書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

原口虎雄 『幕末の薩摩 悲劇の改革者、調所笑左衛門』

2006年08月08日 | 日本史
 調所笑左衛門(笑悦・広郷。1776-1849)は、財政的に疲弊の極にあった江戸時代後期の薩摩藩を、20年かけて立て直した人物である。
 彼が、ウィキペディア「調所広郷」項の言うように「薩摩藩の救世主」であることは間違いない。だが後世伝えられる彼の人物像は、長州藩における安国寺恵瓊(1539-1600)同様、奸佞邪悪で私欲の塊という、絵に描いたような“御家の悪人”でしかない。
 たとえば加治木常樹『お由羅騒動記』にはこう書かれているそうである。

“性来の捷給敏弁、呼ばれずとも返事する人間、十二分に官豎の質を発揮したから、我儘ものの重豪殿の殊寵を得たのは寛政の話、まだ笑悦は二十三歳であった。笑悦の便佞は年と共に進歩する、利口は益々上達する・・・・・・” (本書58頁の引用から)

 「佞僧、威を振ひ候へば」(『陰徳太平記』)式の、後世の長州人が恵瓊を誹る声と、基調においていかにも似ている。
 しかし、本能寺の変の10年前に、「信長之代、三年五年は持たる可く候。左候て後、高転びにあふのけにころばれ候ずると見え申候。藤吉郎、さりとてはの者にて候」と予言した安国寺恵瓊がただの佞僧づれではなかったように、調所は単なる奸臣ばらではない。
 なにしろ、これはこの本で知ったことだが、調所は、大阪の両替商升屋の番頭で事実上は主人として店を切り回していた、商人としても辣腕で鳴らすあの山片蟠桃(1748-1821)をまんまと騙して升屋から薩摩藩が借りていた借金の証文を取り上げ、焼き捨てて、借金を踏み倒している。この一事からしても彼がただ者ではないことが判る。
 なお、幕末も押し詰まった倒幕時期、薩摩藩が通貨(銅銭)を偽造して日本国内に流通させ、当時の金融市場を混乱させたことは知っていたが、薩摩藩の偽金作りが調所の財政改革期に既に始まっていたことは、寡聞にも知らなかった。調所が藩主斉興(斉彬の父)の許可のもとに開始したものである由。

(中央公論社 1979年3月15版)