半ば自戒の意味を籠めて抜き書き。
“司馬 (略)嘉永六(一八五三)年に蒸気船が来たとき、ああ、これを作ろうって三年後に薩摩と肥前と宇和島が作ってしまいますね。それは便利だからっていうより、普遍性への憧れやね。それが技術の形になっているわけ。中国にだってそれがどんと来ている。けど中国人の場合はその技術の向こうに西洋的普遍性というものがあるだろうと考えた。そして普遍性ならオレとこの方があるぞ、と思ったために百年かかったわけです。日本は蒸気船見てからたった三年で作ってしまった。普遍性じゃなくて、道具そのものをね。面じゃなくて点をす早く作っちゃうわけで、いつまでたっても面がわからない。これが日本と中国の違いで、中国は自分の普遍性を持っていたために、近代化に時間がかかった” (「近代における中国と日本の明暗」〔陳舜臣との対談、1975年〕 本書48頁)
“司馬 (略)人間が集団的に政治化した場合はべつですが、個別的に話せば人間は決して阿呆ではない” (「民族の原像、国家のかたち」〔梅棹忠夫との対談、1992年〕 本書370頁)
(文藝春秋 2003年3月)
“司馬 (略)嘉永六(一八五三)年に蒸気船が来たとき、ああ、これを作ろうって三年後に薩摩と肥前と宇和島が作ってしまいますね。それは便利だからっていうより、普遍性への憧れやね。それが技術の形になっているわけ。中国にだってそれがどんと来ている。けど中国人の場合はその技術の向こうに西洋的普遍性というものがあるだろうと考えた。そして普遍性ならオレとこの方があるぞ、と思ったために百年かかったわけです。日本は蒸気船見てからたった三年で作ってしまった。普遍性じゃなくて、道具そのものをね。面じゃなくて点をす早く作っちゃうわけで、いつまでたっても面がわからない。これが日本と中国の違いで、中国は自分の普遍性を持っていたために、近代化に時間がかかった” (「近代における中国と日本の明暗」〔陳舜臣との対談、1975年〕 本書48頁)
“司馬 (略)人間が集団的に政治化した場合はべつですが、個別的に話せば人間は決して阿呆ではない” (「民族の原像、国家のかたち」〔梅棹忠夫との対談、1992年〕 本書370頁)
(文藝春秋 2003年3月)