書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

ポダルコ・ピョートル 『白系ロシア人とニッポン』

2010年11月22日 | 日本史
 どういうわけか著者名が姓+名の順になっているが、本来はピョートル・ポダルコであろう。
 それはさておき、本書によって、神戸にはタタール人とならんで白系ロシア人の大きいコミュニティがあったことを知った。その理由は、関東大震災を逃れて関東から関西とくに阪神間に移り住んだ人間が多かったからであるという。その理由としては、神戸には明治初年以来外国人居留地が存在し、外国人居住者のための制度やシステムが整備されていたことがあるらしい。
 本書によると、神戸では当初彼らはタタール人と同じく布地の行商をしていたが、やがて彼らのなかから、神戸という外国の食材がよろず手に入りやすい地の利と、日本に来る前のロシアや米国、あるいは満州のハルピンやヴラジヴァストークでたまたま――としかいいようがない運命のいたずらだったらしい――習いおぼえた菓子づくりの技術とを組み合わせて、そのころ日本ではまだ存在しなかった本格的な洋菓子の製造販売ビジネスを始める者が出現した。フョードル・モロゾフ(モロゾフ製菓/コスモポリタン製菓創始者)と、そしておそらくはモロゾフから刺激あるいは示唆をうけて同様の洋菓子製造業に乗り出したマカール・ゴンチャロフ(ゴンチャロフ製菓創始者)である。
 ちなみに、個人的な思い出だが、モロゾフとゴンチャロフ、どちらもほんの子供の時分からのなじみ深い名である。チョコレートでもケーキでも、高級洋菓子といえばこの二つであった。何より入れ物(箱や缶)からして違っていた。もう死語かもしれないが、いかにも“舶来物”という感じがしたものである。神戸で外人さんの作る物は舶来物だと、子供の私は思っていたのだった(長じて言葉としての使い方の間違いに気が付いた)。しかし、さらにいまこの本を読んで、ひるがえって考えてみるに、外国人が、外国の材料をもとに、外国の技術で作りだしたものであれば、実質において舶来物とたいして変わらないではないかとも思う。
 ああ、あれはドイツ菓子だが神戸元町「ケーニヒスクローネ」のケーキが食いたい! あそこのケーキが食いたい! 今すぐ!

(成文社 2010年7月)