不安定となったところへ、四方八方上下左右からの多種多様な批評に曝され、どうせ内輪向けだからとたかを括っていた脇の甘さを各方面からの容赦ない批判で徹底的に突かれて、「こんなはずでは」、「そんなつもりでは」、「どうしよう」と、パニック状態に陥った挙げ句の衝動的行為かもしれないからである。